薪ストーブクロニクル

食とエネルギーの自給を目指して

台風後の停電、薪ストーブ、オフグリッド

24時間以上停電が続いている。

ちょっといままでになかったことだ。

 

灯りはロウソク、懐中電灯、そして薪ストーブだ。 

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電気が止まって改めて感じる、薪ストーブの偉大さ。炎があるだけで、「停電による暗さ」というわびしさは一切感じず、むしろこの暗さが炎の美しさをぼんやりと堪能する舞台装置にさえ思えてきた。

この暗さがあまりに心地よいので、時々灯りを全て消して過ごすのもいいなぁも思ってほどだ。

 

ガスはプロパンなので止まることはなかったが、もし止まっていたとしても、薪ストーブがその代わりを十全に果たしたはずだ。

調理の多くに天板の熱を利用した。

 

シャワーは、ガスが使えても電気が止まっていると使えない。そこで、たっぷりのお湯を天板で沸かして、洗面所で洗髪した。

薪で温められたお湯は、いままでに経験したことがないような特別な温もりを与えてくれた。

 

薪ストーブはただの暖房ではない。それは分かっていたんだけど、ここまで頼りになるとは思わなかったのだ。

 

その多彩な活躍ぶりは、

①暖房、②照明、③調理、④洗髪、⑤リラクゼーション

と、とどまることを知らない。

台風で濡れた靴や上着を部屋で乾かすときの乾燥機の働きさえしてくれた。

 

冷凍庫の中の冷凍品がどんどん溶けていく、という切なささえなければ、当分停電していても、そこそこ快適に生きていけるはずだ。

ハーゲンダッツがどろどろに溶けていたことはさすがにショックだったが(笑)。

 

停電時、圧倒的に頼りになった薪ストーブ。

はっきり言ってどんな機種を使っていたとしても、その頼もしさは変わらないと思う。

 

さて、そこで、どろどろに溶けたハーゲンダッツに話を戻そう。どろどろにしないために、どうすればいいだろうか。

冷凍品をストックせずに暮らす、もっと言えば冷蔵庫を持たずに暮らす、というのが、その最も簡単で、最も敷居の高い解答だ。

それはややハードル高めなのでひとまず置いておいて、やはりオフグリッドという選択肢が出てくる。

もちろん、送電線から切り離したオフグリッドまでいかなくても、発電機とバッテリーを備えていれば、停電した際にも問題なく電気を使用できるはずだ。

ただ、現代の電気をめぐる状況は、あまり気持ちのよいものではない。未来にたいしてここまで傲慢にツケを払わせるような状況をおとなしく見ていることにだんだん耐えられなくなってくる。これは、あくまでも個人的な感情なので、考え方は人それぞれだ。

ただ、このままでいいのか、と言えばやっぱりよくないんじゃないかな、と。

 

停電を期にオフグリッドへの気持ちがさらに高まった。電気が絶対に必要とは思わないし、もし使うにしても、湯水のように使うことはないが、電気が絶対的な存在でないと思いたいがゆえに、電気ぐらいは自給したいのだ。

この世界はすでに半分ぐらい狂った筋書きに足を突っ込んでいる。

あるいは、半分ぐらい突っ込んでいるように見えて、もはや引き返せないほどに沼にズブズブと飲み込まれているようにも思える。

 

そんな世界で、完全に背を向けるわけでもなく、従順に従うわけでもなく、楽しみながら抵抗を続けたいと思う。

 

確かに現代は終わってるかのように思える。それでも、19世紀にも同じような悩みを抱えている人がたくさん文章を残しているし、もっと言えば、古代ローマの時代だって現代と同じような抜き差しならぬ課題を突きつけられていたのだ。

ぬるま湯の時代が終わり、気候的にも政治的にも苛烈な時代が来ている。

人と同じことをしていては、同じ罠に絡めとられる。

どれだけ預貯金があろうとも、どれだけ特権を有していたとしても、それだけではほとんど気休めにしかならない。

発想の転換が必要だ。

そこに薪ストーブというアイコンは極めて有効に大切なことを示唆してくれていると思う。電気のオフグリッドも同じ理屈の上になりたっている。

 

ソローも書いている。

「私たちが生きるうえで必要なのは、衣食住。それに加えて、凍えないための薪だ」

 

文字通りの「薪」と象徴としての「薪」を、自分達の手で作り出そう。それこそが真の意味でのオフグリッドだ。

誰かに生殺与奪権を与えて、喜んでいる場合ではない。

 

停電を期にこんなことを考えた。