薪ストーブ始生代104 薪棚倒壊。春の嵐にご用心
春の嵐か。
最近は、春にものすごい強風に見舞われることがおおい。
で、先日積み上げたばかりの単管パイプの薪棚の薪が倒壊してた。
原木をもらって、借りた軽トラで薪場まで運んだら、崩れていたのだ。
貰った原木はおもに榎やケヤキだ。どちらも乾燥してしまうとなかなかに割りにくい木なので、早速玉切りして、薪割りを平行してしていくつもりだ。
さて、倒壊した薪棚だが、横から見るとこんな感じで崩れている。
この写真でみて、左から右にむけて強風をまともに喰らったようだ。
さいわい、屋根のある方に倒壊したので、すぐに片付けなくても雨に濡れることはない。
しかし、春の風で倒れるくらいなら、台風シーズンを乗りきれるはずがない。なんとか策を講じないといけない。
もっとたくさん、何列も薪を積めば重さで安定するだろうか。
それとも、山の中にある薪棚なので、風の吹き抜ける方角を考えて積まないといけないのだろうか。
しばらく試行錯誤する必要がありそうだ。
・・・・・
さて、今年の春になって、とある事情があって山の奥深くに入ることが多くなった。
ぷらぷら山中を歩いていると季節が春に近づいているので、色々と面白いものを見つける。
例えばこの植物。
特徴的な葉っぱが山中の清流の周辺に大量に生えていた。
これはなんだろう、と詳しい人に聞くと、なんと、トリカブトの葉っぱだそうだ。
正確にはトリカブトには数種類あって、単なるトリカブトというものはなくて、おそらく「ヤマトリカブト」という種のようだ。
また、水溜まりの中に、こんなものも見つけた。
かなりグロい(笑)。
これはおそらくヒキガエルの卵のようだ。
いやいや、どれだけの数のヒキガエルが誕生するんだろうか。
運が良ければ、タラの芽やコシアブラなどの美味しい山菜もたくさん手にはいる。特に大好物のコシアブラは、見つかることを祈りながらの山歩きだ。
・・・・・
なんか、久しぶりの更新なので、色々なネタが混在して申し訳ないのだが、ついでに我が家の今の畑の状況も報告しておく。
春キャベツはかなりしっかり結球してきた。
イチゴ畑もすこし生長してきている。
白くて可憐な花も咲いてきた。
種から育てているトマトがようやくひとつ芽を出した。
去年よりずいぶん、撒いてから芽を出すまでに時間がかかった。
ズッキーニの種も、芽を出しつつある。だんだん野菜の苗が賑やかになってきて嬉しい。
久しぶりの更新で、とりとめのない内容になってしまったが、とりあえず、現状はこんな感じだ。
最近ちーとばかし忙しい。
また余裕ができたら更新したい?
薪ストーブ始生代103 薪は足りたのか?
2017-2018シーズン。
はじめての薪ストーブシーズンだった。
右も左も分からず、とにかく2016年の秋から薪を集め始め、集めては切って割って切って割って、を繰り返した。
そして初めての薪ストーブシーズンインとなる2017年10月の段階で、そこそこの量の薪が集まった。
詳しくは以下の記事を見てくだされ。薪ストーブ始生代・総集編①「薪は足りるのか?」 - 薪ストーブクロニクル
まあ、だいたいの
メインの薪はたぶんナラかなと思われる広葉樹。
上の画像では左側の一群だ。これが1立米。
そして真ん中の桜薪が1.2立米くらい。
右側には短い広葉樹や、少しボケた広葉樹の黒い薪が併せて1.3立米くらいか。
そして栗の薪とケヤキの薪が併せて1立米弱。
針葉樹も杉と松で2立米くらいあった。
少し細かくその内訳を見てみると、
①短い広葉樹の薪 0.5立米
②黒いキノコ薪 0.8立米
③桜の薪 1.2立米
④喫茶店薪 1立米
⑤栗薪 0.5立米
⑥けやきの薪 0.2立米
⑦その他の雑木薪 0.2立米
⑧杉の薪 1.5立米
⑨松の薪 0.5立米
広葉樹の薪が4.4立米。
針葉樹の薪が2立米。
合計6.4立米だ。
そしてシーズンが終わった結論をサクッと書くと、これらの薪はほぼすべて焚き尽くした。
栗とケヤキの薪が申し訳程度に残っただけだ。
だいたい6立米。
1年で6立米だ。
これは多いのか、少ないのか。
ただ、ひとつだけ言えるのは、今シーズンは理想的な環境でバリッと2年くらい乾燥した最高の状態の薪というのは全くなくて、3分の1が針葉樹、あと3分の2は野ざらしで数年放置されてボロボロになりはじめている広葉樹や、ボケた薪など、やはり理想的な薪とは言いづらいものがほとんどだった。
火持ちも悪く、すぐに燃え尽きたり、あんまり温度が上がらなかったり。
このような薪を6立米焚いた。
これが理想的なくぬぎの2年乾燥薪なら、どのような結果になるだろうか。
そこは来シーズン以降の宿題とする。
これが
↓こうなった
とりあえず、薪は足りた。
なんとか足りた。
そして、来シーズンの薪は着々と集まっている。
さて、これからどんな薪ストーブライフが待っていることやら。楽しみだ。
薪ストーブ始生代102 単管パイプの薪棚、登場!
自宅には薪棚1号機から薪棚3号機までの主力の薪を積む薪棚と、針葉樹を積んでいる薪棚ゼロ号機がある。
今日は、山の中にある、第2薪場の薪棚の話だ。
茶畑が並ぶ茶畑山の一角に、隣のおっちゃんが作った作業小屋が並んでいる。
そこに玉切りしたくぬぎや、運び込んだ長い枝などを置かせてもらって、折を見て切ったり割ったりしている。
そこで使わなくなったトタンの屋根や単管パイプ、直交クランプなどを借りて薪棚を作った。
そこに、すでに割ってあったくぬぎの薪を積んでみた。
おお、なんか様になってるね。
まだまだ、井桁に積む技術はこれからだが、とにかく一応安定して積むことができた。
反対側からみるとこんな感じ。
そう、この薪棚は一列で終わりじゃないのだ。
全体はこんな感じになっている。
全て埋めると4列、つまり今積んだ量の4倍積める。4列全てを積むと風通しが悪くなるのか、それともそれなりに乾くのか。
その辺のさじ加減がよくわからない。
計算上は5~6立米積めるのだが、それもどうなるか?
まあ、まだまだ割る玉は豊富にあるので、とにかくどんどん割っていってから考えよう。
こいつらを焚く日が来るのが楽しみだ。
同じ日に、ズッキーニと万願寺唐辛子と鷹の爪の種を蒔いた。
前日の夜から布にくるんで水に浸しておくと、芽が出やすい。特に唐辛子の種は次の日の朝にすでにピコッと小さな芽が出ていたので感激した。
これらを種まき用の培土に蒔いた。
ちなみに、鷹の爪は前日に菜の花のペペロンチーノを作ったとき、ふと思い立って種取りをしてみたものだ。
F1種の可能性が高いのでうまく育つか分からないが、まあ元手がただなのでやってみる価値はあるだろう。
それ以外のズッキーニと万願寺唐辛子は固定種なので、うまく育てて種取りすれば、来年以降も栽培が楽しめる。
眼を出すか、うまく育つか、ワクワク、ドキドキだ。
薪ストーブ始生代101 新しい現場(六本木ヒルズ)で細めの原木や枝を運ぶ。
長かった雨もあがり、気温は20℃くらいまでぐんぐん上がり、すっかり春が来た。
外での作業も汗ばむほどだ。
さて、そんな春の陽気の中、新しい現場だ。
田んぼに倒れた細いくぬぎや杉の木をばらして、持ち帰ってほしい、という依頼。
少し前にひとりでチェーンソーや枝切りハサミを使って持ち運べるサイズまではバラしておいた。
今日は奥さんと二人での作業だ。
こうしてみると、たいした量でもなさそうか。
とにかく、これを道路に停めている軽トラの荷台まで運ぶのが今回のミッション。
薪運びフィットネスだ。前向きに考えるなら、足場が悪いので体幹が鍛えられる。
ちなみに今回はまだ無理だったが、画像に写っている、何本も並んでるくぬぎの立木も、伐採して薪にしていいよ、と言われている。
数えてみたら六本あった。なのでこの場所は「六本木ヒルズ」と名付けることにした。
細い枝だろうと、もちろん燃料になるのでありがたくいただく。
積まれた下の方にはそれなりに太くて重いものも割りとたくさんある。
さて、量はたいしたこともないのだが、今回のミッションが厳しいのは、運ぶ距離がそれなりに長く、しかも軽トラの停めてある道路までの最後の道のりがかなりの傾斜になっていることだ。
前向きに考えるなら、距離が長い分だけ持久力が鍛えられる。
このような森を抜けて運び出す。
かなり極太の針葉樹が立ち並び、その脇には10月23日の猛烈な台風でなぎ倒された木々がそのままに放置されている。
こっちには御神木らしき大木も。
これらの倒木は、持ち出しの許可をもらっていないので、手をつけずに、横目に通りすぎる。
軽トラと現場をいったい何往復しただろうか。
前向きに考えるなら、往復すれば、それだけカロリーを消費できる。
ようやく全部運び終えた。
こうして見てみると、それなりの量があるなぁ。
表面は杉の細枝ばっかりだが、下の方にはくぬぎが置かれている。
やはり軽トラは運搬が楽だ。
実に気楽に運び出せる。
最近、知り合いの方から、軽トラを譲ってもらえるという話が急浮上した。
どうなるかはまだ未定だが、薪運びと切っても切れない関係にある、軽トラについてもまた機会をみつけて書きたいと思っている。
まあ、それはともかく、また軽トラ一杯分の木が手に入った。
ぼちぼち玉切りしたり、細かくしたりしていこう。
四月の愚か者②
夜桜が美しい今日この頃。
四月の愚か者について、知っていることを話そう。
四月の愚か者は、そこに住む人たちに、考える暇がないくらいあれこれお金の悩みをもたらした。
四月の愚か者は、みんなにお金がないと暮らしていけない、という常識を植えつけた。
四月の愚か者は、世界はお金で動いているという錯覚を与えた。
四月の愚か者は、まるでミヒャエルエンデの「モモ」に出てくる灰色の紳士たちのように、心ひそかに人々に時間を貯金させた。
心を失う暮らしの中で、人々はだんだん何が悪いか分からなくなってきた。もしくは悪いとはわかっていても、それを是正する暇も方法もなくなっていった。
人々はだんだん考えることをやめていった。
そう、思考停止だ。
人々が思考停止することこそ、四月の愚か者たちが完全犯罪を成就させるための必須条件だった。
思考さえ停止してしまえば、メルトダウンした原発を抱えながら老朽化した原発を動かすことも、公文書を都合よく改竄することも、憲法を改正して堂々と戦争して武器を売ることも、なんだってできる。
政治なんてどうでもいい。そんなことより、お金を稼がないと、
とみんなが思うことがなによりも大事だ。
お金のこと以外は考えても無駄だと人々に思わせることができれば、このゲームは四月の愚か者たちの勝ちだ。
四月の愚か者は一体何をしようとしている?
四月の愚か者はこの国をどこへ連れていこうとしている?
僕たちは、知らずに連れていかれる。
どうして?どこへ?
もちろん、ますますお金がゲームの主役になる、そんな世界に、だ。
食べ物、燃料、電気、ガス
そんなのお金で買うにきまってら
友達、恋人、ペット、趣味
それもお金ですませろ
資格、学歴、仕事、昇進
それはまさに金次第
安全、健康、寿命、幸福
それこそ、金で決まるだろう
おいおい、馬鹿に素直じゃないか。
どこもかしこも嘘ばっかりついて、みんな取り澄まして平気で騙してるってのに。
なんかこの展開、どっかで読んだことがあるな。
平気で嘘ばっかりつかれていても、全然気にせずに暮らすプロールたち。
監視社会で暮らしているのに、監視されていることなど気にもせず、とにかく日々を生きるプロールたち。
日々の雑事やいさかいで忙しいプロールたち。
小説の中でプロールたちはこんな風に書かれている。
「彼らはもっと大きな悪の存在には絶対に気付かない」と。
思考を停止させて、四月の愚か者たちにとって都合のよい世の中にしていこう。
中にはもっと大きな悪の存在に気づく、目ざといやつら(レフトウイングと呼ばれるやつらだ)もいるので、目一杯の監視社会は絶対不可欠だ。
よからぬ動きは、マイナンバーと特定秘密保護法案で監視しよう。
もっと縛り付けられる、なにかよい法律があればいいんだけど、まだ作れないから、まず大元の憲法をいじってしまおう。
いよいよだ。いよいよ、四月の愚か者のための、すばらしく都合のいい国ができあがるぞ。
さぁ、思考停止だ。ビッグブラザー万歳。
はぁ。
やれやれ。
薪ストーブ始生代100 そろそろシーズンが終わる。
去年の6月のこと。
薪ストーブが設置されたのが嬉しくて、寒くもないのに昼間から焚いていた。
↑去年の6月の証拠写真。白猫のミケリアはまだ覚醒前。目やにもとれてなくてまだブチャイクだ。
その後、さすがに真夏は焚かなかったが、9月になると気温が20℃を下回る日も出てきて、ちょっと肌寒いという理由で焚き始めた。
薪ストーブユーザーの先輩から聞く話によると、寒い季節が来て、それが何月であろうとも、一度焚いてしまってその暖かさを身体が思い出してしまうと、もう後戻りできないらしい。
つまり、その年の秋に(もしくは冬に)一度でも焚くと、そこから先は、少しでも寒いと感じたら焚かずにはいられない、ということだ。
だから、薪を節約するためにはその初焚きの日をどこまで遅く引き伸ばせるかが勝負なのだそうだ。
薪が潤沢にあるところでは一切関係ない話だろうが、多くの薪ストーブユーザーにとって薪の確保は切実な問題だ。
お金に余裕があったとしても、2年乾燥したコナラの薪をジャンジャン注文するのはなかなかに勇気のいることだし、原木で購入して安く済ませても、自分で割った薪は愛しいものだ。
まさに薪は誰にとっても「いとしいしと」なのであって、残り少ない薪を滅びの山の火口ならぬ薪ストーブの炉内に放り込むのは、それ相応の覚悟がいるのだ。
その年その年で、色々と事情が変わってくるだろう。
早くから寒波がやって来る年、薪に余裕があって気持ちが大きくなっている年、焚きたいのに薪が乏しくて焚けない年。
しかしいつか初焚きの日はやってくる。
というか、秋が来ると、その事ばかり考えてしまう。
去年は、つまり今シーズンは9月に初焚きをしてしまい、それからは寒い日が来ると焚いていた。
そして12月から2月までの3ヶ月間は基本的に毎日焚いた。
3月になって週に1回、2回、と焚かない日も出てきて、先週あたりから焚かない日の方が多くなり、そしてここ3日ほどは全く焚いていない。
焚かなくていいほど暖かいのかというと、朝晩はやはり肌寒い。
でも厚着をすれば普通に過ごせる。
とうか、薪ストーブがなかった頃は普通に過ごせていた気温だ。
そして、もちろん切実な事情がある。
去年の秋以降、かなりの量の薪を入手した。
しかしそれらはまだまだ乾いていない。そして、焚けるくらいまで乾燥した薪はもはや底をつきかけている。
最後の最後でケヤキの薪が活躍してくれたが、それとてもはやあとわずか。
つまり焚きたくても焚けないのだ。
もちろん、お金を出せば薪は買える。
それは全然悪いことじゃない。
悪いことじゃないけど、僕は食とエネルギーの自給を目指して暮らしているので、自分で調達できるものはなるべくお金を出さずに暮らすというルールを自分達に課しているのだ。
それは、高尚な理念や崇高な地球環境への憂慮というよりも、楽しく充実した毎日を送るためのルールだ。
薪に直接お金を出さずに自分たちで調達するには、コミュニケーションを駆使して誰かからもらうか、山から木を伐り出して身体を動かして薪にするか、その両方を利用して集めたり割ったりするか、いずれにせよ面倒だし、頭も身体も使う。
しかしまあ慣れてくれば、コミュニケーションは楽しくなってくるし、身体を動かすことは大切でもあり、充実感もある。
そもそも人間は太古の昔と比べて、暮らしはとんでもなく変わったけど、遺伝子的にはほとんど変わっていないらしい。
つまり、身体を毎日しっかり動かすことでバランスが保たれるようにできている。
スマートフォンがあれば、身体を動かさなくてもあらゆるものが手に入るけど、健康は手に入らないのだ。
だから、無理はしないけど、毎日身体を動かして暮らすことを基本とする。身体を動かして色んなものを作り出す暮らし。薪作りや野菜作りは人間の暮らしにとってデフォルトであるように思うのだ。
その中で、当たり前の健康が維持される。
一見不便なんだけど、楽をしようとしても後できっとその代償を払うことになるのだろうから、不便を楽しんで健康で充実した毎日が送れたら、それって悪くないと思いませんか。
だから、今日もせっせと薪を割る。
今年は薪がほんの少し足りなかった。
もしくは寒くない日に無駄に焚きすぎた(笑)。
来年は薪に困らないように。
寒い日に、たっぷりの薪で部屋中がポカポカになるように。
猫たちがストーブの前でぐっすり眠れて、奥さんの足の冷えがなくなるように。
薪ストーブシーズンが終わろうとする今、そんなことを考えている。
雨上がる。じゃがいも植える。猫草を収穫する。
長雨がようやくあがり、金曜日あたりから青空が戻ってきた。
先週の週末に植えようと思って、種芋を切り分けていたじゃがいもだけど、雨が続く予報だったので見合せていたのだ。
で、一週間前に切り分けて、腐らないように断面に灰をつけておいたものを、満を持して植えた。
今回チョイスしたのは2種類。
「インカのめざめ」と「アンデスレッド」だ。なんとなく南米系、それもペルーっぽい名前の種芋にしてみた。
まあ、もちろん名前がそうだからといって、ペルーの原種に近い芋というわけではなく(当たり前だ)、購買意欲をそそるネーミングをつけるのはマーケティングの一環なんだろうけど、そのマーケティングにどっしりのっかってみた(笑)。
じゃがいも用に、短めの畝を5本立てておいたのだが、たいした数もなかったので、そのうちの4本だけを使って植えた。
芋間は30㎝。
間に堆肥と鶏糞となたね粕を少しず置いた。
しばらくは雨も降らないようなので、都合がいい。寒さの底も過ぎたので、あとは芽かきをして土寄せをしてあげれば、それなりの芋は採れるはずだ。
去年の秋に秋じゃがの栽培に挑戦したのだが、芽が出てすくすく育っていた矢先に、遅れてきた巨大台風がうちの村を襲って、白菜や葉もの野菜や大根とともにじゃがいもも全滅させられた。
まさしく地上に出ているものを全てなぎ払うかのような風だった。
今の季節はそんなことにはなるまい。
初夏のじゃがいもの収穫が楽しみだ。
さて、今の畑には、これからに期待できるものがいくつか育っている。
まず、定番のスナップえんどうとエンドウ豆。
そして結球し始めた春キャベツ。
肥料を切らさないようにせねば。
その他にもニンニクがすくすく育っている。
晩秋に植えた玉ねぎはなぜか生長しなかった。
同じ日の農作業で。
夏野菜を植えるための土起こしをしているのだが、スコップにとんでもない手応えがあって、あわててツルハシに持ち替えて堀すすめるとこんなものが顔を出した。
畑からなんつーでかい石。
別にうちの集落でその昔、巨石文明が栄えた、とかそういうことはないのだが、巨大な石が土からゴロゴロ出てくる。
去年の夏からいじり始めたばかりの畑なので、まだまだ開墾している途中なのだ。
何年かかるか分からないが、しっかり石を取り除いて理想的な畑に育てていきたいものだ。
畑の近くに生えていた猫が喜ぶ草を、収穫して鉢に入れて、ミケリアとごっすんに与えた。
大喜びで、がしがし食べてる。
春は抜け毛の季節。草でお腹の調子を整えているみたい。
ブラッシングもしてやらねばなぁ。