割りばしだって焚き付けに
とあるイベントでお昼ご飯に50人分くらいのお弁当が出た。
もちろん、箸は割りばしだ。
ちょうどそのお弁当のゴミを片付ける担当になったので、さりげなく使い終わった割りばしを回収する箱を用意してみた。
すると食べ終わった人たちがどんどんそこに割りばしを分別して入れていってくれた。
ざっと洗って天日干ししておけば、立派な焚き付けに再利用できる。
割りばしは簡単に燃えるので、着火の際に重宝するのだ。
使い捨ての割りばしにも五分の魂、なのである。
薪ストーブ前史27 栗の薪の乾燥、そして移動
栗の玉切りをしたのが去年の11月。長さ40㎝の太割り、中割りをサクサクつくったのだが、なんといってもその重さに驚いたものだ。薪ストーブ前史⑨栗の薪割り - 薪ストーブクロニクル
それまで針葉樹ばかり割っていた身には、この重さと手応えの違いに驚き、そしてワクワクしたものだ。これが広葉樹か、これだけズシッとした薪ならさぞかし火持ちがいいのだろう、と。
それから4ヶ月。寒い冬を越えて身体も動くようになってきたので栗の薪を移動させようと思った。薪置き場を新たに整えていざ動かそうと栗薪を手に持ってみて、再び驚いた。ものすごく水分が抜けて、めちゃめちゃ軽くなっているのである。目隠しして利き薪をしたら「えーっと針葉樹かな?」と言ってしまいそうなほど、軽くなっていたのだ。
↑左側の一際高く積んだところが栗薪エリア。その右はほとんど欅(けやき)である。
確かに薪ストーブ関連の本やブログには、
栗…パチパチはぜる音は風情がある。火持ちは悪い
みたいなことが書いてあった。しかし、最初に栗を薪割りしていた時のあの重さしか印象にないため
「え、栗はすぐ燃え尽きるの?こんなに重いのに?うちの栗に限っては火持ちがいいんじゃないの?」
などと都合のよい解釈をしていたのだが、驚くほど短期間で水分がザバーッと抜けた印象だ。まだひと夏も越してないのに。
実際に大割りをひとつ、半分にして含水率を計ってみた。
フィスカースで割る。
意外と硬い。
と思ったら、節があったんですねー。
割った断面の中央部分の含水率を計ると、なんと13~15%と出た。もう完全に乾いてるやんけ。すぐにでも焚ける。
導管が長い栗は実に簡単に水分が抜けていくんですね。そしてめっちゃ頼りない重さになっちまうわけだ。
とはいえ焚いてみるまでわからない。実際に焚いたらどんなことになるか、楽しみだ。
なにより、パチパチはぜる音がどんな風に聞こえるのか、それが楽しみだ。
薪割りをしていると・・・
薪割りをしていると、時々村のおばあちゃんが声をかけてくる。
「きれいに積んであるなぁ、にいちゃん。やっぱり捨てるのももったいないしなぁ」
「ええ、そうなんです」
「毎日焚くとたくさん薪がいるからなぁ。風呂焚くんやろ」
「いえ、これは暖房用なんです。薪ストーブに使うんです」
「そうけー。暖房に?」
「はい、だからたくさん割らないと」
こんな感じだ。
実家のある集落は昔から続く農村だ。風呂焚きはほとんどの家で薪を利用していたし、今でも薪で風呂を焚く家は残っている。
しかし、薪ストーブ用の煙突を見ることはない。薪ストーブはまだこの集落にはやってきていないのだ。我が家がこの集落の薪ストーブ第一号のようだ。
薪ストーブ前史26 喫茶店ロング玉を割り終える
正月に知り合いの喫茶店でいただいて、ボチボチ割っていた80㎝のロング玉?半割り?の木材。
2月までに、チェーンソーで全て40㎝以内の長さに切り揃えておいたのだが、そこからなかなか全部を割り終えることができなかった。なんといっても数が多い。そして、カラカラに乾燥していて、めっちゃ手強い。
しかし、そろそろ春が近づいてきた。ということは、薪割りばっかりしている場合じゃなくなってしまう。どういう事かと言うと、夏野菜の作付が始まる季節なのだ。
トマトやキューリ、ナスにオクラ、ピーマンや唐辛子など、夏の暑さを乗りきるための野菜を作るため、土起こしをそろそろ始めなければいけない。
もうそろそろ割り終えねば!
ということで割って輪って割りまくった。
そして全部割ったら、裏の薪棚がこうなった。薪棚といってもただ積んだだけだが(汗)。
いやー、多くても全部で1.5立米くらいのものなんですけどね。それでもこれだけの木をポンといただけるなんて、なんて素敵なお年玉だったんだろうと、つくづく思った。
この薪は割った瞬間からすでに含水率が20%を切っているカラカラの薪なので、次の冬の即戦力となってくれるはずだ。
よし来い!
早く来い!
次の冬!!
ど根性水仙
実家の庭に水仙が咲く季節になった。
昔からなんとなくこの花が気になっている。好きというほどではないのだが、なんとなく気になる、というレベルだ。
そもそも花には全然詳しくないし、名前もほとんど知らない。さらに言えば、薪割りを始めるまで、樹種だってろくに知りもしなかった。というか全く興味がなかった。それが、薪割りを始めた今となっては、「木材樹皮図鑑」なんていうマニアックなものが欲しくなっているのだから、自分でも呆れてしまう。
さて、話を戻して、面白い、というか可哀想な水仙をみつけた。
掘り忘れて打ち捨てられた球根からでた芽が花を咲かせたのだ。
もっと接写してみる。
分かるかな?つくしが生える土からむき出しの球根。そこから茎が延びて花を咲かせている。
可憐なイメージもそこはかとなく漂う水仙だが、結構根性があるじゃないか。
夏野菜の播種①(トマト、ナス、万願寺)
薪ストーブと全然関係ない話で恐縮だが、夏野菜の種まき第一弾をした。このブログのコンセプトは食とエネルギーの自給を目指すことだ。エネルギーの、それも暖房の部分に関しては、石油エネルギーではなく薪を使うということで自給の第一歩を踏み出したが、食に関してはまだ手付かずの状態だ。そんな食の自給に向けた最初の一歩をようやく踏み出せた。それが、夏野菜の種まきだ。
品種によっては2月から3月のかなり気温が低い時期に種をまかないと、真夏のベストシーズンに収穫できなかったりするので、なかなか時間がとれなくて焦っていた。3月の終わりにちょっと遅ればせながらではあるが、種まきすることができた。
農業の世界で種まきをすることを「播種(はしゅ)」という。専門用語っぽくてかっこいいので?タイトルに使ってみた。しかし、夏野菜を種から育てるのは、実はこれが初めて‥一体どうなるのか、不安と期待でいっぱいだ。というか、ほぼ不安でいっぱいだ(笑)。
まだ集合住宅に住んでいるので、目下のところ畑なしの生活だ。なのでベランダでの作業となる。これが狭いので結構腰に来る。気を付けないといかんなぁ。
まず、豆腐などの空きプラケースをいくつか用意してそこに腐葉土を入れる。上の写真は筋を入れてそこに2㎝ぐらいの間隔で一粒ずつ撒いて、上からさらに土をかぶせて水やりをしたところだ。
今回撒いたのは、トマト三種類と青ナスと万願寺唐辛子だ。トマト三種類は、大玉のマーマンドという品種と、イエローミニトマト、そしてブラジルミニというミニトマトだ。
青ナスというは、こんなナスだ↓。
馴染みのない品種だとは思うが、意外と実が柔らかくて美味しいのだ。日本の昔からの在来種なので大事に育てたい。
四月の愚か者
今日は四月の愚か者。
日本で、世界で、愚か者たちが踊り、はしゃぐ。
あるものは札束を握りしめて化学プラントを動かし、あるものはデスクトップをにらみながら悪態をつく。
あるものは未来へとかかる橋を焼き落とし、あるものは過去を都合よく書き換える。
愚か者たちがまたやってるぞ。
性懲りもなくやっている。
神様になった気でやっている。
ドローンを操り、豪華客船を操り、学園を操る。
種子を操り、生殖を操り、宇宙の摂理を操る。
きっと操るつもりで操りそこねて、失敗するだろう。
それも嘘で固めて誤魔化すだろう。
正直者が携帯電話の爆発に巻き込まれて死ぬ。
その遺体は焼かれ、灰になり、田畑にまかれる。
苗が植えられ、稲が育ち、米が実る。
残り少なくなった農夫たちが収穫への感謝をささげるだろう。
その風景全てを大型重機がのっぺらぼうに塗りつぶす。
塗りつぶす。
塗りつぶす。
四月の愚か者たちが今日も世界のバランスを少しずつ、しかし着実に崩していく。
それはジェンガか、黒ひげか。
ドミノ倒しの会場に紛れ込んだ酔いどれソーリ。おっとあぶない、気をつけて。カードゲームとご一緒したまま地球儀を壊しちまうよ。
四月の愚か者たちの胃袋を充たすのは、正直者の農夫たちの米だ。
正直者の農夫たちを温めるのは、素朴な薪ストーブだ。
陽気な農夫たちは、世界が壊れゆく姿を見ながら、それでも今年も種を蒔くだろう。
それなら俺は薪でも割ろう。
世界が壊れゆく姿を見ながら、それなら俺は薪を割ろう。そして、ほんの少しずつ種を蒔こう。正直者の農夫を真似て。
今日は四月の愚か者。
今日は四月の愚か者。
今日は四月の愚か者。
そんなことをうそぶく
今日はエイプリルフール(四月の愚か者)。