薪ストーブクロニクル

食とエネルギーの自給を目指して

オフグリッドについて考えるときに僕が考えること

ブログも3年目。

ようやく薪ストーブと畑以外の大ネタが登場だ。

 

フグリッド。

 

このブログの永遠のテーマだ。

 

お金だって大事かもしないから、貯金がゼロなんてことはない。

だけど、2000年代の前半にアルゼンチンに滞在しているときに実際に体験したペソの大暴落を思い出すと、お金だけを持っていたってそれで安心なわけではない。

むしろ、お金に全面的に頼らないで自分の暮らしを守る方法を構築する方が良いと感じている。

倫理的も、感情的にもそう思うし、それを抜きにして、もっと単純に考えても、お金だけに頼っていたら、後で困るのはどうせ自分だろうと思っている。

 

分かりやすい実例は、停電したときにQOL(クオリティーオブライフ)がどれくらい下がるか、を考えてみれば理解しやすい。

普段より、ちょっと暗い部屋になるくらいで、快適さは変わらない、というレベルなのか、トイレを催す度に恐怖を感じるのか(笑)。

 

停電なんて一時的な状況ですぐに復旧するんだから、長くても数日耐えればいいじゃない、とあなたは言うかもしれない。

しかし、去年のように地震と台風が重なったら、途端に過疎地に回す電柱が足りなくなったりするのだ。

災害が複合的に起きた場合、公共のライフラインの復旧は大都市優先で、それ以外の地域はかなり後回しになることが確実だ。

しかも、大規模な災害が複合的に起きる可能性は東南海トラフ地震や気候変動による異常気象なども考慮すれば、もはや何も起きない方が奇跡と言えそうなくらい、私たちの身近なものになってしまったと考えるべきだろう。

停電、断水などはもはや、起きて当たり前なのだ。人智の及ばない、もっと悲惨なことにならないことを祈るしかない。

 

と、少なくとも僕はこう考えている。

 

で、今まさに起きつつある地球規模の気候変動が収まってくれればいいが、そして、物凄いスピードで進化を続けるAIのテクノロジーが、人類の未来をいびつなものに変えてしまわなければいいが、それを嘆くのはひとまず置いておいて、目を背けるのもやめておいて、現実をしっかり見た上で、この、糞みたいな現代社会をしっかり俯瞰した上で、楽しく幸せに暮らすためには、どうすればいいだろうか、と考えると、意外と答えはシンプルなのだ。

まず、①必要以上に現代社会(システム)に依存しないこと。

そして、②自分でできることは自分ですること。

と、まあさしあたりこの2つで充分なはずだ。

なーんだ、簡単ですね(笑)。

 

で、まず大切なのは現金収入を得るために働きすぎないこと。

金のために働きすぎると、日常を変える気力がなくなってしまう。

本当は多くても週に四日ほどが理想だ。

もしくは毎日働いてもいいけど、仕事が終わってから田畑に出たり薪を割ったりする時間がある明るさで帰宅できること。

働きすぎない、というのは、あくまでも現金収入のために、という条件つきであって、身体を動かしてするべきことは山ほどあるのだ。

食べるものを作ったり、燃料を作ったり、衣類や日用品だって、時間さえあれば昔は誰だって作っていた。

ようは、時間とその暮らしを楽しむ感性さえあればいい。

そして、そのフィールドとしては、絶対に断然田舎がいい。みんなが宝を捨ててごみ溜めに向かっている今なら、理想の暮らしを実現できるフィールドがいくらでもある。

 

さて、したいことをする時間を作って、したい暮らしができる場所も手に入った。さてそこからどうしよう。

現代の社会やシステムに依存しすぎないためには、ライフラインをある程度自分で確保しておけばいいのだ。

 

そこでようやく冒頭の話が出てくるわけだ。

 

つまりオフグリッド。

フグリッド自体は、目的ではなく、システムに依存しすぎないための手段のひとつだと思うんだけど、オフグリッドのいいところは、手段なんだけど、妙に楽しいという点だ。

 

道をふさいで邪魔なだけの、うち捨てられる樫の木。しかし薪ストーブユーザーにとっては極上のお宝だ。

 

と、いままでは、オフグリッドアイテムが薪ストーブだけだったんで、ここまでだったんだけど、これからは少しステップアップするのだ。

 

これからは毎日の天気が楽しみになるのだ。

 

名付けて全天候型オフグリッドアイテム。それを設置する。

 

太陽がガンガン照りつける晴れの日も、空を雨雲が覆い尽くすどしゃ降りの雨の日も、どちらも待ち遠しくなるだろう。

 

それって凄い事だと思いませんか?

 

正確には、2つのオフグリッドアイテムを組み合わせることで、晴れた日も雨の日も、その自然エネルギーを自分の暮らしと直結できるのだ。

 

それは何かというと、(拍子抜けするかもしれないが)太陽熱温水器と雨水タンクのセットだ。

晴れた日の太陽熱で家の給湯全般をまかない、雨の日の水で畑への散水や洗濯の水をまかなう。

なにより、断水したときの非常用の水道としても使えて、しかも雨が降る限りは常に補充されるというのが安心だ。

 

え?水道代なんてたいして高くないんだから設置したってぺいしないんじゃないかって?

 

その通り。

 

太陽熱温水器は間違いなく元がとれるが、雨水タンクはその設置費を賄えるほどの経済的効果はない。

 

しかし、しかしですよ。

自分が素敵だと思える家にするのに、経済的効果を考える人がいるだろうか?

例えば家にウッドデッキが欲しい人がいるとして、ウッドデッキがどれくらい経済効果があるかを考えるだろうか?

ウッドデッキで快適に過ごすことが、設置にかかった費用に対する何よりの報酬だろう。

 

だとすれば、雨水タンクも太陽熱温水器も、それでいくら得するかを考えること自体がナンセンスだ。

太陽の熱や空から降る雨が自分の毎日のエネルギーに利用できるという暮らしこそが、何よりの報酬だ。そんな暮らしは言うなれば、極上の、それこそ楽園的暮らしに思えてならない。

結果として、普段のガス代がいままでより安く抑えられれば、それはさらに現金収入が少なくて良い暮らしへと繋がるので、大歓迎なのだ。

 

結論。

「生きていくために必要なことはそんなに多くない。」

 

お金?

そりゃあれば便利でありがたい。お金が嫌いだからトイレに流す、なんてことはない(笑)。でも紙切れになる可能性があることは頭の片隅に置いておこう。いつか一万円札でお尻を拭く日が来ないとは限らない。そしてお金を増やすことは人生の目的ではない。

 

情報?

知らないことを知っていると得なようだけど、実はあればあるほど不幸かも。

 

インターネットやスマートフォン

この世から消え去っても嬉しいだけ。ブログの読者とはもう繋がれないけど、そして無理とは知れど、消滅して欲しい。まあ、控えめに言って諸悪の根源だ。

 

食べ物?

そう、食べ物は絶対に必要だ。自分の食べ物を自分だけですべて作るのは相当根性がいるけど、身近な地域の人たちと繋がることで地域的自給は可能だ。

 

エネルギー?

寒い冬に暖をとったり、料理のための熱は必要不可欠だ。快適に暮らすなら温かいお風呂もぜひ欲しい。薪ストーブと太陽熱温水器でその多くが賄えるはず。

そしてまだまだ構想段階だが、オフグリッドといえば、その中心には電気というエネルギーがある。電気は避けて通れないので、いつか登場することだろう。どんな形になるか楽しみだ。

 

水?

なかったら即、死にますね。

風呂、トイレ、洗濯etc.etc.

ちょっと想像力をたくましくして、水がなくなる恐怖を考えたら、いつでも真水が手に入る環境に身を起きたくなる。断水なんて、いとも簡単に起きるから。

 

Somethingelse?

あるインドの思想家が説いて言うには、人生に必要なのは食べ物と水と、なにがしかの芸術だそうだ。ここでの芸術とは広義の芸術だろう。趣味に近いものと考えて良さそうだ。

それが何かは人によって違うだろうが、お金を増やすことではないと個人的には思っている。

 

さて、3年目に突入したこのブログは、今後しばらくは、新たに導入したオフグリッドアイテムについての具体的な話を書いていきたいと思っている。

 

薪ストーブについては、相変わらず最高に暖かい冬を過ごしている、とだけ書いておこう。