僕はきこりになった 第7話『先ず、チルより始めよ』
林業と言えば、チェーンソーでバリバリ木を伐るというイメージがあった。
そして実際、年がら年中チェーンソーで木を伐っているわけだが……。
林業の仕事を始めても、すぐにチェーンソーを使わせてもらえるわけではなかった。
そもそも「数日間の講習を受けないと、仕事でチェーンソーを使用してはいけない」という安全衛生上の法令まであるので、就職したからといってチェーンソーを握るわけにはいかないのだ。
では、入社したばかりの初心者は何をすればいいのか、というと、切られた枝の整理や棚積み、そして何よりも伐倒の補助の仕事をすることになる。
木を伐倒するとき、木の重心が倒したい方向と違う場合はクサビを打って重心をずらしたり、細い木ならロープでひっぱるだけでも倒したい方向に誘導できる。
しかし、太い木を倒すときは人力ではとても太刀打ちできなくなる。
そこで登場するのがチルホール、通称「チル」である。
↓これがチルホール。
ここにワイヤーを通して、レバーを漕ぐと色んなものを引っ張ることができる。
たとえば、脱輪した車を引っ張って救助することも可能だ。
まず、新人さんはこのチルをキコキコ漕いで、木を倒したい方向に牽引するという任務が課せられるのである。
手動のウインチのようなものなので、レバーを漕ぐと強い力で引っ張ることができる。その牽引力で、木にくくりつけたワイヤーやロープを引っ張って、重心と反対の方向に安全に木を倒すことができるわけだ。
下の画像が使用例だ。
ワイヤーが見えにくいので、引っ張る方向で線を足してみる。
途中で曲がっているのは、直接木がチル操作者の方に倒れてこないように、方向を変える滑車をつけているからだ。
そしてチルを漕ぐと、下の画像のように、徐々に木が倒れてくるというわけだ。
先輩方がチェーンソーで切り込みを入れて、「はい、引いて!」
と合図が入ると、必死でレバーを漕ぐのであるが、一回や二回キコキコ漕いでも大したことはないのだが、木が反対側に傾いていて長い距離を引くときなど、重い上に100回、200回と漕ぐこともあるので、かなり上腕二頭筋が鍛えられる。
ちなみに、このチルホール、標準的なサイズの750kgの牽引力があるものだと、ひとこぎで3センチ。一往復6センチ引くことができる。
倒れた木を寄せてくるときなどにも使うのだが、20mの距離を引こうと思うと、単純計算で666回漕がないといけない。
そんなことを1日繰り返していたら、スポーツジムに通わなくても、理想的な上半身が手に入ること受け合いだ。
また、このチルホールとワイヤーを合わせると、軽く10kg以上の重さがある。
これをかついで足場の悪い山の斜面を行ったり来たりするのは、心身の鍛練に最高だ。
少なくとも入社後3ヶ月ほどはチェーンソーを全く触らなかったので、僕はチルマンとして仕事をすることになった。
毎日、何百回、何千回とチルを漕いで、家に帰ったら、もちろんボロボロのクタクタだ。
そんなとき、入る風呂の気持ちよさは、ちょっと表現が難しいほどだった。
全身の緊張がお湯のなかに消えていくような解放感。
今日も無事に家に帰ってきた安心感。
そのあとに食べる夕食も、特別な献立ではなくても、とんでもなく美味しく感じたものだ。
ニーチェが書いていた、「生きるとはこういうことだったのか、よしもう一度」という文章を体感するような、五感をフルに使っての毎日だった。
僕の林業就業からの数ヶ月はこんな風に過ぎていった。
<つづく>
おまけの一枚
イチゴが色づき始めた。
春の真っ只中にいるのをひしひしと感じる。