生麹で麦味噌を作る
生の麦麹(こうじ)を1.5kgほどいただいた。米麹はどこででも手に入るが生の麦麹はちょっと珍しい。せっかくなので麦味噌を作る事にした。
味噌作りは、自給的暮らしの基本だ。味噌が作れれば、その発酵液(たまり)を醤油がわりにも利用できるし、様々な料理を自家製の調味料で作ることもできる。麹を手作りするのはハードルが高いが、麹が手に入ったら味噌作りに挑戦してみてほしい。
材料は麦麹1.5kg、乾燥大豆1kg、塩600g
これだけだ。これだけでほんのり甘い麦味噌ができる。たぶん、6kgぐらいの味噌になるはずだ。完成は10か月後だから、来年の2月頃か。完成まで時間がたっぷり必要なところなどは薪作りによく似ていると思う。
まずは大豆を圧力鍋で柔らかくする。1kgの大豆だと、家庭用の圧力鍋なら2回に分けなくてはいけない。これが結構時間がかかるのだ。柔らかく煮て、熱いうちに潰す。
冷めたら潰しにくいので、スピードが肝心だ。大豆を潰しそこねたとしても、豆の姿のまま味噌になるだけだから、少しぐらい潰れずに残っていても大丈夫だ。あまり神経質にならずに潰そう。
平行して麹にとりかかる。これが生の麦麹。
米麹ほどしっとりしていない。あらかじめ麹と塩を混ぜておく。
そして潰した大豆が人肌まで冷めるのを待って、大豆、麹、塩を混ぜていく。
全部混ぜたらこんな感じになる。
あとはカメに入れていけば完成だ。なんの事はない。味噌作りなんて、それほど複雑なものではないのだ。ただ、慌てて仕込むと失敗しやすいので、気持ちに余裕があるときに仕込むように心がけよう。丁寧に仕込めば、失敗はほとんどない。
最後に清めの塩をする。
あらかじめ切って消毒しておいた、竹の皮で覆って、
重石をして完成!
あとは来年になるまで、夏場そこそこ暑くなる冷暗所で保管するだけだ。
薪割りとともに2ヶ月
ブログを始めてから2ヶ月が経過した。
一応、毎日更新することを自分に課して、空いた時間を利用してちょこちょこ書いてきたが、はじめのうちは、いつネタが切れるか、そればかり心配していた。それで記事の内容をぶつ切りにして、連載っぽく書いたり、どうでもいい内容でお茶を濁したり(それは今もやっているが)。
しかし、最近はなんとなく書けるようになってきた。とにかく週末はひたすら薪割りしたり、木を集めたり、そんなことをして過ごしていたので、それに付随する色んなことをとりあえず書いてきたが、そもそもこのブログはどういう意図を持って始めたのか?ということを書いてみる。
現代社会は働きすぎなんじゃないか
そんな疑問が出発点だ。もちろん「勤勉がダメだ」なんて安易なことを言うつもりはない。真面目に働くことはすごく素晴らしいことだ。ただ、みんな賃金労働ばっかりし過ぎなんじゃないのか、と思ったわけだ。もちろん主婦が子育てや家事をするのは、賃金労働ではない。ただ、それだけじゃなくて、生業(なりわい)と呼べるような、生きることに直結する仕事を私たちはほとんどしなくなったんじゃないか、と。
薪ストーブに引き寄せて書けば、薪割りが分かりやすい。薪を割って自分が使うエネルギーを作り出す、これはまさしく生業だ。木を切り出して薪にして乾燥させないと、熱い風呂に入ったり、煮炊きができないからだ。もちろん言うまでもなく暖房も。
そして自分で食糧を作ることもしなくなった。野菜や米を自給できている人なんてほとんどいなくなってしまった。
着る服だって、昔は自分で作っていたのに、最近縫い針に糸を通したことがある人なんてどれだけいるだろう?
その代わりにみんな、金を稼ぐ。
金を稼いで、灯油を買って、スーパーで食品を買って、ユニクロで服を買う。
それがダメだと思わない。でも、自分はもっと生きる力、自分で作り出す力をつけて暮らしたいと思った。その一番身近にあったのが、薪ストーブであり農業だった。
このブログで、薪ストーブ暮らしと、農業生活を綴りながら、最終的には食とエネルギーを完全に自給することを目指してみる。そしてそのためにもうひとつ欠かせないのが、人間関係の自給だ。全ての事を自分で背負うのではなく、色んな人との金を介さない付き合いを通じて助け合い、補完しあえば、自分で全て作らなくても、生きていける。
ビル・トッテンという人が言っている。「週休4日、給料6割の暮らし」が、おすすめだと。悪くない。生業を作っていくのに最も大切なことは、時間を作り出すことだからだ。給料が半分に減っても幸せに暮らせるはずだ、という確信のもと、もうすぐ出勤日数を週3~4日に減らしてみる。
そして作った時間を、生きることに充填するのだ。
これからその生活が始まる。薪割りはほんの序章に過ぎない。
村上春樹氏が奇しくも書いている。お金で買える最も素晴らしいものは時間と自由である、と。
その分なら、お金を稼ぐ代わりに自由な時間を持つことは、本質的にはお金で時間と自由を買っていることになるのではないだろうか?
何も、大金持ちだけがお金で時間と自由を買えるのではないだろう。
これはミヒャエルエンデのモモという物語にも通じることだが、長くなってきたので、エンデについてはまた別の機会に譲るとしよう。
四月。ちょうど桜が満開だった。
賃金労働を減らして時間と自由を手にした僕たちに、これからどんな未来が待っているだろうか。
乞うご期待!
薪ストーブ前史29 どんころ用の薪棚
チェーンソーなどで薪作りをすると、半端な長さのものが出たり、薪割り中に節が複雑に絡んでどうしても割れないものが時々出てくる。もちろん楔を駆使したり、チェーンソーで縦切りすれば、全て薪にできるのだが、楔を使うと身体を痛めたりするし、 恐い楔(くさび) - 薪ストーブクロニクルチェーンソーでいちいち縦割りするのはめんどくさい。しかも縦切りする場合、安定が悪くて結構危ない目にあったりするので馴れない人はあまりしない方がいいと思う。
で、どうするか?「どんころ薪」として乾燥させ、遊びもかねて焚けばいいんじゃないかと思っている。どんころとは、事情により本来の細長い薪の姿になれなかったちょっと不遇な薪であり、本来であればもっと労られてもいいはずなのだが、積みにくくて管理がしにくいため、忌み嫌われている。かわいそうだ。
しかし、個人的には、結構いいやつなんだと思っている。割りづらいどんころは、かなり大きいままの姿をしていることが多く、ストーブ内でかなり長く燃えてくれるらしい。しかもどんころの形に応じて炎の形も 様々に変化するので見ていて楽しいのだそうだ。
というわけで、どんころ専用の棚を作ってみた。
とりあえずここに適当に積み上げておいて、2、3年ほったらかしにしておこう。いつか役に立つ日がくるだろう。
薪ストーブ前史28 薪場の変遷、そして猿からヒトへ
薪を割って積み上げている薪場。
そこに栗を積んだり、桜を積んだり、キノコの生えた黒い薪を積んだり、極太乾燥玉を極小サイズに割ったりしたものをどんどん積んでいった。ブログのトップ画面に写っているのがそこである。
薪が積み上がっている光景を眺めるのは、実に心癒される。いつまで見ていても飽きない。そんなこと、実際に体験してみるまで予想もつかなかった。ただの割った木のはずなのに、それが積み上がった光景を見ていて、名状しがたい安心感というか充実感というか、そんな感情に満たされている自分に気付いて、笑ってしまった。
そんな自己満足、ニヤニヤでムフムフな薪場の変遷をご覧にいれよう。
はっきり言って、薪割り一年生、まだまだ、薪の量は全然少ない。それでも、初期衝動のようなものは感じていただけるのではなかろうか。
まず最初の薪割りの頃はこんな感じだった。
2016年の11月だ
まだ薪は全然ない。適当に集めてきた雑木と庭に生えていた樹齢30年の栗の木の玉。そんなものが少し並べてあるだけだ。
それが、栗を割りはじめたり、針葉樹をもらったりしてこうなった。
2016年の12月
まだ栗の木も全部割り終わっていない。そして針葉樹は運び込んだままの状態だ。
1月はあまり記録が残っていないが、ガンガンに割り出した2月以降は、細かく定点観測をしていた。まず、栗の木を全て割り終えた。
そして、2立米ほどあった桜の木を割ってボリュームが出てくる。
これが2月頭。ブログのトップ画面の画像です。左のほんのり赤みがかった薪が桜だ。前後ろ2列に並べたので、見えている量の倍近くある。
そしてそれが雪に埋もれ、
キノコの黒い薪(右側の薪)を貰い、
極太乾燥玉を割り始め、けやきを貰い、
けやきを割ったり、
さらにどんどん割りまくった結果、ここまで薪場が成長した。
いやー感無量。
その後、栗薪とけやき薪は別のところに作った薪棚に移したため、現在は上の画像の状態より若干薪の量は減っている。
こんな感じ↓。
栗薪が置かれていたど真ん中のスペースがぽっかり空いているのが分かるだろうか。そこに屋根ギリギリまでの高さの縦長の薪棚を作る計画だ。
夏野菜の準備の合間を見て、暖かい春夏のうちに手をつけたいと考えている。
薪を割って、ひととおり積み終わって、ぼんやり薪場に目をやる。薪のある風景を、陽が暮れるまで飽きることなく眺める。
これは、人間が猿から進化して二足歩行を始めた時から連綿と行ってきたことなんだろか、などとつまらないことを考えながら・・・。
割りばしだって焚き付けに
とあるイベントでお昼ご飯に50人分くらいのお弁当が出た。
もちろん、箸は割りばしだ。
ちょうどそのお弁当のゴミを片付ける担当になったので、さりげなく使い終わった割りばしを回収する箱を用意してみた。
すると食べ終わった人たちがどんどんそこに割りばしを分別して入れていってくれた。
ざっと洗って天日干ししておけば、立派な焚き付けに再利用できる。
割りばしは簡単に燃えるので、着火の際に重宝するのだ。
使い捨ての割りばしにも五分の魂、なのである。
薪ストーブ前史27 栗の薪の乾燥、そして移動
栗の玉切りをしたのが去年の11月。長さ40㎝の太割り、中割りをサクサクつくったのだが、なんといってもその重さに驚いたものだ。薪ストーブ前史⑨栗の薪割り - 薪ストーブクロニクル
それまで針葉樹ばかり割っていた身には、この重さと手応えの違いに驚き、そしてワクワクしたものだ。これが広葉樹か、これだけズシッとした薪ならさぞかし火持ちがいいのだろう、と。
それから4ヶ月。寒い冬を越えて身体も動くようになってきたので栗の薪を移動させようと思った。薪置き場を新たに整えていざ動かそうと栗薪を手に持ってみて、再び驚いた。ものすごく水分が抜けて、めちゃめちゃ軽くなっているのである。目隠しして利き薪をしたら「えーっと針葉樹かな?」と言ってしまいそうなほど、軽くなっていたのだ。
↑左側の一際高く積んだところが栗薪エリア。その右はほとんど欅(けやき)である。
確かに薪ストーブ関連の本やブログには、
栗…パチパチはぜる音は風情がある。火持ちは悪い
みたいなことが書いてあった。しかし、最初に栗を薪割りしていた時のあの重さしか印象にないため
「え、栗はすぐ燃え尽きるの?こんなに重いのに?うちの栗に限っては火持ちがいいんじゃないの?」
などと都合のよい解釈をしていたのだが、驚くほど短期間で水分がザバーッと抜けた印象だ。まだひと夏も越してないのに。
実際に大割りをひとつ、半分にして含水率を計ってみた。
フィスカースで割る。
意外と硬い。
と思ったら、節があったんですねー。
割った断面の中央部分の含水率を計ると、なんと13~15%と出た。もう完全に乾いてるやんけ。すぐにでも焚ける。
導管が長い栗は実に簡単に水分が抜けていくんですね。そしてめっちゃ頼りない重さになっちまうわけだ。
とはいえ焚いてみるまでわからない。実際に焚いたらどんなことになるか、楽しみだ。
なにより、パチパチはぜる音がどんな風に聞こえるのか、それが楽しみだ。
薪割りをしていると・・・
薪割りをしていると、時々村のおばあちゃんが声をかけてくる。
「きれいに積んであるなぁ、にいちゃん。やっぱり捨てるのももったいないしなぁ」
「ええ、そうなんです」
「毎日焚くとたくさん薪がいるからなぁ。風呂焚くんやろ」
「いえ、これは暖房用なんです。薪ストーブに使うんです」
「そうけー。暖房に?」
「はい、だからたくさん割らないと」
こんな感じだ。
実家のある集落は昔から続く農村だ。風呂焚きはほとんどの家で薪を利用していたし、今でも薪で風呂を焚く家は残っている。
しかし、薪ストーブ用の煙突を見ることはない。薪ストーブはまだこの集落にはやってきていないのだ。我が家がこの集落の薪ストーブ第一号のようだ。