僕はきこりになった 第6話『地獄の沙汰もコシアブラ』
山によく出掛ける一部の人たちの間で言われている言葉に次のようなものがある。
山菜の王様はタラの芽
山菜の女王はコシアブラ
タラの芽はかなりメジャーで分かりやすく、採取も容易な山菜なので、そして、なにより美味しいので、王様というのは理解しやすい。
問題は女王様の方だ。
コシアブラとはなんぞや。
単刀直入に言えば、コシアブラは樹木である。結構背が高い。樹齢の若いものでも15mぐらいにはすぐ育つ。
そしてそのコシアブラがちょうど4月~5月頃(つまりちょっと今頃)に新芽を出す。
その新芽を採取して食べるのだ。
登山をする人たちにもかなり有名らしい。
登山シーズンが始まる春は、また山菜の季節でもあるからだ。
が、しかし、問題は樹木の新芽だということだ。
手の届く高さにその新芽があることはほとんどなく、基本的には伐採するか、せめてすこし木に登って枝を切り落とすしか、採取の方法がないのだ。
もちろん、自分の持っている山林にコシアブラが生えていたら、伐採し放題、枝落とし放題なのだが、人様の山でそれをするのはもちろんNG。
そこが、コシアブラをして女王の地位にまで登りつめさせた要因なのだ。
たわむれにメルカリで検索してみたら、500g3,250円という値段で売れていた。
つまり、ほとんどの人にとって、コシアブラというのは非日常の食べ物ということになる。
さて、そこで我々きこりはどうなんだ、という話になるわけだ。
もちろん林業に携わっているからといって、勝手に樹木の伐採をするのは違法だ。
ではどうなるか。
支障木伐採という仕事がある。
林業の仕事というのは、「育林」と「支障木伐採」の二種類の仕事に大別できる。
そこらへんの詳しい話はまた後日書くとして、とにかく、邪魔な木、危ない木を伐採する仕事のことを支障木伐採といい、その仕事の目的は木を伐採することなので、伐った後の木は、地主さんが欲しいと言わない限り、その場に積まれてやがて土に返る。
つまり、その支障木伐採の対象に運よくコシアブラが含まれていれば、伐り倒した新芽は取り放題なわけだ。
むしろ、採取せずに捨ててしまうなんて、バチがあたりそうだ。
このように、きこりは合法的にコシアブラの採取ができたりするのだが、問題はコシアブラの時期がそこまで長くないということだ。
新芽が芽吹き始めたばかりのものは、書道の筆に似ているので「フデ」と呼ばれている。
そのフデの頃から食べられるようになって、暖かい日が続くと、あっという間に大きくなって5本の茎がぐんぐん成長する。
やがて、大きくなりすぎて、天ぷらにしても大味になってくる。
その時期に運よく伐採の仕事が重なった時だけコシアブラを食べることができるのだ。
しかし、実はコシアブラというのは割りとありふれた樹木で、しょっちゅう見かける。
実際、いままで、春にコシアブラを食べ損ねた年は林業を始めてからは一度もないのだ。
そして、今年もありがたくコシアブラの伐採の仕事が入った。
それなりにおおきくなっているが、まだまだおいしく食べられるサイズ。
昔堅気の職人山師から、新米きこりまで、コシアブラの伐採をするときは目の色が変わる。
とにかくクセがなくて食べやすい味わいが天ぷらにぴったりなのだ。子どもでもサクサク食べられて、大人はビールが進む進む。
難点は、すぐに萎れること。
しかし、きこり達は枝ごと切って、水に浸けておくことで、何日でももつことを知っている。
僕も、伐採して、作業が終了するまで近くの川に枝ごと浸けておいた。
なんとありがたい山菜だ。
女王様に敬礼!
とでも言いたくなる、春の素敵な味覚だ。
今年は天ぷらだけでなく、パスタでもいただいた。
コシアブラの風味がどんな感じか、天ぷらのときよりダイレクトに分かる。
たくさん採れたら一度お試しあれ。
<つづく>
おまけ
今週の1枚
畑のえんどう豆が育ってきた。
今年は雪養生をしたので、暖かくなってからぐんぐん生長し、元気いっぱい。
豊作の予感だ。