薪ストーブ始生代92 薪を割り始めたら、止まらない
ちっとばかしご無沙汰です。
ブログが止まっていた間、薪活に勤しんでいたかとおもえば、流行り病のインフルエンザにやられてダウン。いやはや浮き沈みの激しい2018年の冬だ。
さて、それでは久しぶりの更新記事は、薪割りについて、だ。
とにかく薪棚を一杯にしよう
仮設の薪棚として利用していたものを薪棚ゼロ号機と名付け、側面や屋根を付け足して改良を加えてさらに移設した。
そのあたりの経緯はこちら「薪ストーブ始生代89 薪棚0号機の移築 - 薪ストーブクロニクル」に書いた。
それがこの薪棚だ。
ほぼ1立米の薪を積むことができる計算だ。
この場所は、比較的人通りの多い通りから見える目立つ場所にある薪棚なので、はじめは見映えも良い最高級のくぬぎの薪をズラッと並べようかと思っていた(なんて見栄っぱりな)。
しかし、冷静に考えてみると、来年すぐ使える薪を作る必要があり、伐採したての広葉樹を1年できっちり乾燥させられるかどうか、イマイチ不安に思っているということもあり、しっかり乾燥させれば一夏できっちり使える針葉樹の薪をここに並べてみることにした。
何事も実験だ。
で、割り始める。
針葉樹の玉をひたすら割る。
ある程度割れたら、一輪車に積んでこの薪棚まで運んで積んでみる。
あれ、こんなもんしか埋まらないのか。
さあ、まだ割ろう。
と、割っては運び、運んでは積む、を繰り返す。
気がつくと辺りは日暮れて薄闇が広がり始めていた。
しかし薪棚はまだ埋まらず、割る針葉樹も残っている。
結局暗くなるまで割り切って、翌朝、その成果を撮影した。
やれやれ、よく割ったな。
一夜にしてご覧の通りだ。
それに飽きたらず、さらに薪棚を横に拡張した。
つくづく思うが、薪割りというのは、一種の「永久運動」だ。身体が動く限り続けてしまう。
薪棚が一杯になってはじめて、立ち止まることが許される(笑)。
今度はここを一杯にしよう。
今の薪は針葉樹とドンコロ
2月も半ば、薪ストーブシーズンもラストスパート。
残りの薪が本当にやばくなってきて、ネクストシーズンへの備えもまだまだ追い付かないので、またぞろ奥の方からドンコロ薪を引っ張り出してきて焚いている。
よく乾燥しているので、よく燃える。
よく温まった炉内にドンコロをぶちこむ。
燃えろ燃えろーー!