オフグリッド入門⑧ 狂っちまった世界の片隅で、山菜を食し、電気を作る
一年ほど前から、徐々に始まったオフグリッド生活。
とはいえ「オフグリッド生活」というものをどう定義したものか、少し悩むところだ。
純粋な意味では、配電線から電気を貰わずに、電力を自給する生活のことをオフグリッド生活と呼ぶのが正しいかと思う。
ただ、エネルギーは電気だけじゃないし、社会のシステム全般、つまりガスや水道、道路やインフラ設備に至るまであらゆる点で、我々はエネルギーの自給自足という夢からあまりに遠い生活を送っていると言わざるを得ない。
仮に電気を自分で作ったとて、暇人の道楽に過ぎないと言って切り捨てる人もいるだろう。
でも、本当にそうだろうか?
社会のシステムに取り込まれている状況ではあっても、その依存度を下げて、なるべく自分たちで様々なものを作り出せるようになっておけるかどうか。
これは、いまのこの狂っちまった世界では、実は重要なポイントなんじゃないんだろうか、ということを思うわけだ。
自己完結しつつ相互扶助。
これは、ただでさえ金が全ての物差しとなった格差社会において、持たざる者が自分たちを守るために重要なことだと思うけど、今現在のような異常事態(緊急事態とも言うらしい)においては、ますますその輝きを増してくる。
完全に自己完結できるかどうかは、だからあまり関係がない。隣近所、お互いが補い合うことで、自分のできないことを助けて貰いつつ、自分の出来ることをすればいいのだ。
そんな中で物理的に、経済的に、地理的に自分に可能な範囲で最大限エネルギーを自給する。
それも、電気だけではなく、ガス、水道、暖房や食料調達、家や家財、衣服、その他暮らしに必要なあらゆるものを包括的に自給したい。
そんな暮らしのことを「オフグリッド生活」と呼びたい。
いやー、相変わらず、前置きが長いね(笑)。
まあ、ようするにパンデミックだろうが、巨大台風だろうが、大旱魃だろうが、我々の未来にはあらゆる脅威が待ち構えているわけだ。
例えば今のパンデミックな状況ではどんな勝ち組の金持ちでも、生き残ることはできるかもしれないけど、Q O L(クオリティオブライフの略。生活の質)は著しく下がるだろう。
でも、田舎で自給的な暮らしをしている人は、家と畑と山を行き来する以外に誰とも会わなくても暮らしが普通に成り立つので、金はなくともQ O Lは下がりようがない。
自立できている暮らしは、イレギュラーに強いのだ。
それとは逆に、台風などの異常気象にしても、真っ先にダメージを受けるのは社会インフラなわけで、脆弱な電力の送電網はひとたまりもない。
本物の田舎暮らしはもともと電気への依存度が低いので、停電にもある程度強いはずだ。
※ ※ ※
電気への依存度を下げつつ、電力を自給する。それはいつか必ず達成したい。
それはこのブログが始まった一番最初から思い続けてきたことでもある。
去年、太陽熱温水器と雨水タンクを導入。
晴れた日はお風呂のお湯ができ、雨の日は洗濯や畑のための水が貯まる生活が始まった。
これだけでも、災害の時にどれだけ心強いか計り知れない。
まして、我が家には薪ストーブという超強力なオフグリッドアイテムがあるわけで、そいつらを組み合わせたら、停電が多少長引こうがQ O Lはほとんど下がらないはずだ。
そして、野菜を作るだけではなく、味噌やつけもの、乾物などの備蓄食料に加えて、柿からお酢を作ったり、山で獲れた鹿やシシ肉を加工したり、金銭や経済システムから離れたところで食べ物を得るノウハウもだんだん蓄積してきた。
春になれば、もちろん山菜などの山の幸が出てくる。フキノトウは言うに及ばず、先日も山の中で山菜をたくさん収穫してきた。
3種類あるが、違いがわかるだろうか?
左上のタラノメは定番。
右上のコシアブラと下のタカノツメはよく似ている。
木の幹や葉の出方はほとんど同じ。
葉っぱが5枚あるのがコシアブラ(左)で3枚なのがタカノツメ(右)
コシアブラは山菜の王様とも呼ぶべき、独特の軽い食感と香り。
この季節がいつも待ち遠しくなる。
タカノツメも天ぷらにするとサクサクして美味だが、少し山菜らしい苦みがある。どちらもビールによく合う。
タラノメは定番中の定番なので、今更何も付け加える事はないけど、やはり採れたてが美味しいのは言うまでもない。
そんなこんなで、今日もオフグリッド生活を満喫しているのだけど、この度、そんな我が家についに究極のオフグリッドアイテムが加わった。
太陽光パネルとポータブル電源だ。
悩みに悩んだ末、選んだのはjackeryというアメリカのベンチャー企業が生産している畜充電システムだ。
パネルで作った電気をポータブル電源に蓄えて、必要な時にいつでも使える。
これぞオフグリッド。
もともとはキャンプなどのアウトドアで電力を確保するというコンセプトで開発されたもののようだけど、今は災害時の非常電源としての需要が高まっているらしい。
でも、我が家はそれを普段使いとして導入。
毎日使う電力の多くを、太陽が作り出した電気でまかないたい。
というか、冷蔵庫以外の全ての電気をこのシステムでまかなうのが目標だ。
充電中のバッテリー。
コンセントは2つ使えて、USBケーブルは3つ。
使いやすくて、デザインも秀逸だ。
もともとは屋根にパネルを乗せて、完璧に畜充電システムを完備し、電力会社の配電線から我が家を完全に切り離すつもりだった。
しかし、そもそもコストがかかりすぎる。
それに加えて、屋根に乗せるものをなるべく減らしたかった、というのが偽らざる本音だ。
オフグリッド生活の肝とも言える、電力の自給。しかも、それは停電などの非常時にこそ最大限に威力を発揮してもらわなければいけない。
しかし、停電などは大抵、巨大台風や大地震によって起きるだろう。
今後、想定を超える大きな台風や大地震に襲われる可能性がますます高まっていくのは明らかだ。
そのとき、屋根の上の太陽光パネルは本当に無事でいられるのだろうか?
スーパー台風の暴風雨に晒されて太陽光パネルがぶっ飛んでしまっては、結局停電の憂き目に遭うではないか。
そこが解決できなくて、太陽光パネルを屋根に乗せるのは諦めた。
結果的には我が家の畜充電システムは、当初考えていた予算の10分の1で導入できた。
もちろん安い分、パワーは劣る。
しかし、それでもうまくいくように、一年かけて節電生活を身体に馴染ませた。
雨風が強い時や使わない時は、折り畳んで室内に置いておけばいい。
あとは、太陽が燦燦と降りそそぐ日に、お日様に電気を作ってもらうだけだ(笑)。
電力の自給が始まって、いよいよオフグリッド生活も新局面を迎えたわけだけど、この太陽光発電システムがどれほどのものか、それはまた次回詳しくレポートしたいと思う。
果たしてその実力やいかに?
薪ストーブカンブリア紀⑬ 金なんてなくても生きていくさ
まだ世界がこうなるずっと前、徳島を旅行したことがあった。
アレックス・カーの「ちいおり」という古民家を探して険しい山道を車であちこちさまよっていた。
道々の民家にはかなりの確率で薪が積み上げられていた。そこに暮らす人々は、いまでも当たり前のように薪で風呂を焚いているのだ。
伐り出してきた木材をヨキで割り、当たり前のようにエネルギーとして使う暮らし。
連綿と続いてきた、山と共生する暮らし。
僕のような軟弱な薪ストーブユーザーにはまだまだ及びもつかない、達観した境地。
ふとした瞬間に脳裏に浮かぶのは、徳島の山中で何度も見かけた飾り気がなくて暮らしに根差した美しい薪棚だ。
さて。
世界はこうなってしまった。
説明は不要だろう。
世界はもうこんなことになってしまったのだ。
歴史を振り返ると誰でも分かるように、人類に制御不能なあまりにも巨大な出来事が起きることがあって、そんなことがあると、もう二度と元通りにはならないことだってある。
おそらく東日本大震災と、それに続いた原発事故も、本当は二度と元に戻せない大きな出来事だったはずだ。
でも、我々は元の生活を取り戻したフリをして暮らしてきた。
そのツケはどんどん大きくなっている。
そんな中で今回のアレが起きたわけだ。
二度と元に暮らしには戻せないだろうし、もはや元に戻してはいけないんじゃなかろうか。
そもそも、不必要なまでに発達したテクノロジーとともに沈没していくだけの世界に戻す必要なんてあるだろうか。
我々が目指すべきは、全く違った世界じゃないだろうか。
今回の出来事がいいきっかけになった、などと寝ぼけたことを言うつもりはない。
混じりっけ無しの悲劇だ。
でも、制御もできていないうちから、金のこと、経済のことばかり心配しているなんて、恐ろしいまでにバカバカしい茶番だ。
金がなくては暮らせない?
シャンプーがないと頭が洗えない?
灯りがないと夜を過ごせない?
まさか。
ないなら、ないなりに暮らすしかなかろう。
金がないならどうやって暮らせばいいだろう。
まず、食べ物を確保しよう。
スーパーで買いだめしたいところだけど、金なしでスーパーに行ってもできることと言ったら、試食コーナーで食べまくるか万引きくらいしかない。
なんとか別の方法で調達しよう。
野菜は畑で作ればいい。
畑がない暮らしなんて、これから目指すべき新しい世界では考えられないはずだ…知らんけど。
野菜や穀物は田畑で作ればいい。
それはいいとして、肉はどうする?
肉も自分で調達するしかあるまい。
とは言え、いまのところ独力で鹿やイノシシを捕まえることはできないので、知り合いの猟師さんに、物々交換的に譲ってもらったのが今回の鹿肉だ。
物々交換的、というのは、正確には鹿肉の対価ではないけど、折りにふれて色々できたものを差し上げて、代わりに肉をいただいている、という意味。
味噌やタクアン、自家製マスクなどをお礼として渡している。
さて、今回はモモと背ロースをボンといただいたので、まとまりごとに切り分けて保存することにした。
冷凍保存している分もあるが、常温で備蓄できるに越したことはないので、鹿肉ジャーキーにする。
この塊をさばこう。
狩猟用にも使えるレンジャーナイフを使って。
猫が真剣に見つめる中での作業だ(笑)。
薄く切りわけていく。
それを網に乗せて、ストーブで一晩乾燥させる。
以前、猪肉でも作ったのだが、脂身の少ない鹿肉の方が簡単に作れるし、人間も犬も食べやすかった。
カリカリになったらジップロックにでも入れて、保管して棚に置いておく。
貴重なタンパク源の鹿の干し肉。
細かく砕いてペペロンチーノなんかに加えても、結構美味しかった。
もちろんベーコンの方が美味しいけど、金なしでベーコンを手に入れるのはかなりハードルが高いので、鹿肉を食べる。
野山に出て自分で仕留めるところまで行くのは、まだまだ厳しいけど、猟師さんが仕留めた鹿やイノシシを自分で解体できるようには、近いうちになる予定だ。
なにせ、害獣として駆除されている鹿は、そのほとんどが食べられることもなく捨てられているのだから。
もちろん、その捨てられた肉を別の鳥獣が食べるのだから、無駄になるわけではないんだけど。
さて、獣の話はこれぐらいにしよう。
ストーブの熾を利用してうちの奥さんがプリンを作る。
肌寒い朝に薪ストーブを着けて仕事に出かけると、その熾を利用してプリンやチーズケーキが焼かれるというシステムになっている。
今年は何度もプリンが作られたが、最後になって、スの入らない理想的なプリンができた。
プリンも贅沢品だな、しかし。
金なしで作るとなれば、鶏とヤギを飼わないとね。
我々が目指すべき世界では、家の敷地を一歩も出なくて、やることだらけで忙しいぞ(笑)。
オブグリッド入門⑦ コロナ騒動が突きつけるもの。そして柿酢が完成。
コロナウイルスがこれからどうなるのか、それは誰にも分からない。
そもそもきゃつは一体何者だ。
よく分からないことがパニックを助長しているのは事実だろう。
でも、スペイン風邪のように突然ウイルスが変異して、致死率が上がれば、パニックごっこではすまない本当に危険な状況になることだって充分ありえる。
要は、先行きなんて誰にも分からないのだ。
封じ込められたらしめしめ。
オリンピックでまたひと稼ぎできる人たちがほくそ笑むだろう。
はたまた、危険のギアが一つ上がって、日本中が武漢状態になる可能性だってまだまだあり得る。
よくわからない事だらけの現状だけど、ひとつだけ確かな事がある。
それは、ウイルスで外出ができなくなっても、経済活動が止まってしまっても、流通や物流がストップしても、田舎で自給的な暮らしをしている人なら、普段通りの暮らしができるということだ。
もちろん、田舎で暮らしていても他の人との交流はいくらでもある。
でも、自分の畑で採れたものを食べ、自分で作った薪やエネルギーを利用した、自立した暮らしなら、籠城生活も単なる日常に過ぎない。
効率を求めて究極の分業が進んだ社会に暮らす我々は、そう簡単に社会システムから自由にはなれないだろう。いやはや、なんの疑問も抱かずに暮らすこの社会のなんと不自然なこと。
それがなくなったら人生おしまいか?という勢いで世界中のスーパーの棚からトイレットペーパーが消えていく。
なくなったら仕方がない。
新聞紙で拭くさ。
でも、昔の百姓は、あらゆることを自分でこなしていた。衣食住、なんだって自給できた。
お金があってもマスクもトイレットペーパーも手に入らないことだってありえる。
当たり前だけど、金は万能じゃないということだ。
我々は最も大切な事を他人任せにしてしまってるんじゃないか。
今回のコロナ騒動もまた、そのことを僕たちに突きつけている。一体何回こんなことを突きつけられたら、目が覚めるんだろう。
封じ込めに成功したら、また元のシステムでやっていくつもりなんだろうけど。
本当に引き返せないもんだろうか。
やれやれ。
そんな中、我が家でまたひとつ、自分の手で作り出せる物が増えた。
もちろん我が家もまだまだ、システムというやつとすっぱり手を切れないでいる。
電気の自給はもう少し先になりそうだし、食べ物の自給自足だってまだまだ道半ばだ。
しかし、ひとつひとつ、楽しみながら自分の手で色んなものを作り出していく過程は、人生の醍醐味としか言いようがない。
今回作ったのは「酢」だ。
原料は柿。
日本中で実る柿。
最も簡単なお酢づくり。
潰して放置して、時々混ぜるだけ。
甘柿でも渋柿でも作れる。
栄養的には、柿と酢の両方を兼ね備えている。
味はまろやかで、ツーンという刺激はマイルド。
そんな最高の調味料が完成した。
絞って、濾してできあがりだ。
まずは絞る。
そして濾す。
消毒が不要なので、洗っていないお酒の瓶に詰める。
できた。
数年熟成させた方が美味しくなるらしい。
我が家は酢の消費量が多いのでそこまで残っているかわからないけど、スダチ酢や柚子酢もあるので、併用しつつ大切に使っていきたい。
完成祝いに、薪ストーブの天板でたい焼きを焼いて食べた。
カリッと焼けて美味しかった。
薪ストーブカンブリア紀⑫ コナラの巨原木との格闘・後編
前回からの続きだ。
土砂降りの中、コナラを回収に出かけて、うちの奥さんは腰をやられながらも、なんとか持ち帰ったコナラ。
その量軽トラに二台分。
玉切りが面倒だ、というよりは、40センチほどに玉切りしないと持ち運べないくらい巨大な楢だったので、持ち帰った段階でいつでも薪割りスタンバイOKな状態だった。
ちょうど薪棚2号機の前列が空になっていたのでそこに並べればいいや、と思い、おもむろに割り始めた。
↑これ、そのコナラの薪割り風景。
その前に節だらけの杉を大量に割っていたので、薪割り場が、ゴチャゴチャしている。
まあ、そんなコンディションの悪い中で、薪割りスタートだ。良い子は真似しちゃだめだぞ。
まずはこの玉。
直径20センチ弱か。
ど真ん中を一刀両断。
さらに割って、
頃合いの中割りが4本できた。
続いてこいつ。
直径30センチに及ぼうかというなかなかのブツだ。
まず第一刀。
すこし筋が入った。
続いて第二刀。
よし、玉のサイドにも割れ筋が走ったぞ。
これで、いけるはず。
とどめの第三刀!
バッカーーン。
きれいに真っ二つ。
これぞコナラの手応えだ。
その後、律儀に割っていって、このひと玉で14本のやや小ぶりな中割りになった。
うむ、よしよし。
さて、お次は直径40センチオーバーのこいつ。
薪割り台をはみ出すその巨体。
こいつはど真ん中に5、6回、フィスカースのハンマー斧を打ち込んだが歯が立たず。
すこし捻くれた筋なのかも。
とにかく、そういう時は端から攻める。
端っこを削るだけでも、中割りがどんどんできていく。
どんどん削る。
削る。
ここまできたら、もう真ん中をいけるだろう。
苦労して割り終えた。
このひと玉は大満足の中割り19本になった。
そんなこんなで2週間かけて、コナラの玉をすべて割り終えた。
薪割り場に残っているのは、やや乾燥過多の大玉のヒノキだけだ。
そして予定通り、薪棚2号機には今回割ったコナラが綺麗に埋まった。
笑えるくらいぴったりの量だったぞ。
あー、楽しかった。
薪ストーブカンブリア紀⑪ コナラの巨原木との格闘・前編
「コナラを伐倒したけど、要る?」
と、知人から聞かれた。
この時点で詳しい話も聞かずに断るとしたら、その人は薪ストーブユーザーではないか、もしくはコナラアレルギーの人だろう。
もちろん、その倒れてるコナラが山の上にあって相当の距離を人力で運び降ろさないといけない、とかそういう話なら、泣く泣く諦めもするかもしれない。
しかし、今回倒したコナラは、道側らしい。
軽トラでかなり近くまで肉薄できるようだ。
この情報が伝わった時点で、ほぼ全ての薪ストーブユーザーが、
「あざっす!いただきっす!!」
と答えて、そのコナラを頂戴することになるだろう。
ただし、そのコナラ、かなりの巨木らしい。
まあ、そんなわけで、当然のように伐倒現場へ行きますわな。
巨木ということで、18インチ(45センチ)のバーのチェーンソーと14インチ(35センチ)のものと、念のため二台持参して到着。
さて、その巨木。
いくらなんでも巨木すぎた(涙)。
この画像で、右側に転がっている小さそうな玉切りされたコナラ。
こいつらでさえ、人力で運ぶならかなり重さを感じる直径20〜30センチの玉だ。
いわゆる枝分かれのした細くなった幹でもこのサイズ。
伐倒された一番太い幹、いわゆる一番玉はゆうに70センチ越えだ。
しかも完全に接地していて全く隙間がない。
こいつは玉切りするにしても重機がいるレベルだぞ。
とりあえずこの太すぎる一番玉は置いておいて、比較的御し易い細めの枝を玉切りする。
細めと言っても30センチは下らない。
チビてきたソーチェーンで、悪戦苦闘しながら接地して切りづらいブツを刻んでいく。
せっせと玉切りし続けては、一段下の軽トラが停めてある場所まで運ぶ。
頃合いのサイズのソヨゴも少し貰ってきた。
とりあえず、軽トラ一台分作れたので、家まで運び込む。
一台目の成果が、これだ。
すこし荷台に不安のあるうちのアクティトラックでは、ちょっと積みすぎか。
さて、続いて2台目の薪を取りに行く。
この頃から雨が降ってきて、はっきり言ってコンディションは最悪になってきた。
ので、写真は撮っていないが、二台目に選んだのは、少し前に倒されて枯れ始めていた、少しサイズの小さいコナラ。
しかし、これとて元玉は直径50センチオーバー。
なんとか宙に浮いた状態だったので、切れるところからどんどん切っていった。
そして、土砂降りになってきたので、とりあえず積み込んでそのまま現場を後にする。
ちなみに運び込む途中で少し負傷者が出た。
軽トラの荷台まで持ち上げるのが重すぎて、うちの奥さんが腰を少し痛めたのだ。
もう少し軽いものを持って貰えばよかったんだけど、最後はクソ重い玉しか残っていなくて、玉切りと並行して作業するときに無理をさせてしまったみたいなのだ。
ここまで犠牲を払ったんだから、ちゃんと割れてくれよー。と祈りつつ現場を後にした。
そんな二台目の成果がこれだ。
極太だし、少し変に捻れていたり、かなり太い節があったり。
なかなか割るのが厳しそうだ。
しかし放置しておいてはどんどん割りづらくなってしまう。
こいつらを斧でどう料理していくか。そもそも割れるのか。
巨大コナラとの格闘は後編に続く。
薪ストーブカンブリア紀⑩ 薪棚の修復・薪運び
ここのところ懸案事項だった薪棚の修復をした。
薪棚3号機と名付けたこの薪棚。
左右二層に分けて圧力を分散させる作戦だったのだが、右の方の棚が薪の重さに耐えきれずに外側に膨らんできていたのだ。
ここには小割りや焚き付け材が満載にされていて、日々使っていたが、このほど全て玄関前に移動させたので、晴れて空っぽになった。
薪棚の底には、カメムシやらゴキブリやらがうようよしていてあまり気持ちのいいものではなかったので、全て掃いてきれいにした。
よく見ると、横に渡したつっかえ棒も歪んでいる。
適当に直した。
そして、貰い物の角材をラティス状に打ち付ける。
まあ、修復とか偉そうに言ってこれだけなんだけど。
これで薪棚の外側への膨らみはなくなったので、当分は大丈夫だろう。
タダで貰ったものだけで作ると、メンテナンスが大変だ(笑)
現在の薪棚1、2、3号機の様子はこんな感じ。
今は2号機(一番左側)の様々な広葉樹の薪を使っている。
さて、時間もあるし、ついでに室内の薪棚環境を整えよう。
まず、空になった薪棚周辺をきれいにする。
特に一番下は汚いまま捨て置かれるので、この機会に掃く。
そしてえっちらおっちら薪と焚き付けを補充。
はい、完了。
これでまた雪や雨で外の環境が厳しくなってもしばらくは耐えられるはずだ。
薪ストーブカンブリア紀⑨ 薪ストーブには雪景色が似合う
いやー、今年初の積雪。
最近増設した、樫専用の薪棚3号も、素敵に雪化粧。
初積雪がここまで遅いのは初めてか。
やはり薪ストーブユーザーとしては、外に雪景色が見えないとちょっと雰囲気がでない。
まあ、道はツルツルで、四駆にスタッドレスでも調子に乗っているとツルッと滑るので、決して雪がたくさん降って欲しいわけでもないが、ある程度降らないと、雪解けの水が減って春に田んぼに供給する水が足りなくなるので、やはり雪を見るとほっとする。
早速雪が大好きな我が家の犬っ子を連れて散歩に出かける。
異様なテンションで雪の中を駆け回る。
そのままどんどん森に入っていく。
おいおいそのへんにしとけよ。
道すがらには、雪を被ったシュールなカラス避けも見かけた。
これは怖い。
完全にウォーキングデッドの世界だ。
さて、寒波が流れてくるという予報だったので、昨日の夜、10時に最後の薪を投入。
現段階で準備ができている薪で最も巨大なクヌギを打ち込んだ。
さてそれから8時間後の今朝。
炉内の様子は・・・
おや、全て燃え尽きたか?
空気の絞りが足りなかったな、と思いながら灰を吹き飛ばすと、
大量の熾が赤々と返事をする。
朝もマイナス1、2度の外気温。
寒いので、この熾を利用して朝の焚き付けを行なう。
焚き付けを組んで、一番上に割り箸を置いて、その上に巨大なドブネズミくらいのサイズの熾を乗せる。
空気を送り込むと、
いい具合に燃え始めて、
やがて簡単に燃焼。スムーズに巡航運転になった。
どうだ、ネスターマーティンでもこれくらいのことはできるんだ(笑)。
最近、薪ストーブユーザーである職場の先輩と話した時、鋼鉄製薪ストーブの焚き付けがいかに楽か、ということを切々と説かれたのだが・・・
その先輩はカナダの鋼鉄製ストーブを使っていて、焚き付けは中割りをバーナーで炙るだけだそうだ。なんと楽な焚き付け方法なんだ。
「焚き付けにそんなに時間がかかるネスターマーティンってどうなの?何で人気があるの?」
と言われて答えに窮する。確かに焚き付けは大変だ。細い焚き付け材もたくさん用意しておかないといけない。
でもだがしかし、やはり鋳物製ストーブの良さは確実にある。
ネスターマーティンの良さも確実にある。
じわじわ暖かいこの感覚は言葉ではなかなか伝わらないけど、朝でも天板が暖かみを帯びているということは、かなり長時間に渡って熱を出し続けていたということだろう。鋳物の輻射熱がどう良いのか、口ではなかなか言い表すのが難しい。
どちらがいいかという問題ではなく、自分の暮らしに合ったストーブと出会うのが大切だということだろう。
おっともう昼じゃないか。
今日は雪で仕事が休みだ。
そろそろ昼飯の用意をするとしよう。