薪ストーブクロニクル

食とエネルギーの自給を目指して

栗について①「栗拾い」なんて表現がおかしい、「栗落とし」だ。

近所のおっちゃんに声をかけてもらって、栗拾いをしにいくことになった。

 

栗拾いとは言うものの、軽トラに脚立と高枝ばさみを長短2本、それに軍手を積み込んで、出発だ。

この装備は、どうやら拾うだけではないらしい。

 

おっちゃんが言うには、木の高いところにあるイガ栗なんかはまだ若くてイガに裂け目がなくても、猿が全部食べてしまうので、早めに採っておいた方がいいみたいだ。

 

現に、去年、一昨年と、猿にすべて食べられて、相当猿たちを恨んでいるらしく、

「今年は猿を出し抜いたったぞ」

と本当に嬉しそうだった。

 

しかし、高枝ばさみでイガ栗を落として、実を取り出す作業は、思いの外重労働で、日中の暑さがピークの2時頃に作業していたこともあり、かなりハードな収穫作業となった。

やれやれ、これは「栗拾い」なんて表現は絶対おかしいぞ。

確かに最終的には拾うことになるけど、地面に落ちている栗は、猿に食べられてなくなっているか、虫が食べて穴が開いている。

栗は拾うのではなく、落とすのだ。

これからは栗の収穫は「栗落とし」に改名した方がいい。

 

それでも、大きいイガから見事な栗の実が採れたときは、思わずテンションが上がった。

猿からヒトへ、確実に継承される、この生存のための微妙な感情。

縄文人たちもこんな気持ちを抱えて栗を採ってたんだろうなぁ。

 

収穫したのは以下の通りの量だ。
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さて、この栗をどうしようか?

以下次回。