薪ストーブクロニクル

食とエネルギーの自給を目指して

薪ストーブ始生代② 薪ストーブに求めること①~なぜ薪ストーブ?

薪ストーブを設置してのファーストシーズンが始まった。

とはいえ、まだ9月。

ストーブを焚くには暑すぎる。特にここ最近は、9月でも平気で30℃を超える気温だったりするので、昼間はほとんど夏と変わらない。

 

初焚きまでは、まだしばらくありそうだ。

 

さて、初めての薪ストーブシーズンを迎えるにあたって、僕が一体薪ストーブに何を期待して、何を求めているのか、ということを書いてみたい。

こういうことは、いざ使い出すと、忙しい日常の中で、忘れてしまいやすい事でもあるので、今のうちに備忘録的に整理しておきたい。

 

まず第一回目は、そもそもなぜ薪ストーブなのか、という点についてだ。

 

なぜ薪ストーブ?

薪ストーブの本物の火。

そして石油ストーブとは全く違う暖かさ。

実際に使っている方が身近にいたので、そういった、ちょっと実物を体験すればすぐに分かる魅力というのは、充分に感じることができた。

単に、暖炉風でおしゃれだとか、アウトドアー的でワイルドだとか(もちろんそういう魅力もものすごくあるのだが)、装飾的な魅力だけにとどまらず、一度火がついてしまえば純粋に暖房機としても優秀なのではないか、という事を、いくつかの薪ストーブ体験の中で直感的に感じた。

この直感が当たっているかどうかは、冬が始まってしまえば、すぐ審判が下るわけだが(笑)、おそらく暖かい冬を過ごせるはずだ。奥さんは(半分冗談で)「本当にこれだけで暖かいのかしら?」なんて心配して見せるのだが、たぶん大丈夫だと思う。たぶん・・。

 

普通に道を車で走ってみればすぐ分かることだが、煙突のある家というのはものすごく少ない。薪ストーブで暮らしている人なんて、趣味で週末だけ焚くという人を含めても、本当にマイノリティー中のマイノリティーなのだと実感する。

だから、長野県のとある町に行ったときに、周囲の家のあちこちに煙突が立っている光景を目のあたりにして、軽いカルチャーショックを受けたものだ。

長野県は今でも薪を焚く文化が根底にあるから、薪ストーブにたいする敷居が低いのだろうか、などと想像したりした。

 

さて、長野県は特殊なのかも知れないが、少なくとも僕の知る限り、薪ストーブユーザーというのは、日本全体で見るととても少ない。僕の暮らす最寄り駅の町で確認できる薪ストーブユーザーは4軒だけだ。

どうしてそんなに少ないのか。やはり、薪ストーブはおしゃれなものか、ワイルドなものか、とにかく自分には縁遠い物という認識があるのだと思う。薪ストーブという物の存在は知っているけど、始めから選択肢に入っていないのだろう。

 

さて、冒頭の問いに戻ろう。なぜ薪ストーブか、という事だった。薪ストーブはとても暖かく暮らせる暖房機具だという直感がある。そしてその直感には根拠がある。

薪で焚くお風呂の暖かさを知っているからだ。子供の頃、頻繁に薪で焚いた風呂に入っていた。時には薪焚きの手伝いをしながら・・。その風呂は、お湯の質が全然違った。風呂上がりの体の温もりが全く違った。

小さい頃でさえ、そのような鮮明な記憶がある。薪で焚く熱というのは、暖かいという事を身体が覚えている。ならば、薪ストーブも例外ではあるまい。

薪ストーブは暖かい、という直感にはそんな幼い頃の体験が後押ししているのだ。

 

そして、もうひとつ子供の頃の体験で強烈に覚えている事が、薪をくべることの楽しさだ。まあ子供の火遊びなんだけど、オフィシャルな火遊びとも言える。薪をくべるのはなぜあんなに楽しいんだろうか。


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 BBQシーズンには野外薪ストーブにせっせと薪をくべて、今なお火遊びしている(笑)

 

そんなわけで、僕にとって薪ストーブというのは、とても自然で希望に満ちた選択肢だったのだ。

 

薪ストーブに求めるもの、ひとつ目は他の暖房にはない暖かさ。でも、薪ストーブの魅力はそれだけじゃないはず。

まだまだあります。つづく。