オフグリッド入門⑩ 完結編~セミオフグリッドで行こう
これまでオフグリッドについてはちょこちょこ書いてきた。
4年ほど前にそのコンセプトを耳にし、共感して、自分の暮らしにどう落とし込んでいこうか、新居を実験場として色々と考えてきた。
まず、一番の理想は完全なるオフグリッドの暮らしを実現することだ。
配電線からの電気の供給を止め、自立した蓄電装置を家に配備して、屋根には必要充分なソーラーパネルを並べる。
暮らし方にもよるが、ある程度の大きさの蓄電池を備えておけば、毎日テレビを見て、電子レンジを使って、こたつやエアコンで暮らせる快適な生活を送れる。
たとえ災害で大停電が長く続いても、涼しい顔をして日常を送れる。
少なくとも台風の停電の度に冷凍庫の食品が溶けるのを心配する必要はない。
寒さに凍えることもない。
オフグリッドのゴールはここにあるのだろう。
それは分かる。
ちょっとオフグリッドについて噛ればすぐ分かる。
でも、それは何気にハードルが高いということも同時に分かってくる。
すっきりとしたオフグリッドハウスに住みたいなら、家を建てる段階でそういう家にするための設計が必要になってくる。
我が家は少し事情もあったが、オフグリッドについて何ら考慮されることなく建てられた家だ。
オフグリッドについて考慮されることなく建てられた家でオフグリッドな暮らしをするにはどうすればいいか。
自エネ組さんに頼むというのがベストな選択肢のように思う。
彼らのコンセプトは非常にクリアで、共感もできる。
なるべく今あるものを活かして、うまくオフグリッド生活を実現しようという提案は、新鮮で魅力的だ。
しかし、それでも最低200~300万円ほどの予算がないと設備をつけることができない。
いや、この値段が高いと言いたいわけじゃないんです。
ただ、経済的なメリットで行動することが多い大多数の人に、配電線とお別れするために300万円必要ですと伝えて、「そりゃ安い!」と即答する人がどれぐらいいるんだろう?という疑問が湧いてくる。
それだけのお金を出す価値があるのは個人的には理解できるんだけど、爆発的に世の中に広がって行くんだろうか、というと、難しいかもしれない。
難しくないかもしれない。
まあ、それはともかく、我が家に適したもっと違う形のオフグリッド生活はないだろうか、と、ここのところ手探りで色々やってきて、方向性が少し見えてきた。
ここまで色々書いてきた通り、我が家には持ち運び可能なポータブル電源と折り畳み式のポータブル太陽光パネルで電気を賄っている。
暖房はもちろん薪ストーブ。
給湯は、天気に左右されるという点は不完全ながら、太陽熱温水器で作っている。
緊急時の水確保には、本当なら井戸が欲しいところだけど、ないので、雨水タンクで貯めている。
ポータブル電源と太陽光パネルの組み合わせは予算的には20万円でおつりが来たので、先日国からばらまかれた給付金で足りた。
蓄電装置と屋根に設置する太陽光パネルの10分の1以下だ。
もちろん、性能もいささか物足りなくて、暮らしを一から見直さないと、到底生活が成り立たない。
でも、電気という、いままで当たり前に使いまくってきたものをじっくり見直す素晴らしい機会に恵まれた。
いやー、人間、こんなくだらないことに電気を使うために、制御もできない原発をあんなにたくさん作りまくって来たのかーと切ない気持ちになった。
まずは節電ゲームから始めた。
どれくらいの電力があれば暮らせるか。
そして、節電が当たり前になった時点で、太陽光パネルとポータブル電源を導入。
結果的には、我が家の20万円の自家発電システムで賄えない電気は、月に約30kwh(月額900円ほど)。
おおよそ冷蔵庫と給湯の設備用だけが無理だった。
それ以外の照明も含めたほぼ全ての電力が我が家のしょぼい自家発電システムで賄えたのだ。
もちろん、雨や曇りの日が続けば、大好きな音楽鑑賞はアンプラグド(つまり自分の下手な演奏)で我慢することになるし、テレビのような贅沢な電力の浪費はもってのほかだ。
逆に晴れが続けば、毎日DVDで映画を観ることも夢ではない笑
なんと言ってもDVD鑑賞が一番の電力消費だ。パソコンもボディーブローのように効いてくるけど、DVD鑑賞ほどの覚悟は要らない。
そんな我が家で停電が起きたらどうなるだろうか。
一番心配しているのは、停電に気付かないことだ。
完全オフグリッド生活なら、停電に気付かないことは何の問題でもない。
停電によって我が家に起きる変化は、冷蔵庫のモーター音が止むこと、それだけなのだ。
うっかりしていると、その変化に気付かないだろう。
そして、冷凍庫の餃子やコロッケが溶けてドロドロになるだろう。
運よく停電に気づくことができたら、満タンになったポータブル電源で丸一日くらいは冷蔵庫を動かすことができるので、その間に冷凍食品を食べていく順番について対策を立てたり、次の日の晴れを利用して数日間、冷蔵庫を延命させられる。
屋根に設置する太陽光パネルより唯一強みがあるとすれば、スーパー台風などのとんでもない災害の時、バッテリーもパネルも室内の安全な場所に保管できるので、設備が破壊される心配がないという点だろう。
ほとんど負け惜しみだけど笑
全国にばらまかれた給付金程度の予算と節電の習慣さえあれば誰でもできるセミオフグリッド。
よかったら、みなさんも試してみませんか?
試しませんよね笑
薪ストーブオルドビス紀② 回せ回せ、経済を回せ!キノコの世界。4年目の初焚き。暖かい秋
気がつけばもう師走が手の届くところまで来ている。新しい薪ストーブシーズンが始まったというのに、ブログの更新は完全に凍結されていた。
いやー、毎晩楽しく薪ストーブライフを送ってるんだけどなぁ。
10月9日に初焚きを済ませて、10月は7回焚いた。11月に入るとほぼ毎晩焚いていた。この数日は暖かい日が続いてしばらく焚かずの夜を過ごしたけど、また寒くなって焚き出した。
天板の熱エネルギーはフル活用され、炎に癒され、猫たちはあまりの温かさに惚けたように眠りこけている。
薪ストーブブログを書いてきてはっきり分かったことがある。少しずつマイナーチェンジはしているが、毎年同じことの繰り返しなのだ。
例年と違うことがある時は大概、トラブルに見舞われた時だ。
そして、ここが肝心なんだけど、毎年同じ事が繰り返せるという事、その事実が、薪ストーブライフに置いては何よりも尊い事なのだということも分かってきた。
9月になって涼しくなってくると、今シーズン焚く薪を用意し始める。
寒くなってきたら、ぼつぼつストーブに火をいれはじめる。
本格的な冬が来て、寒さに震えながらも、薪がたっぷりあって暖かい冬が過ごせそうだと嬉しくなる。
厳冬期、クヌギやコナラの薪で薪ストーブは全力投球。ポカポカの部屋の中。
春になって、暖かい日が続くようになると、やがて薪ストーブのシーズンが終わる。
この、薪ストーブユーザーにとっての、まあ言ってみれば「暦」のようなものが、毎年繰り返される事が最高の幸せなのだ。
薪が足りなかったり、冬がやけに暖かかったり、薪ストーブが不具合を起こしたり、ということなく、毎年同じことをこれからも繰り返していきたいと思う。
できればブログで特筆すべきトラブルに見舞われることなく。
そんなわけで、ブログでは伝えられてないけれど、この秋も、我が家では薪ストーブでぬくぬくとした日々が無事繰り返されてきた。
しかし、ふと外に目を向けると、繰り返されるのは諸行無常。
コロナウイルスは相変わらずニュースや新聞の誌面の多くを占拠し、選挙といえばアメリカ大統領選挙は予想通りゴタゴタを繰り返し、やれそのドサクサに紛れて香港は民主主義を失い、我が国でも種苗法が改正されようとしている。
民主主義が世界各地で不都合を露呈して、共有された幻想を基にした資本主義は日々いびつさを増している。
人口が増えすぎて、他の統治方法がないのだろうけど、個人的にはこんなクソみたいな幻想を基盤にしたシステムにどっぷり浸かることだけはごめん被りたい。
経済を回さなければ世の中が立ち行かなくなっている時点で、少し前の時代より現代社会が劣化、退化していることは明らかだ。
トラブルに見舞われて、一旦止めて様子を見ることなんて、少し前の時代までなら当たり前にできたことだ。
システムとシステムががんじがらめになって様子見もできない時点で、今の世界が進んでもいなければ、優れてもいないことがはっきり分かる。
でも他にどうしようもないと思っているから、その破滅に向けて止まらないシステムの中で、経済を回せ、経済を回せ、と念仏のように唱えているんじゃないかな。
じゃあどうすればいいと言うんだ、とあなたは言うかもしれない。
これが超簡単で、既得権益を手放すだけでいいのだ。
僕たちはありとあらゆる既得権益に囲まれて暮らしている。社会のインフラ、科学技術、輸送通信システム…
一気に全てを手放したら、システムの外で生きる能力がほとんどなくなった現代人(僕も含めてだけど)はすぐに路頭に迷うだろう。
でも、少しずつ手放しながら、システムに頼らず生きる知恵を身につけていくならば、誰にでも可能だと思っている。
これはコロナウイルスを念頭に書いているわけじゃない。
こんな内容の記事はコロナ以前から書いてきたし、コロナウイルスが諸悪の根源というわけでもないからだ。
実際の世界は、コロナが完全に収束したとしても、いや、コロナが収束したならば余計に鮮明にその悲惨さを露呈するはずだ。
薪ストーブが教えてくれたことがあるとするなら、経済を回さなくても人間は幸せに暮らせるかもしれない、という可能性だ。
経済が回らなくなって、人の動きがなくなれば、良いことがたくさんあるのに、誰もそんなことには目を向けない。
システムがそれを許さないからだ。
こんなことを書いても仕方ないし、もちろん、世界を変えることはできない。
でも、時々こういう戯れ言を書きたくなるのよねー笑
まあ、なるようにしかならない。
そんなことより、身近なビックニュースだ。
山の林道そばに、食べられるキノコが発生している場所を教えてもらった。
ヒラタケだ。
山で見つけたほぼ人生初の天然のキノコ。
桜のような倒木にびっしり生えていて、幼菌もまだたくさんあったから、もうしばらく楽しめそうだ。
これ↓が幼菌。
ヒラタケは、鍋や豚汁に入れた。クセがなくて滋味深い感動的な美味しさだった。
キノコハンターが危険をかえりみず、山にどんどん入っていく気持ちがよく分かった。
後日、天ぷらにして、再度食べた。これまた美味でした。
そして家のホダ木からはナメコがボコボコ発生していた。
ちょっとでかいけど、食べ応えがあってうまかった。
さて、おまけみたいだけど、薪ストーブのことも書いておこう。
今年も我が家の天板は大忙し。
スペースは常に取り合い。
薪ストーブの火に癒され、今日も眠る。
猫たちも眠る。
薪ストーブオルドビス紀① 薪ストーブ焚いて四年目。ますます高まる初焚きへの期待感
暑かった8月も過ぎ去って遥か遠くに霞み、我が家の猫たちが夜、布団に温まりに来たり、膝に乗ったりするようになった。
薪ストーブシーズンがまたやってきたということだ。
ちなみに我が家の猫たちは、室温22℃になると、人間に暖を求めに来るというデータがある。
真冬に薪ストーブを焚いた時の快適温度はだいたい23℃。
薪ストーブを焚くようになると、猫たちは人間ではなく、薪ストーブで暖をとるので、「寒いよ寒いよ」とホモサピエンスにすり寄ってくるのは、本格的な秋が来て涼しくなってから、薪ストーブを焚くようになるまでのわずかな期間だけだ。
その間だけ、我が家の猫たちは、やたらとかわいい存在になる。
ういやつ、ういやつ。
薪ストーブを焚けば、その蜜月関係は即刻終わる(笑)。
さて、そんな愚痴を言いたかったわけではない。
9月になり、新しいシーズンが始まりを告げた。
今シーズンは通称「薪ストーブオルドビス紀」。
オルドビス紀は地球の歴史において、始生代、原生代に続く古生代の2番目の区切りだ。
つまりカンブリア紀の次の時代。
このブログでは、なんとなく薪ストーブのシーズンを地球の歴史に重ねるというむやみに大胆な試みをしている。
シーズン1は「薪ストーブ始生代」
シーズン2は「薪ストーブ原生代」
シーズン3は「薪ストーブカンブリア紀」
そして今シーズン、シーズン4は「薪ストーブオルドビス紀」なのだ。
誰がなんと言おうと、そういうことにしておこう。
化石が残るぐらいの骨の組織を持った生き物が爆発的に増えたカンブリア紀から一転、オルドビス紀には、オウムガイや三葉虫が栄えたあと、地球の歴史上、最初の大量絶滅が起こる。
気候変動や、その他様々な原因で、生物種がほとんど死に絶えてしまうのだ。
地球の歴史では、現代までにオルドビス紀に起きたような大量絶滅が5回起きている。
これはあくまでも、いままでのところ5回、という意味だ。
もうすぐ6回目の大量絶滅が起きたって、何もおかしくない。
環境が劇的に変われば、それまでの環境に適応していた生き物はほとんど生存できなかったりしても不思議はないからだ。
ゴーギャンの絵のタイトルじゃないけど、
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
という気分だ。
本当に、どこへ行こうとしているのだろう。
さて、それはともかくその4回目の薪ストーブシーズンが始まった。
最初にすることは、玄関の薪運びの動線上に、移動できる薪棚を設置することだ。
薪棚を置けば、今度はそこに積む薪を手配しなければならない。
今シーズン最初に焚く薪はどれにしようかな、と考えみたが、やはり山の薪置き場に保管してある、結構昔に割った雑木の薪にしよう。
これは軽トラで目の前までアクセスできるので、奥さんを連れて取りにいった。
ススキみたいな背の高い草に囲まれて、やばい感じだけど、ちゃんと乾燥はできているはず。
屋根を二重にして、厳重に雨対策をしている。
せっせと軽トラにぶん投げていく。
どんどん積んで、軽トラ満タン。
満タン。
満タン。
これだけあれば、玄関前の仮設薪棚は埋まるはずだ。
まだ少しここの薪が残った。
寒くなければ、今シーズンにもう一度取りに来よう。寒くて、取りに来る気にならなければ、ここに来るのは、また春頃になる。3月4月の微妙に寒い時期、いつもあと少しの薪が足りなくなる。
その時に、ここに薪があると、助かるのだ。
さて、この山には、細くて割らずに乾かしている腕薪がたくさんある。
こいつらを焚くのは五年後か?十年後か?
さて、家まで持ち帰った薪。
軽トラのまま、仮設薪棚の目の前までアクセスできた。
ここにせっせと積んでいく。
軽トラは空っぽ。
はい、ぴったり薪棚が埋まった!
今シーズンは焚き付けもかなりしっかり準備した。
備えはこれで万全。
あとは初焚きがいつになるか、それだけだ。
畑では、巨大な冬瓜と小ぶりなカボチャを収穫した。
その子たちは、しばらく寝かせておいて、冬に薪ストーブの上でコトコト煮込んでやるぜ。
薪ストーブも4年目。
しかし、このワクワク感はなんだろう。
真夏は薪ストーブの出番なぞ、考える気にもならないけど、肌寒くなってきて、やっぱり今年も薪ストーブの出番を心待ちにしている。
ワクワクして、そわそわしている。
今年は3年ぶりのラニーニャ現象で、厳冬らしい。
久しぶりに、全力で焚かないと厳しい冬になるのだろうか?
薪は足りている。
充分に足りている。
薪ストーブには、存分に暴れてもらおうじゃないか。
やっぱり、四年経っても相変わらず、ワクワクしてそわそわするなぁ。
薪ストーブカンブリア紀⑱ 梅の土用干し。薪棚オールモスト フル
今年も無事に土用干しをすることができた。
全然土用じゃないけど。
今年の土用の頃は、雨ばかりで、ほとんど太陽を拝めなかった。
そしてそもそも、まだ赤紫蘇が大きくなっていなかったので、紫蘇漬けが完了していなかったのだ。
畑から赤紫蘇を刈り取り、洗って
半日ほど乾燥。
梅酢に合わせて、梅と一緒に漬けてしばらく放置。
ようやく梅干しらしくなってきた。
そして梅雨が明けたら今度は晴天続き。
土用干しはいつでもオッケー。
そんなわけで今年は律儀に三日間みっちり土用干しをしてみた。
初日と三日目では梅の色合いも変わってきた。
これが初日の梅で
これが三日目。
色がぐっと落ち着いてきている感じがする。
時々梅を裏返すのだが、手で持った感じの柔らかさ、そして色や香りなど、過去最高の梅干しの予感がプンプンする。
例年は小雨に降られたり、曇りが続いたりして、満足に三日間干すことがなかなかできなかったりするのだが、今年は本当に毎日が土用干し日和。
暑くてたまらないけど、梅干しには最高のお盆なのでした。
さて、前回の記事でやたらと我が家の周りの薪棚の画像を載せて紹介したのだが、肝心なことを書くのを忘れていた。
つまり、ここ何年か、どんどん薪をもらってくるたびに家の周りを薪で埋めていったのだが、もうほぼ置く場所がなくなった、ということが言いたかったのだ。
今年は恒例のお盆の玉切り大会もしなかった。まあ、半分は暑さのせいだけど、玉切りしても、家で割ったら置く場所がないというのが大きな理由なのだ。
つまり「薪棚 オールモスト フル」。
ちょっと前にポールマッカートニーのアルバムで『メモリー オールモスト フル』っていうのがあったけど、あれは、「人生を重ねてきて、思い出がいっぱいすぎてもう俺の脳のメモリーはほとんど満杯なんだよね」っていうやや切なげなニュアンス。
我が家のオールモストフルな薪棚は、この冬にまた薪ストーブを焚くことで薪はどんどん消費され、薪棚全然フルじゃなくなるので、別にポールのような切ない感じは一切ない。
しかし8月もあと少しだ。
このブログでは薪ストーブのシーズンを9月から来年の8月まで、と定義しているので、あと10日ほどで新シーズンの到来だ。
畑での活動はやたら活発だけど、おそらく8月いっぱい、薪ストーブ関連の動きはないと思われる。
薪ストーブカンブリア紀の記事はたぶんこれで最後。
また新しいシーズンにはちょろちょろ書くことも出てくるだろう。
っていうか、涼しくなってこないとやはり薪ストーブっていう雰囲気がでない。
薪活も、薪棚がいっぱいでは動きが鈍る。
この一年は、記事こそあまりアップしなかったけど、今シーズンもみっちり薪を焚いたし、幸せなシーズンだった。
トラブルもあまりなく、薪不足で家族が寒さに震えることもなかった。
夏が終わり秋から冬へ。
季節の移り変わりを楽しみながら、ぼちぼち薪を運んだり、焚き付けを用意したりしていこう。
薪ストーブカンブリア紀⑰ 薪棚と焚き付けと鹿の侵入と梅雨の終わり
長い長い梅雨が終わった。
我が家の駐車場では、朝のうちだけ咲く花が満開を迎えている。
それがこれだ。
いや、これだって言われても、ただのボーボーの雑草ですがな。
実はこの雑草らしきものを近くで観察するとこんな感じなのだ。
青い花びらが2枚、特徴的に開いている。
ツユクサだ。
日が高くなると萎んでしまうので、観察できるのは朝のうちがベストだ。
このツユクサ、さらに近くでよく見るとこんな造形をしている。
青い花びらの下に黄色い小さな花びらがいくつもセットになって、その下に弁のような長いものがびょーっと伸びている。
この花。何かに似てると思いませんか?
そう、資本主義社会の超強力アイコン、ミッキーマウスだ。
わざわざディズニーリゾートに出かけなくても、我々は自分たちのミッキーマウスと庭先で毎朝出会っているのだ。
まあ、それはさておき。
ヘビー級の梅雨前線が、各地に爪痕を残して、ようやく日本から立ち退こうとしてくれている。
長い間、太陽光での充電ができず、忸怩たる思いのまま、なんとか電気をやりくりしていた。
無理をしてDVD鑑賞をしていた時は、終盤のいいところで「プツッ」と突然画面が真っ暗になって、映画鑑賞が強制終了させられたこともあった。
大手の電力会社からの電気を使って洗濯するという、実に屈辱的な事件も起きた(※)。
ここまで屈辱的な出来事は、カノッサの屈辱を別として他には有史以来ないはずだ。
※あくまでも我が家の生活ルールに照らし合わせて屈辱という意味で、電力会社の電気で洗濯するのが悪いとかそういう類の話じゃないよ、念のため。
さて、しかし嬉しい太陽。
太陽のあまりの嬉しさに朝ごはんも妙に豪華だ。
そして外では太陽光パネルとソネングラスが目一杯太陽を浴びて発電してくれている。
お風呂は太陽熱温水器のパワーで毎晩これでもかというほど熱々に沸いている。
梅雨明けから、秋の冷ややかな空気に包まれる10月ごろまで、お風呂のお湯はおそらくいつでもスタンバイオッケーの状態が続くはずだ。
ありがとう太陽。
できれば程々のパワーで地球を温めて欲しいけれど、あなた、お加減を知らないから、またえげつない暑さになるんでしょうかね。
でも、この暑さがないと、米も野菜も期待できないから、仕方がない。
さて、このブログ。
薪ストーブブログのはずなのに、全然薪割りしてないやないか、次の冬は乗り切れるのかい。どうなんやねん。
というお叱りが聞こえてきそうなので、我が家の薪棚の状態をじっくり見てもらって、安心してお帰りいただこうと、まあ、今回のブログはそういう趣旨でお送りしようと思っている。
我が家の薪置き場はいくつかのカテゴリーに分かれている。
まずは駐車場横に独立して設営された屋根付きの薪棚。
通称「薪棚1号機から3号機」。
まずは1号機。
前後2列。前面は全てコナラで埋め尽くした。
70年代のソウルミュージックよろしく、かなり木口が黒々としてきた。後面にはクヌギやケヤキなどの雑木が控えている。
そして薪棚2号機。
ミョウガ畑の横に控える少し小ぶりな薪棚。
後ろにクヌギ、前にコナラ。全て大割りで割ってある。まだ乾燥中の薪だ。
そして、薪棚3号機。
左にはクヌギやナラの中割り、そして右側のブロックには小割りが積んである。
小割りは制作途中だったので、まだ割る前の杉ヒノキが一緒に積み上げてあるが、これはこのあとすぐ小割りにした。詳しくは後ほど。
さて我が家の、薪カテゴリー。その2は母屋の周りに井桁で積んだ薪棚たちだ。
母屋A
母屋B
母屋C
母屋D
あとは撮り忘れてけど、針葉樹専用の薪棚に2立方ほど杉ヒノキの大割が入ってる。
ここらの薪は全て少しずつ井桁で積んだ。
昔井桁でたくさん積みすぎて薪棚崩壊を起こした苦い過去があるのだ。
そして樫さん専用薪棚。
一番棚
2番棚
3番棚
梅の木やクルミの木に隠れてろくに見えないけど、オール樫の贅沢な薪棚なのだ。
さて、続いて、離れと農機具小屋の周りの薪たちのカテゴリーだ。
まずはコナラの薪棚が一番目立つ所に見せ薪として置かれている。
そしてクヌギの見せ薪。
しかしよく見るとつまみ食いをした跡がある。
外での焚き火の時に、火力がほしくてすこしへつったのだ。
そしてさらにクヌギ。
地生えトマトが邪魔をしておる。
そして栗の薪が入った素朴な薪だな。
農機具小屋の後ろには焚き付け置き場を作成中。黄色いコンテナの中にも様々な形状の焚き付け類が収まっている。
そして最後に長さが20センチ以下の短小薪の為の薪棚。
こいつらは、薪ストーブの火着けのスタート時に、うちの薪ストーブの短めの奥行きに合わせたセットを組む時に活躍する。
焚き付けには同じ長さだけでなく、短めのものも役に立つのだ。
さて、我が家の家周りには現状でこれだけの薪がある。
そして、山の方の第二薪場には大量の枝薪、腕薪が十年後の出番のためにのんびり乾燥中だ。
来るべき冬への備えはぼちぼちはかどっている。
それよりも、ちょっと遠い場所に借りている畑で事件が起きた。
小豆を蒔いて、順調に芽が出た、と喜んでいたら、
鹿に侵入されていた。
足跡もバッチリ。
そして、歩きながら小豆の新芽を食べていたようだ。
茎だけが無残に残っている。
これはなんらかの対策を講じる必要がありそうだ。
ジャガイモが無事に収穫できたので、安心していたが、そんなに甘くはなかった。
さて、久しぶりの晴れた休みを有効利用しよう、というわけで、薪棚3号機右側の焚き付け専用薪棚の残り作業を終わらせよう。
細かく割れていない薪をキンドリングクラッカーで小割りにしていく。
瞬殺。
そしてまたあった場所へ戻す。
びっちり小割りオンリーの薪棚になりました。とさ。
薪ストーブカンブリア紀⑯ 多忙を極める6月、煙突掃除を終わらせた。畑の話。お茶の話。
春が過ぎ、梅雨に入り、緊急事態も今や昔、とはいえ第二波に戦々恐々。
世界では感染者が1000万人突破。
いや、これは何か目に見えない思惑のために仕組まれたシナリオだ。
新しい生活様式が必要?
はっきり言ってどこ吹く風だ。
世の中がコロコロ変わろうと(実際のところ無駄にコロコロ変わっていく)、それを追いかけていくのは奴らの思う壺だ。
世界がこれから向かう方向は、ほぼ100%間違っていると断言できるけど、それに対応するには自立するための知恵がいる。
まだまだそんな大それたものは自分にはないけど、世界の後を追わないことだけは決めている。
今の世の中がおかしいことは分かるとしても、いつから、どんな風におかしくなってきたんだ?
アフターコロナ?
いや、もっととっくの昔からおかしかったはず。
こういう時は、原点に帰るのが大切だ。
そう、原点回帰。
食べ物なら米と醤油と味噌。
熱エネルギーなら薪と太陽。
文学なら源氏物語。
漫画なら手塚治虫。
音楽ならバッハ。
国のあり方で言えば古代ローマか。
原点こそが最高のものだったりすることがある。上に挙げた例で言えば、まさにそうだ。
これだけ年月を重ねて来ていながら、ちっとも進歩していないのだから困っちまう。
なのに、次々と新しくて、いままでにないものを求めてやまない。
そうしないと、資本主義社会は成立しないからだ。
一企業が資本の力で他国の法律をねじ曲げたり、国土を買い占めたりできる時代だ。
神の見えざる手が働いて、世の中を万事よろしく導いてくれるなんて、とてもじゃないがそんなナイーブな話は信じられない。
そんなこんなの世の中の物々しいニュースと比べて、今の季節になんといってもリアルな意味を持つのが「梅干し」を漬けることだ。
梅干しはリアルだ。
青梅を黄色くなるまで見守って、塩をする。
次第に透明な梅酢があがってくる。
この梅酢の重要性は比類がない。
スマートフォンの最新のアプリケーションより役に立つ。
梅干しはリアルだ。
もし、梅干しを漬けたことがないという人がいたら、絶対に漬けるべきだ。
梅干しを漬け始めた瞬間から、土用干しのためにざるの上に一個ずつ梅を並べて天日に当てている瞬間から、人生の景色が変わるのを実感できるはずだ。
土用干しほど生への実感を感じられることは、そう滅多にあるものじゃない。
薪割りに匹敵する、生への実感。
今年も土用干しが本当に楽しみだ。
そんなわけで、梅干しは、生きるために何が必要で、何が些末なものなのか、まざまざと教えてくれる。
・・・
そんなことを考えながら、日々忙しく暮らしていたら、あっという間に一年の半分が終わっていた。
このままでは、六月に一度の更新もないままに7月に突入してしまう。
いくらなんでもそれはご無沙汰すぎる。
春になれば常識的な人たちは薪ストーブのことなんて考えなくなるし、アクセス数も減る。
薪ストーブブログのニーズはあんまりないのが現状ではある。当たり前の話だけど。
とはいえ、このブログは薪ストーブのことだけ書いてるわけじゃなくて、むしろ薪ストーブと並列されるべき自給エネルギーの話や、食べ物の自給についてもバリバリ書いていきたいというのが、当初からの一貫した姿勢なのだ。
春になったからといって薪活をサボってられんのだ。
いや、サボタージュしていたわけではなくて、むしろ薪の確保、焚き付け乱造、煙突掃除と、薪ストーブ関連のピチピチした新鮮なネタは豊洲なみに豊富だったわけだが、それを記事にしている時間がなかった。
むしろ、薪ストーブ以外のことに忙殺されていた。
その一つが、畑だ。
畑仕事はもう四年目。
今年に始まったことではない。
でも、いままではどうしても薪ストーブのことが最優先で、春だろうが夏だろうが、薪の確保と薪づくりを最優先課題として取り組んできた。
そして、最近ようやく数年分の乾燥薪を用意する目処が立った。
引越した三年前は安普請の小さな薪棚ひとつと仮設の薪置き場が1カ所だけだった家の周りも、いつのまにか常設の薪棚が6つと、仮設の薪棚が8カ所。山の薪場にも薪棚が5カ所。
材積は15立米はくだらない。
やれやれ、これで3年間は安心の薪ストーブライフが約束されたぞ、という段になって、この節穴の目が畑に向き始めたのだ。
遅きに失した感はあるが、ともかく、畑だ畑、と。
この三年間、夏野菜を植えたものの、追肥も誘引も除草も潅水も、思い出した時に行き当たりばったりにしかしていなかった。
当然、野菜もできたりできなかったり。
今年の夏は、もっと畑と真剣に向き合おうと思ったわけだ。
5月から採れ始めた苺は、過去最高の収穫量だった。
これは、毎日苺畑のパトロールを欠かさなかったこともあるが、ちょうど苺が実る最盛期に運良く晴天の日が続いて、ナメクジにもやられず、綺麗なまま収穫し続けられたことが大きい。
今が旬の根菜類は玉ねぎだけは無様な失敗に終わったが、ジャガイモ、ニンニク、ラッキョウは自家用としては充分な量が確保できた。
ジャガイモ、ニンニク、ラッキョウの3種は、収穫がそのまま次回の種となるため、多めに採らなければいかない、というプレッシャーもある。
うまくいったのはよかった。
ラッキョウは梅干しや梅シロップなどと一緒に早速うちの奥さんが漬けてた。
甘酢漬けと塩漬けの2種類。
塩漬けして、土用干し干しを待っている梅も2瓶写っている。
まだまだ道半ばではあるものの、保存食が少しずつできてきている。
この夏はトマトソースもたくさんつくりたい。
さて、さらにさらに。
今年は世話をしている茶畑で茶摘みとお茶作りも初体験した。
もっとも、この茶づくり、全くいい加減に、作ったので、いわゆる緑茶でもなければ、番茶でもない。ちょっと中国茶に似た風情はあるが、野草茶と言ったほうが正しいかもしれない。
山の薪場にある茶畑。
そこで摘んだ茶葉。一芯三葉だ。
太陽で少し干してから、
5月の最後の薪ストーブの火入れの時に乾燥させた。
5月って、だいぶ前の話だな。
一応お茶らしきものができた。
これをフライパンで煎れば、ほうじ茶のようなものができるはず?
市販品とは全然違うが、これはこれでいい感じだ。
畑の野菜は艱難辛苦を乗り越えて(笑)なんとか無事に育っている。
夏野菜レポートはまた来月になるだろう。
最後に今年の煙突掃除について簡単に報告して、今日のブログを締めくくろう。
とは言っても、煙突掃除について毎年中身が変わるわけでもない。
出てくる煤の量もほとんど同じだ。
新聞紙で養生して、
口元の煙突を外して
ロッドを突っ込めば完了。
いつもそうだが、外すのは簡単なんだけど、元に戻す時にちょっと難儀する。
そして恒例の薪ストーブ本体や炉台の掃除もした。
ピカピカの新品、とは言えないが、まだまだ綺麗なネスターマーティン。
頑張れ、ネスターマーティン。
他の機種に乗り換える気はゼロだ。他とは比べようもないけれど、本当に素晴らしい薪ストーブ。何の不満も物足りなさもない。
なるべく大切に使って、一年でも長く現役でいて欲しい。
もし、このブログが続いているなら、ネスターマーティンがどれくらい長く使用に耐えるのか、そのレポートもできればいいのだが、えらく先の話になること間違いなしだ(笑)。
更新をサボったおかげで、何回分かのネタを一気に使い切ってしまった。
次回は膨れ上がった我が家の薪棚の紹介でもしようかな?
薪ストーブカンブリア紀⑮ 野草に開眼。畑も充実。焚き付けも作る
スーパーマーケットに行けば、今が端境期だなんてことを忘れてしまうくらい、ありとあらゆる野菜が棚に並んでいる。
だから、食べる野菜がないなんて言っても信じてもらえないかもしれない。
でも、確かに今は冬野菜と夏野菜の収穫期の境の、野菜が採れない季節だ。
春の野菜だってあるにはある。
春キャベツ、わけぎ、絹さや、エンドウマメ
我が家で毎日収穫できるのは、その中でも、絹さや、スナップエンドウ、そして萌芽を摘み取って食べるブロッコリーくらいのものだ。
お金を出せば、トマトだろうがカボチャだろうが、小松菜だろうが、なんだって買えるんだけど、自称オフグリッダーとしてはなんとか自分の庭で日々の食を賄いたい。
肉類はおいそれとは無理でも、野菜類はなんとかならないものか。
そこで、目をつけたのが、山菜と野草だ。
山菜はどちらかというと、春のご馳走の部類に入る。
フキノトウから始まって、つくし、タラの芽、コシアブラ、タカノツメ、わらびにこごみetcetc...。
てんぷらにして、食べれば、それこそ他の季節には食べられない味わい深さにため息が出る。
しかし、山菜はなかなか家の庭には生えていない。
そこで野草だ。
野草。つまり、言葉を変えれば「草」。もっと身も蓋もない表現を使えば雑草だ。
しかし、雑草とは。
この雑草という言葉ほど、現代の人間の独善とエゴを剥き出しにした呼び方もないだろう。
現代の暮らしに役に立たない草をまとめて雑草と呼ぶわけだ。
例えば我が家の「雑草」たち。
ウシハコベ、カラスノエンドウ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、ホトケノザなどなど
この草たちは土が酸性にもアルカリ性にも傾いていない、野菜の栽培に理想的なpHであることを教えてくれる。
ここにスギナがボーボーと生えくるようだと、土が強酸性になってるよ、というサイン。
お昼どき。
腹が減って、さあランチだ、となったとき、畑で絹さややブロッコリー、そして間引いた水菜やヒノ菜を摘んでくる。いや、これじゃ全然足りないぞ、となれば、ハコベやユキノシタも摘んできて、一緒にラーメンの具にしよう。
それぞれ、サッと茹でてラーメンにトッピング。
味噌ラーメンのちょっとこってりした味わいによく合う。特にハコベはシャキシャキしてうまかった。
こいつはハコベでチャーハンも作ってみても良さそうだ。
少し多めに摘んでくる。なんたって、勢いの良い草だ。庭になんぼでも生えている。
これを刻んで、チャーハンに。
これもうまかった。
ニンニクやネギの野生種みたいな野草、ノビルも刻んで入れている。
さて、お次はこごみの天ぷらを食べようと思ったけど、こごみの量が少なかったので、賑やかしに、これまた日陰にひっそり生えるユキノシタをたくさんとってきた。
鮮やかな赤色はポリフェノールだそうだ。
こちらも天ぷらにした。
サクサクして、クセはない。
エビセンかポテチのようだった。
その気になって探せば、庭にはたいてい、食べられる草が生えている。
スーパーで日々食べ物を調達していると見落としてしまいがちだが(まあ当たり前か)、多くの野菜が収穫期を迎えていない春にここまで豊かな山菜、野草の食卓が演出できるとは、いままで知らなかった。
しかも、栽培用にクセがないよう品種改良が繰り返されて栄養価がぼやけてきている今の野菜と違って、野草たちはめちゃ栄養豊富だ。
淡白そうにみえるハコベも身体に良い栄養で満ちあふれているし、ノビルは見るからに元気になりそう。免疫を高める硫化アリルもふんだんに含まれている。
コロナウイルスから逃げられない、という状況になったとき、唯一の対策は免疫力を高めてウイルスに立ち向かえる身体にしておくことだろう。
野草は間違いなく、今の季節に必要な栄養素を全て兼ね備えている。
摂取してみて、そういう実感がある。
さて、そうは言っても、野草たちが美味しいのはやはり春。
これから来るべき夏に向けて、大好物の夏野菜の仕込みは欠かせない。
まず畑を用意しないと。
いつもの畑はすでにこれ以上拡張不可能なまでに広げたので、ここは一つ、新たな畑を開墾しよう。
ターゲットはここ。
この隙間の様な裏庭を畑にしてみよう。
どうせ、使われるあてもない、デスゾーンなのだから。
で、とりあえず、畝のようなものは作ってみた。
ここに種を蒔いて育てている途中の夏野菜の苗のうちいくらかをそのうち植えてみよう。
さて、完全におまけみたいな付け足しだが、薪ストーブネタも少し。
焚き付け作りもしたよ、という話。
二部屋にわかれている薪棚3号機。
左は随分前にナラを中心にした薪が満載されている。
右は主に焚き付け用の小割りを入れる棚と考えているのだが、今シーズン全部使ってしまっていた。そこで、無節の杉を山から仕入れてきて、キンクラでせっせと細く割った。
薪は焚いて温まる前に、見て楽しむもの。
積み方も大事だと最近は考えている。
表面の凹凸を減らして、滑らかに見えるよう、揃えてみた。
きれいに摘んだ方が、薪が崩壊するリスクも減るしね。
この焚き付け材は来シーズン用なので、早めに割り終えておかないと乾燥が間に合わない。
杉の小割りなら半年もあればしっかり乾くはず。
はたまたもっと置かないと乾燥しないか?
これも実験してみることにしよう。
さあ、いよいよ薪ストーブも完全なシーズンオフに入る。
今年も梅雨までに煙突掃除をすることにしよう。