薪ストーブクロニクル

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軽トラ三国志~薪ストーバーも注目?軽トラ覇権争い

三国志

三國志とも書く。

 

古代中国を舞台に、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が三つ巴で覇権を争った、という有名な物語だ。

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物語、とはいってもそれぞれの登場人物は実在の人物であり、赤壁合肥など、合戦の舞台となった場所も実在する。

ただ諸葛孔明が呪術で嵐を起こしたとか、張飛がたった一人で橋の上で何百人もの兵士を食い止めたとか、悪来典韋が全身に矢を浴びて直立したまま絶命したとか、史実に脚色が加わったエピソードが多いので、どこまでが史実でどこまでが創作か、ちょっと訳がわからないことになっている(笑)。

まあ、とにかくだいたい後漢末期ごろ、董卓袁術袁紹曹操孫堅など、地方の有力な武将たちが覇権を争い、群雄割拠の様相を呈して戦乱の世になるのだが、そのなかで淘汰が繰り返され、ついには魏と呉と蜀の三つの国が拮抗する形となる(そのような状況になったのは弱小国である蜀が生き残るための諸葛孔明の戦略だが)。その状況を称して「三国志」なのであるが・・。

 

いきなり何を言い出すのか、とお思いの向きもあろうが、現在の軽トラ業界の状況がまさにこの「三国志」状態なのだ。そこで、概要をつかんでもらうために本当にざっくりと書いてみた。三国志ファンの方には物足りない、もしくはそれちょっと違うんじゃないの、的つっこみもあるかもしれないが、あくまでも今回の話題の中心は軽トラなので、ご了承願いたい。

 

さて、軽トラだ。

薪ストーブユーザーの中でも、自分で巻き集めをする人たちにはかなり魅力的な薪ストーブアイテムのひとつだ。

イニシャルコスト、ランニングコスト、どちらも薪ストーブグッズとしては最高ランクに位置する、まさに、高嶺の花。

そのため、なかなか購入に踏み切れないのも事実で、実際、僕も軽トラを取得したい気持ちはやまやまだったけど、なかなか、踏み切れないでいた。薪や原木を運ぶのに、普通の自家用車の荷台でもなんとかなっていた。

 

まあ、もちろん軽トラを自家用車として普段の足にも使っている家もあるだろうし、農家兼薪ストーブユーザーなら、家に軽トラの一台もあるだろうから、事情はそれぞれだ。

しかし、サラリーマンなど、普通の暮らしをして普通の自家用車に乗っている薪ストーブユーザーが、薪集めのためにわざわざ「エクストラ軽トラ」を所有するというのは、やはり一種の贅沢というものだろう。いや、夢というべきか。

 

そんな薪ストーブユーザー垂涎のアイテム、軽トラ。正直なところ、昔は全部同じだと思っていた。というか、全部同じに見えていた。

しかし、調べていくと、これがなかなか面白かった。

まず、かつて軽トラ業界には、8社9車種の軽トラが存在した。まさしく後漢末期の群雄割拠の状況だ。

全く同じものに思えていた、しかも素人目にはデザインにも違いが見受けられない軽トラにどうしてそんなにたくさん種類があるのか?と。

 

軽トラ群雄割拠期(1960~1988)

まず、軽トラがそれぞれの覇を競っていた、群雄割拠の時代から見ていこう。

 

現在、新車で買える軽トラは以下の8車種。

マツダスクラム

トヨタ・ピクシス

③三菱・ミニキャブ

④スバル・サンバー

⑤日産・NT100クリッパー

⑥ホンダ・アクティ

⑦スズキ・キャリー

ダイハツハイゼット

そして番外編的に

⑨三菱・ミニキャブミーブという電気自動車がある。

その歴史を少し紐解いていこう。

 

 現在の軽トラの系譜に連なるトラックが作られ始めたのは1950年ごろ、軽自動車の規格ができた頃だ。そしていまでも売られている車種は1960年代に登場する。

まず、1960年に名車ダイハツハイゼットが登場。1年遅れて、スズキのキャリィとスバルのサンバーが作られた。

少し遅れて三菱のミニキャブが1966年に登場。軽トラの世界はにわかに活況を呈し、群雄割拠の時代が始まる。

 

 まず注目したいのがスバルのサンバーだ

1.スバル・サンバートラック

スバルのサンバーは「農道のポルシェ」と呼ばれている。その理由は、ポルシェと同じくリアにエンジンを搭載している構造にある。

現在ほとんどの軽トラは前にエンジンを積んでいる。

軽トラがリアにエンジンを置くとどうなるか。それは空荷の時、船のバラスト水の役割を果たして、重量バランスが前がかりになりがちな軽トラの空荷での走りがぐぐっと安定するのだそうだ。その走りの安定性とこだわりの数々で隠れたファンも多く、配送会社の赤帽が一貫してこのスバル・サンバーを配送車に指定していることでもその実力が垣間見れる。恐るべし、農道のポルシェ。

しかし残念ながら、このリアエンジンの農道のポルシェは2012年で製造を終えた。現在購入できるスバル・サンバーについては後述する。この製造終了の報を受けて、多くのサンバーファンがリアエンジンタイプの最後のサンバーを駆け込みで購入したらしい。

なんと、薪ストーブ界のカリスマ、ファイヤーサイドのポールキャスナーさんもその一人で、目の覚めるような鮮やかな青いサンバーを購入しておられた(笑)。

 

 我こそは、と軽トラ界に次々に新しい車種が殴り込みをかけていたこの時期、今はなき車種も製造されては消えていった。まさしく群雄割拠の様相だ。

 

そして1977年にあの名車が登場する。そう、「農道のフェラーリ」と半ば冗談で言われた、本田技研のアクティトラックである。

2.ホンダ・アクティ

アクティはエンジンが車体の真ん中辺りにある。ミッドシップと言われる構造らしい。

そして貨物車としての軽トラの実力もさることながら、そんな貨物車でありながら走りへの飽くなき追求が詰め込まれている名車である。

1977年の初代(通称丸目のアクティ)、1988年からは2代目が登場する。1999年、20世紀が終わる頃まで製造されていたこの2代目アクティは、現在でも田舎ではよく見かける、バリバリの現役である。

薪ストーブの先輩の話では、この2代目アクティは構造が丈夫にできていたので、薪や原木をモリモリに載せても全然問題なかったそうだ。

スバルのサンバーのリアエンジンタイプが製造を終えた今、エンジンが前にないタイプの軽トラは実はこのアクティだけになる。

そして、生産台数ではキャリィとハイゼットに差をつけられているものの、現在でもオリジナルで製造を続ける軽トラ三国志の3国のうちの一つ、さしずめ劉備玄徳の「蜀」の位置にあるのがこのアクティなのである。

現在のアクティは4代目。

初代、2代目、4代目は基本構造が似ているが、セミキャブ方式を採用した3代目のみ、かなり独特のデザインと構造をしているようだ。

ここで、アクティを離れて、軽トラを選ぶ際の規準について書いてみる。

軽トラは、はっきり言って微妙なデザインの差以外、ほとんど違いが無いと言っていい。

しかし例えば同じ車名であっても大きく違う点がいくつかある。

軽トラの違いをおさらい

①エンジンの位置

さきほども書いたように、エンジンの位置の違いは大きい。しかし、2012年までのオリジナルのスバルのサンバーがリアエンジン、そしてホンダのアクティがミッドシップである以外、全ての軽トラがフロントエンジンを採用している。これは覚えやすいし、テストにもよく出るのでキチンと押さえたい(笑)。

 

 ②フルキャブORセミキャブ

軽トラにはキャブオーバーの方式の違いがある。かつて軽トラはすべてフルキャブ方式だったが、2000年代に一度安全規準の見直しからセミキャブ方式の軽トラが多く作られ、そしてまた現在、全ての軽トラがフルキャブ方式に戻った。現在新車で買える軽トラは全てフルキャブなので(新車なのに古株と覚える)、セミキャブ方式の軽トラがほしかったら中古車を探すしかない。

ではフルキャブとセミキャブは具体的にどう違うのか。

分かりやすくホンダアクティで比べてみよう。

3代目のセミキャブアクティはこれ↓。
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4代目のフルキャブアクティはこれ↓。
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何が違うか。それは、セミキャブは運転席より前にタイヤがあり、フルキャブは運転席の真下にタイヤがある、その違いだ。

それぞれのメリット、デメリットは、

セミキャブ・・メリットは安全性。運転席より前にあるタイヤがクッションになるので、正面衝突をしたときにまずタイヤがダメージを受けて運転席が守られる。デメリットは、運転席、特に足元が狭く、また小回りが効かないので、農道などの狭い道を運転しにくい。

フルキャブはメリット、デメリットがセミキャブとちょうど逆で、運転席が広くて小回りが効く代わりに、セミキャブより安全性が低い。現在販売されている新車のフルキャブ車は、最新技術で車体の剛性を高めて強化されているらしいが、それでもセミキャブ車のタイヤクッションの安全性には敵わないらしい。

ちなみにダイハツハイゼット、スバルのサンバー、トヨタのピクシスは一貫してフルキャブ方式で、セミキャブ車はない。

そしてホンダのアクティとスズキのキャリィなどは中古車を探す際、フルキャブとセミキャブが渾然一体となっているので、注意が必要だ。

 

OEM

軽トラ購入のための違いを知る最後のキーワードはOEMだ。OEMとはOriginal Equipment Manufacturerの略で、ようするに他社ブランドの製品を製造することだ。このOEM製造が始まる1989年から軽トラを巡る覇権争いの状況が大きく変わっていくので、その辺りを書いていこう。

 

軽トラOEM期(1989~2013)

それまで、自社のオリジナル軽トラの製造が中心で、基本的に自社の軽トラで業界のトップを勝ち取ろうと切磋琢磨していた(のかどうか、ただの妄想だが)軽トラ界に、1989年激震が走った(のかどうか知らないけど)。

マツダMAZDA) がスズキキャリィのOEM車であるスクラムトラックを発売したのだ。

これは、名前こそマツダスクラムだが、その中身はエンブレム以外はほぼ全てスズキのキャリィだ。つまり性能もキャリィに準ずるということだ。

自社での軽トラの開発をせずに、キャリィのモデルチェンジに合わせてマツダスクラムも同じようにモデルチェンジを繰り返した。

これは三国志的に捉えるなら、スズキ・キャリィ国に併合されたに等しいではないか(ほんと好き勝手書いて、本当にごめんなさいマツダの関係者さま)。

ロータリーエンジンの開発など、独自の路線を走り続けるマツダは、軽トラ界での覇権争いから真っ先に降りて、別の路線で勝負することにしたのだろう。このようにして、まず、スズキ・キャリィ国が領土を拡大していく。

そのことに待ったをかけるように2011年、あの世界のトヨタ自動車が軽トラを発売する。ピクシストラックだ。

しかし、このトヨタのピクシストラックは実はダイハツハイゼットOEM車であり、トヨタ帝国は実はダイハツハイゼット国に併合されていたのだ。

スズキキャリィ国に負けじ、と勢力を拡大していくダイハツハイゼット国。

販売台数でも、20世紀を通してスズキキャリィが販売台数日本一だったのだが、21世紀になってダイハツハイゼットがトップに立っている。個人的な想像だが、これは一貫してフルキャブ方式の利便性の高い軽トラを作り続けたからと言うのが理由の一つではないか、と思っている。というのは、キャリィやアクティなど多くの軽トラが、安全性のためにセミキャブ方式を採用した時期にダイハツハイゼットは頑なにフルキャブ方式を守り、その時期に販売台数トップに立っているからだ。

ともかくも、軽トラ界の覇権争いが、激化し、淘汰されつつある状況がはっきりしてきた。

さて、そんなこんなで2012年、さきほども書いたが、「農道のポルシェ」と言われて熱い支持を集めていたスバルのサンバーがついにダイハツハイゼットの軍門に下る。スバルサンバーがハイゼットOEM車となるのだ。1961年から続いてきた伝統のリアエンジン車が姿を消すことになる。まるで三国志において、正統なる有力者であった袁紹を筆頭とした袁家が曹操に滅ぼされた出来事を彷彿とさせます。

これで勢力図はかなりシンプルになってきた。

 

頑なにフルキャブ方式を貫き、トップに躍り出ようとしているアクロバティックなダイハツハイゼット

着実な足場で勢力を拡大していく、ベーシックなスズキキャリィ

完全な独自路線で孤高の道を行く、ミッドシップのホンダアクティ

 

そしてそこに三菱のミニキャブと日産のNT100クリッパーという勢力がまだ粘り強く対抗していたのだった。

1966年からほぼ半世紀の歴史を持つ、伝統ある三菱ミニキャブトラック。

日産のNT100クリッパーは2003年に登場したのだが、実は三菱ミニキャブOEM車だったのだ。三菱・日産連合軍は連合すること10年。しかし2013年についに日産が脱落し(と書くと感じ悪いですね、重ね重ねすみません)、ついで2014年には三菱ミニキャブも脱落。ともにスズキキャリィの傘下に入ることになったのだ。

ちなみに三菱ミニキャブは2011年にミニキャブミーブという軽トラの電気自動車を発売している。家庭電源でのフル充電で100キロ以上走れるので、農家などで長距離を走らないなら充分すぎる性能だったのではないだろうか。三菱自動車の燃費偽装事件がきっかけで製造を中止しているのが惜しまれる。

 

軽トラ三国志期(2014~現在)

さて、2014年に三菱ミニキャブがスズキキャリィのOEM車となったことで、ついに三国志状態になった軽トラ界。

 

悪のりついでに書いておくと、その三国は以下のようにあてはめられる。

 

魏の曹操を彷彿とさせるダイハツハイゼット

呉の孫権を思わせるスズキキャリィ

蜀の劉備のようなホンダアクティ

 

2018年現在の状態を書いておこう。

魏のダイハツハイゼット

まず魏の曹操を彷彿とさせるダイハツハイゼット

頑ななフルキャブ方式を貫き、販売台数でトップに立ったハイゼットは、トヨタのピクシストラック、スバルのサンバートラックを傘下に修め、ハイゼット三兄弟と呼ばれる鉄壁の布陣を敷いている。

現在のハイゼットはいままでの軽トラの常識を打ち壊すようなカラーバリエーションを揃え、若者や女性の心をがっちり掴んでいるように思われる。コストダウンと後の補修の簡素化のため、基本的には白い軽トラが多く、青や紺や黒など渋い色の軽トラはグレードが高いモデルでしか選べない軽トラ界にあって、ハイゼットのカラーバリエーションは驚きに値する。そして、ハイゼットジャンボ、という座席の後ろにスペースがあるモデルもとても人気があるようだ。魏の曹操顔負けに常識に捕らわれないやり方で、このまま軽トラ界のトップに君臨し続けるのか、注目だ。

 

 呉のスズキキャリィ

魏のダイハツハイゼットと比べると、やや地味な印象のキャリィだが、まさに呉の孫権のような着実な方法で力をつけてきたように思う。

長い間、日本でもっとも売れていた軽トラだけのことはあり、日本中どこの整備屋さんにいっても修理の部品とノウハウがあるそうだ。もともと実用一辺倒の軽トラだけあって、長く確実に使える方がいいという人は多い。そのため、地味に使いやすく、地味に中古車が多いスズキキャリィは根強い人気がある。その根強さは、マツダスクラム、日産クリッパー、三菱ミニキャブ、と次々と傘下に修めていったことでも分かる。

つい最近ではスーパーキャリィという座席の後部の広いモデルが発売になるようで、ハイゼットジャンボとのガチンコの競合が起きること必至だ。

スーパーキャリイ 近日発売! | スズキ

 個人的には、最新型のスズキキャリィの紺色のモデルが、軽トラ版のジムニーのようでなかなか素敵だと思っている。
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↑これが最新型のキャリィの紺色

 

蜀のホンダアクティ

さて、最後にホンダアクティだ。販売台数ではキャリィやハイゼットに遅れをとっているものの、魅力的な軽トラであることには違いはない。なにより、群雄割拠の高度経済成長期から平成が終わらんとする今日まで、粘り強く独自の軽トラを作り続けてきたことはものすごいことだ。

エンジンの位置からして独自路線を貫くホンダアクティだが、もう一つ、ホンダアクティには独自のシステムがある。それがリアルタイム4WD方式だ。

現在の軽トラはパートタイム4WD方式のものがほとんどだ。パートタイム、つまり、普段は燃費のよい2WDで走って、雪道や悪路など4WDで走りたいときには、手動で(スイッチやレバーで)切り替えることができるというもの。

しかしホンダアクティは昔からリアルタイム4WD方式を採用している。これはタイヤがスリップ時だけ自動的に4WDに切り替わるというものだ。

燃費のことを考えれば、本当に必要な時だけ四駆になるのでもっとも無駄がないといえる。

制御しているコンピューターがおかしくならない限りにおいて、だが(笑)。

ホンダアクティは他の会社のOEM車になっているものがない。あまりにマニアックなそのコンセプトがそうさせるのか?それとも何か自動車業界のしがらみでもあるのか。

アクティはアクティだけなのだ。

 

三国志の歴史では、まず諸葛孔明が亡くなったあとに蜀が衰退し滅亡。後に粘りに粘った挙げ句、呉も滅ぼされて魏が勝利を収めるものの、その魏もまた別の王朝にとって代わられる。

 

実際の軽トラ界はこれからどのような歴史をたどるのだろうか?

無理矢理三国志に当てはめて長々と書いてきた軽トラの歴史はこれにて一応おしまい。

なぜこんなことを書いたかというと、僕も軽トラを取得することになったからなのだ。

さて、ここまで書いた挙げ句に一体いつの時代の何をの車種を選んだのか、それは次回また改めて書くことにする。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。