薪ストーブクロニクル

食とエネルギーの自給を目指して

薪ストーブ原生代43 エネルギー垂れ流しと薪のパワー

薪ストーブの季節が終わろうとしている。

あと少し、焚いたり焚かなかったり、という日々がしばらくは続くはずだ。

しかし、やがては季節が変わり、薪を焚かなくなる。うーん。色々思うことがある。

 

ちなみに、季節の移り変わりを感じさせる画像を一枚。
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これは雪男が運転をしているところ...

ではなく、うちの犬と車で花見をしているところだ(笑)。

 

さて、本題に戻ろう。

この時期は、薪のエネルギーのありがたさを特に実感する。

なぜかと言うと、焚かない日は薪エネルギーを利用できず、ガスや電気をいかに垂れ流して使っているかを痛感せずにはいられないからだ。

 

不完全とはいえ、オフグリッドな生活を始めると、日々のエネルギー消費に敏感になる。

ガスや電気や水は、無料ではないけれど、普通に使っていてもさほど高くないので、以前はさほどその消費に意識が向かなかった。

しかし、自分でエネルギーを創るとなるとそうはいかない。

 

夜に温かいお風呂に入るためには、一日たっぷりの太陽が屋根に載せた温水器に燦々と降り注ぐ必要がある。

真冬に暖かい部屋でぬくぬくと過ごすためには、木を伐って玉切りし、斧で割って棚で1年以上乾燥させる、という途方もない労力がかかる。

 

無駄遣いなんて、考えられない。

エネルギーは大切に使うのが、当たり前になる。

 

そして以前の暮らしを省みて、なんとエネルギーを垂れ流していたんだろう、と忸怩たる思いにかられる。

 

何が言いたいか?

 

いまさらエコでもないだろう。

 

ただひたすた単純に、自分で作り出したエネルギーで暮らすことに魅了を感じる。

なんつう充実感。

 

おそらくこれが「生きる」ということなのだろう。そんな大袈裟な気持ちになる。

 

無尽蔵にあるものに、誰もありがたみなど感じない。

そして、当たり前だけど、電気もガスも水も、無尽蔵にあるようだけど、実際は無尽蔵なわけがない。

 

やっぱりエネルギーを垂れ流す暮らしはどこかで破綻を来すだろう。まあ、それはいい。

それより、自分で作り出したエネルギーを大切に使いながら暮らすことは、言いようもなく魅了的だ。

 

さて、そこで我らがオフグリッド生活のフラッグシップ、薪ストーブの登場だ。

薪ストーブで作り出せるエネルギーってなんぼのもんじゃい。暖房だけやろ?って突っ込まれそうだが、焚かない日が出てきて始めて、こんなに薪エネルギーの恩恵を受けてたのかーと思いを新たにしたわけだ。

つまり、電気とガスの両方の仕事を薪ストーブに担ってもらっていたのだ。

 

まず、当然のように湯沸かし。

そして、電子レンジの代わりに蒸し器を天板に置いての、ごはんやおかずの温め。

そして、汁物やカレー、ゆで卵にゆで野菜などのガス調理の代わりまで。

ガスを全く使わずに晩ごはんができる日もあったのに、ストーブを焚かないこんな夜は、あれもこれも全部ガスをゴーゴー使って調理せざるを得ない(電子レンジはもうないからね)。

 

ガスが悪いというより、こんなにもガスをじゃぶじゃぶ使って調理してたんだーと思ってしまったのだ。まるで稲垣えみ子さんのように。

 

プロパンガスに入っているガスはどこからきてるんだろうか。

と、調べてみたら、サウジアラビアUAEからの輸入で全体の6割を占めているらしい。

わざわざそんなところから冷やして液化させてタンカーでえっちらおっちら運んでくるわけだ。

なんと贅沢な。本来は無尽蔵に使えるわけがない。

我が家の薪なんて、軽トラで5分の場所から伐り出してくる。近さだけなら、ダントツだ(笑)。

 

でも、暖かくなれば、どのみち薪ストーブは使えない。

あと少し。

なんとも寂しい。

 

しかし、春の暖かさは大歓迎だ。

贅沢なプロパンガスを大切に使いつつ、春の陽気の中で薪割りにいそしもう。