薪ストーブオルドビス紀⑥ さよなら2020~極太アラカシで割り納め
アイヌの言葉で雪は「ウパシ」。
朝起きると、窓から見えるのは、右も左もウパシ、ウパシ、ウパシ。
しばらく、年末と思えないくらいの暖かさだったので、大晦日の土壇場に来て、ようやく年末感が出てきた。
今年も今日で終わり。
パンデミック狂想曲に翻弄された一年の締めくくりに、美しい雪が辺りを覆い尽くした。
薪棚に雪が積もる光景は、掛け値なしに素敵だ。
薪棚の縁から垂れ下がっているので、深い雪に見えるが、実際には我が家の周辺の積雪は30センチ。
これくらいの雪なら、雪かきもさほど大変ではないので、雪を愛でる余裕もある。
これが、50センチ、1メートル、と積もってくると、白くて綺麗だなぁではすまされなくなってくるので、大変だ。
さて、薪ストーブは年末も大活躍。
多少暖かいので、薪の減りは抑えられているが、さりとて焚かずに生活するわけにもいかず、焚いたら焚いたでこんな風に天板は常に「密」の状態だ。
ドライキウイを作ってみた。
皮ごとスライスして乾かしたので楽だったが、食感はいまいち。
しかも酸味が勝ってしまって、甘さ凝縮、というわけにはいかなかった。
それよりも、菌打ちして出てきた原木ナメコを乾燥させたものの方が、味が濃くなって美味しかった。
ちなみにナメコはこんな雪の中でも健気に顔を出している。
エノキタケと並んで、冬でも出てくる寒さに強いキノコなのだそうだ。
さてさて、雪で薪割りコーナーが埋まってしまったが、負けじと割り納めをした。
割るのは全部アラカシ。
一刀両断。
瞬く間に薪の山。
この薪の下の雪の中にも大量の割りたての薪が積まれているのだ。
さて、今年最後に退治するのは、この極悪非道?な極太アラカシだ。
長辺は40センチ。
ラグビーボールのような楕円形のアラカシ。
根株に近いので、節がないかと思いきや、繊維が入り組んでいてなかなか手強い。
まあ、割っていこう。
まず、真ん中を10回打ったが、びくともしないので、やはり端から攻めよう。
常套手段だ。
はい、割れた。
どんどん端から崩していく。
どんどん。
そして、ここまで小さくなった。
よく見ると、かなりヤバそうな節があった。
繊維も入り組んでいて、普通の斧では歯が立たなかっただろう。
元株に近いところはこうして根張り部分の繊維が外側に膨らんでくるものだ。
柱などに使う木材としては使いにくいらしいが、薪なので積み方を工夫すれば根張り部分でも問題ない。
そうこうして無事に全て薪にした。
一玉で↑この山。雪に沈んでいった笑
今年は春以降あまり薪を割らなかったけど、12月に入って急に原木がどんどん手に入ったので、まだまだ割りまくらないといけない。
新年も薪割りからスタートだ。
今年もこれが最後の更新。
薪ストーブを中心とした我が家の春夏秋冬は、目まぐるしくて、色々忙しい。
薪ストーブ関連では薪集めや薪割り、シーズンになれば薪の移動、焚き付け作り。
春になれば山菜や野草を集め、畑の準備を進める。
夏は畑で目一杯汗を流し、収穫を楽しむ。そして梅干し作り。
秋になれば来年はもっと本格的にキノコを探し求めよう。
そしてそんなことをしているうちにまた冬がやってくる。
何も変わらない。
でも、こうして雪が降って、冬を全身で感じていると、暑い夏や山菜の春が遠い夢のように感じる。
そして、春が来て暖かくなると、今度は冬の静寂と寒さが夢のように感じるはずだ。
だからこの季節の移ろいにマンネリズムを感じたりはしない。
来年になったら薔薇色の世界が待っているとは思わないけど(むしろ断絶と不信感でいっぱいの世界はおおよそ悪循環を繰り返すだろう)、それでも、また来年もリアルなものを、実感として確かなものだけをしっかり追い求めて過ごしたい。
そのリアルなものとは、例えば春の陽気に誘われて出てくる山菜の新芽の苦味だったり、太陽が育てる梅干しだったり、夏の暑さだったり、秋に山で育つ野生のキノコの想像以上の味わい深さだったり、薪ストーブの炎の辺りをだっり、そういうものだ。
そういうものを追い求めていくと、経済がさっぱり回らなくて、高度に発達した資本主義社会にとっては都合がよろしくないから、テレビでもネットでもSNSでも、僕たちは煽りに煽られているわけだけど、なんとか曇りのない目をもって、物事の本質を見極めながらまた日々をサバイブしていこう。
世の中はもう力学的に、この馬鹿げたチキンレースをやめられなさそうなので、来年の大晦日にどんなことを思っているかというと、同じように嘆き節なのかもしれないけど、まあそれでもとにかく、混迷を極めること必至の2021年を生き抜こう。
読者のみなさんには今年も一年間、ありがとうございました。
こんなスーパーニッチブログですが、読む価値があると思ってもらえたなら、また来年もよろしく。
よいお年を!