薪ストーブデボン紀⑨ 春の祭典、針葉樹薪の実力、そして次回予告
ふきのとうに始まる春の祭典が始まった。
そう、春に順々に芽吹いていく、山菜や野草たちのパレードだ。
2月後半のまだ雪の溶け残る棚田を歩くと、真っ先に春の訪れを告げるふきのとうが顔を出す。
その小さなつぼみをいただいて、天ぷらにする。ふきのとう特有のあの苦みを味わうと、もうすぐ薪ストーブの季節が終わるんだな、という気がしてくる。
3月になると、ふきのとうはもう少し大きくなる。
開いてきたふきのとうはフキ味噌にして、ご飯のお供になる。
その時期には食べられるくらいの大きさまで育ってくるので、ホタルイカと共にヌタにしていただく。
そして、同じく3月の終わり頃から近くの川でクレソンが育ってきているので、「クレソン鍋」や「クレソンとエビの水餃子」にして
いただく。実際には水餃子はまだ食べていないので、来週辺りの晩ごはんになる予定。
そして、いよいよ四月を迎える。
タラの芽、コシアブラ、タカノツメ、ウド、コゴミ、ゼンマイ、オニヒカゲわらび、ガンソク、タケノコ……
野山に自生する山菜や野草だけで、しばらく食べていける気がする。
もちろん、ユキノシタやノビル、その他、畑で雑草として一くくりにされている草たちも、普通に食べられる。
冬野菜がとうだちして、菜の花になっているこの季節は、俗にいう端境期なので、旬の野菜というものは少ない。
エンドウ豆の類いが育ってくるまでは、ブロッコリーと菜の花をひたすら摘んで食べる感じだけど、そこに山菜や野草が加わってくると、食卓は一気に華やかになるのだ。
まさしく野草、山菜たちの春の祭典。
ストラヴィンスキーが作曲したクラシック音楽の『春の祭典』は、とてもじゃないがこんなにヘルシーで平和な祭典ではない。
冒頭のファゴットのソロから始まって、バレエ音楽にしては踊りにくそうな、やたら細かい変拍子、生け贄の動物の骨を断つ音を模写したような打撃音と不協和音。
肉と血しぶきにまみれた春の祭典なのである。※注:個人の感想です。
さて、3月も終わろうとしているが、もちろん薪ストーブは焚いている。
デカイ杉の薪が燃えている。
今は大きめの針葉樹の薪が主力だ。
そこに、ボケた広葉樹薪や中途半端なサイズの薪、ドンコロなどを織り混ぜて、シーズン終了までなんとか持ちこたえる、というのがここ最近の春の焚き方になっている。
我が家のネスターマーティンは、針葉樹を混ぜて焚いた方が温度がしっかり上がる気がする。
ひょっとすると、真冬でも針葉樹とナラやクヌギなどを混ぜて焚いた方がうまく焚けるのだろうか。
また来シーズンやってみよう。
春に山菜や野草。
夏は畑のお世話。
秋にキノコを採って、
冬に薪ストーブを焚きまくる。
薪ストーブと大自然をメインにしたブログのネタは毎年変わらない。
変わらないことに価値があるし、その変わらない季節の巡りこそが、田舎暮らしの真の価値だと言える。
しかし、ブログ的にはちょっと物足りない。
また春になって山菜のネタだ。
一体このブログで何回ふきのとうの事を書いただろうか(笑)。
毎年同じことの繰り返しなので(暮らしとしてはそれが素晴らしいのだが)、ブログを更新しようというモチベーションは下がる一方だ。
というわけで…
この四月から、全く新しいネタをぶっこんでみようと思っている。
もちろん、薪ストーブや自給的な暮らしと全く無縁の事ではない。
しかし、ちょっと毛色が変わることになる。
乞うご期待。