オフグリッド入門①~雨水をためて畑で使う
さて、オフグリッドだ。
先日の記事で自分のオフグリッドに対する考え方を少し長めに書いたところ、北海道からも反響をいただいた。
去年、北海道胆振東部地震で2日間停電を経験したという方からのコメントだった。
そのコメントを昨夜うちの奥さんと読み返していた、まさにその時間に、北海道のほぼ同じ場所で震度6弱の地震の速報が入ってきた。
死者は出ていないようだけど、まだ断水が続いている地域もあるようだ。
先日コメントをくださった方は無事だろうか。こんな寒い季節に断水になっていたら、さぞ大変な思いをされていることだろう、と心配になった。
断水して大変なのは、飲み水よりもむしろ生活用水だろう。
飲み水は2㍑のペットボトル1本あれば事足りるが、トイレ、風呂、洗濯などに使う水の量はその数百倍になる。
節約して使っても、そして、仮にどこかで水源がみつかっても必要な量を家まで運ぶだけでも、かなりの労力が必要になるだろう。
しかも、僕たち日本人は、「水と平和は無料で手に入る」という幻想を未だに持ち続けているきらいがあるけれど、どちらも早晩入手困難になる可能性がある。
まあ、平和に関しては、客観的に世界情勢を眺めてみれば、平和が脅かされる要因はそれこそ本当にたくさん転がっている。
しかし、水はどうなの?
断水さえしなければ、あんなに安い水道代で毎日いくらでも使えるんじゃないの?
と、まあ普通はそう思いますよね。
でも、去年(2018年)の5月に、企業に公共水道の運営権を持たせるよう推し進める法律が可決しているのだ。それも、国民の関心がそこに向かないように、同じ時期にオウム真理教の死刑囚の刑の執行している、という周到なメディア戦略までして。
水道事業の民営化、しかも外国企業の日本法人がすでに単独で水道事業を運営するケースが出てきており、去年可決した法律の後押しもあって、今後民営化の流れは止まらないと思われる。
そしてその結果、間違いなく水道料金は上昇していく。
外国での水道事業の民営化に際して、企業が手始めにすることは、ほぼ例外なく水道料金の見直しだったからだ。
人間が生きるために絶対に不可欠な水という資源は、大手企業からすれば莫大な富を生むビジネスチャンス以外の何物でもない。
上記のように、国民の関心が向かないタイミングであっさりと民営化への道筋が作られていることから考えられるのは、巨大な世界的企業による圧力しかない。
なにせ、一地域に対してひとつの企業がその地域の水道事業を独占するという条件がついているのだ。つまり、運営権さえ取ってしまえば、競争がなくなるのだ。
脳が溶けてしまったかのように制御不能になっている例の電力会社と同じ構造ですがな。
脳が溶けるのは自由だけど、炉心まで溶けたのにのほほんとしていられる、例の電力会社と同じ構造なのだ。これは、ヤバすぎる。
またしても金だ。
やれやれ。
いい加減、うんざりだけど、そんな巨大企業の思惑は変えられないにせよ、水は何はともあれ暮らしに欠かせないものだ。
天変地異による断水も、水道事業の独占という人災による水道価格の高騰も、ともに将来起こりうるリスクだ。
思考停止して、蛇口から出てくる水を待っているだけではいかん時代がやってくるのだ。
さあ、水も自分でなんとかしよう。
というわけで、まず第一弾は畑で使う水の確保から。畑に250㍑の雨水タンクを設置した。
ここまで、かなり悲壮感もりもりの壮大な話をしてきたわりには、設置したものがショボいが(笑)、この雨水タンクはDIYでできる優れもの。
自治体の補助金も使えるので、かなり安く付けられる。うちに関しては実質一万円くらいで設置できたはずだ。
屋根に降った雨がトユに集められて、流れていくのだが、その水をキャッチして溜めておくという、極めてシンプルな構造。
こいつは、誰でも一時間もあれば設置できる。
設置した数日後、雨降りの日があったのだが、その一日の雨天でタンクは満水になった。それほどどしゃ降りの雨でもなかったのだが、どうやらシトシト降る雨の方が、水を集めやすいようだ。
こんな感じで、リミットまで溜まったら、それ以上は溜まらずに、普通に下に流れていく。
また、水位が下がったら、溜めてくれる。
夏場の散水はもちろん、農機具や根野菜を洗ったり、ほのぼのとした使い方がメインになる予定。
もちろん緊急時には大切な水源として活躍してくれるはずだ。
しかし、これはささやかな、どちらかといえばオマケの雨水タンクだ。
屋根の小さい小屋のような建物に降った雨を集めるならこれくらいのサイズで充分。
もし、オフグリッドに関して、大がりなことは無理だけどなにか少しだけやってみたい、という方には、この小さめの雨水タンクか、自分で組み立てる太陽光パネルがおすすめだろう。
雨水タンクはもうひとつ母屋に大きなものを設置した。実はこっちが本命なのだ。
そちらの話しはまた次回。
とりあえず、こいつに関しては夏野菜の水やりが楽しみで仕方がないぞ。
オフグリッドについて考えるときに僕が考えること
ブログも3年目。
ようやく薪ストーブと畑以外の大ネタが登場だ。
オフグリッド。
このブログの永遠のテーマだ。
お金だって大事かもしないから、貯金がゼロなんてことはない。
だけど、2000年代の前半にアルゼンチンに滞在しているときに実際に体験したペソの大暴落を思い出すと、お金だけを持っていたってそれで安心なわけではない。
むしろ、お金に全面的に頼らないで自分の暮らしを守る方法を構築する方が良いと感じている。
倫理的も、感情的にもそう思うし、それを抜きにして、もっと単純に考えても、お金だけに頼っていたら、後で困るのはどうせ自分だろうと思っている。
分かりやすい実例は、停電したときにQOL(クオリティーオブライフ)がどれくらい下がるか、を考えてみれば理解しやすい。
普段より、ちょっと暗い部屋になるくらいで、快適さは変わらない、というレベルなのか、トイレを催す度に恐怖を感じるのか(笑)。
停電なんて一時的な状況ですぐに復旧するんだから、長くても数日耐えればいいじゃない、とあなたは言うかもしれない。
しかし、去年のように地震と台風が重なったら、途端に過疎地に回す電柱が足りなくなったりするのだ。
災害が複合的に起きた場合、公共のライフラインの復旧は大都市優先で、それ以外の地域はかなり後回しになることが確実だ。
しかも、大規模な災害が複合的に起きる可能性は東南海トラフ地震や気候変動による異常気象なども考慮すれば、もはや何も起きない方が奇跡と言えそうなくらい、私たちの身近なものになってしまったと考えるべきだろう。
停電、断水などはもはや、起きて当たり前なのだ。人智の及ばない、もっと悲惨なことにならないことを祈るしかない。
と、少なくとも僕はこう考えている。
で、今まさに起きつつある地球規模の気候変動が収まってくれればいいが、そして、物凄いスピードで進化を続けるAIのテクノロジーが、人類の未来をいびつなものに変えてしまわなければいいが、それを嘆くのはひとまず置いておいて、目を背けるのもやめておいて、現実をしっかり見た上で、この、糞みたいな現代社会をしっかり俯瞰した上で、楽しく幸せに暮らすためには、どうすればいいだろうか、と考えると、意外と答えはシンプルなのだ。
まず、①必要以上に現代社会(システム)に依存しないこと。
そして、②自分でできることは自分ですること。
と、まあさしあたりこの2つで充分なはずだ。
なーんだ、簡単ですね(笑)。
で、まず大切なのは現金収入を得るために働きすぎないこと。
金のために働きすぎると、日常を変える気力がなくなってしまう。
本当は多くても週に四日ほどが理想だ。
もしくは毎日働いてもいいけど、仕事が終わってから田畑に出たり薪を割ったりする時間がある明るさで帰宅できること。
働きすぎない、というのは、あくまでも現金収入のために、という条件つきであって、身体を動かしてするべきことは山ほどあるのだ。
食べるものを作ったり、燃料を作ったり、衣類や日用品だって、時間さえあれば昔は誰だって作っていた。
ようは、時間とその暮らしを楽しむ感性さえあればいい。
そして、そのフィールドとしては、絶対に断然田舎がいい。みんなが宝を捨ててごみ溜めに向かっている今なら、理想の暮らしを実現できるフィールドがいくらでもある。
さて、したいことをする時間を作って、したい暮らしができる場所も手に入った。さてそこからどうしよう。
現代の社会やシステムに依存しすぎないためには、ライフラインをある程度自分で確保しておけばいいのだ。
そこでようやく冒頭の話が出てくるわけだ。
つまりオフグリッド。
オフグリッド自体は、目的ではなく、システムに依存しすぎないための手段のひとつだと思うんだけど、オフグリッドのいいところは、手段なんだけど、妙に楽しいという点だ。
道をふさいで邪魔なだけの、うち捨てられる樫の木。しかし薪ストーブユーザーにとっては極上のお宝だ。
と、いままでは、オフグリッドアイテムが薪ストーブだけだったんで、ここまでだったんだけど、これからは少しステップアップするのだ。
これからは毎日の天気が楽しみになるのだ。
名付けて全天候型オフグリッドアイテム。それを設置する。
太陽がガンガン照りつける晴れの日も、空を雨雲が覆い尽くすどしゃ降りの雨の日も、どちらも待ち遠しくなるだろう。
それって凄い事だと思いませんか?
正確には、2つのオフグリッドアイテムを組み合わせることで、晴れた日も雨の日も、その自然エネルギーを自分の暮らしと直結できるのだ。
それは何かというと、(拍子抜けするかもしれないが)太陽熱温水器と雨水タンクのセットだ。
晴れた日の太陽熱で家の給湯全般をまかない、雨の日の水で畑への散水や洗濯の水をまかなう。
なにより、断水したときの非常用の水道としても使えて、しかも雨が降る限りは常に補充されるというのが安心だ。
え?水道代なんてたいして高くないんだから設置したってぺいしないんじゃないかって?
その通り。
太陽熱温水器は間違いなく元がとれるが、雨水タンクはその設置費を賄えるほどの経済的効果はない。
しかし、しかしですよ。
自分が素敵だと思える家にするのに、経済的効果を考える人がいるだろうか?
例えば家にウッドデッキが欲しい人がいるとして、ウッドデッキがどれくらい経済効果があるかを考えるだろうか?
ウッドデッキで快適に過ごすことが、設置にかかった費用に対する何よりの報酬だろう。
だとすれば、雨水タンクも太陽熱温水器も、それでいくら得するかを考えること自体がナンセンスだ。
太陽の熱や空から降る雨が自分の毎日のエネルギーに利用できるという暮らしこそが、何よりの報酬だ。そんな暮らしは言うなれば、極上の、それこそ楽園的暮らしに思えてならない。
結果として、普段のガス代がいままでより安く抑えられれば、それはさらに現金収入が少なくて良い暮らしへと繋がるので、大歓迎なのだ。
結論。
「生きていくために必要なことはそんなに多くない。」
お金?
そりゃあれば便利でありがたい。お金が嫌いだからトイレに流す、なんてことはない(笑)。でも紙切れになる可能性があることは頭の片隅に置いておこう。いつか一万円札でお尻を拭く日が来ないとは限らない。そしてお金を増やすことは人生の目的ではない。
情報?
知らないことを知っていると得なようだけど、実はあればあるほど不幸かも。
インターネットやスマートフォン?
この世から消え去っても嬉しいだけ。ブログの読者とはもう繋がれないけど、そして無理とは知れど、消滅して欲しい。まあ、控えめに言って諸悪の根源だ。
食べ物?
そう、食べ物は絶対に必要だ。自分の食べ物を自分だけですべて作るのは相当根性がいるけど、身近な地域の人たちと繋がることで地域的自給は可能だ。
エネルギー?
寒い冬に暖をとったり、料理のための熱は必要不可欠だ。快適に暮らすなら温かいお風呂もぜひ欲しい。薪ストーブと太陽熱温水器でその多くが賄えるはず。
そしてまだまだ構想段階だが、オフグリッドといえば、その中心には電気というエネルギーがある。電気は避けて通れないので、いつか登場することだろう。どんな形になるか楽しみだ。
水?
なかったら即、死にますね。
風呂、トイレ、洗濯etc.etc.
ちょっと想像力をたくましくして、水がなくなる恐怖を考えたら、いつでも真水が手に入る環境に身を起きたくなる。断水なんて、いとも簡単に起きるから。
Somethingelse?
あるインドの思想家が説いて言うには、人生に必要なのは食べ物と水と、なにがしかの芸術だそうだ。ここでの芸術とは広義の芸術だろう。趣味に近いものと考えて良さそうだ。
それが何かは人によって違うだろうが、お金を増やすことではないと個人的には思っている。
さて、3年目に突入したこのブログは、今後しばらくは、新たに導入したオフグリッドアイテムについての具体的な話を書いていきたいと思っている。
薪ストーブについては、相変わらず最高に暖かい冬を過ごしている、とだけ書いておこう。
ブログは3年目に突入
2年前、このブログを始めた頃はまだ家に薪ストーブがなくて、それどころか今暮らしている家にさえ住んでいなくて、公団住宅で薪ストーブについての妄想を膨らませていた。しかし近いうちに導入の予定があったので、薪ストーブについてリサーチをしたり、薪集めに奔走していた。
初めて投稿した記事がこれだ。
薪ストーブの設置されたモデルハウスやログハウスを見て回っては、家そのものより薪ストーブを観察し続けた。
狂気の薪集めは、乾燥しすぎた原木ばかり拾ったり貰ったりして、斧でなかなか割れず、楔を叩きすぎて肩を壊したり、まあ、樹種と状態を問わずとにかく燃やせるものであればなんだってよかったので必死こいて薪をかき集めていたものだ。とにかく、薪棚をいっぱいにしようという一心で・・・。
それから2年。
薪集めのルートもきっちり確保し、すっかり慣れてきたつもりだ。
何といっても、最近の一番の変化は、良い樹種でなければ持って帰ろうとしない、薪の選り好みを始めた点だ。
ああ、なんてこった。完全に堕落してしまった(笑)。
2年前、清き心で貪欲に薪を集めていた頃は考えられない堕落っぷりだ。
家の土場には、まだ割られていない樫とコナラばかりが積み上げられている。
しかも、実際にはまだどちらの薪(樫もコナラ)もまともに焚いたことさえないぺーぺーなのだ。
なんとも情けない話だ。
しかし今日も猫たちは火がつくなり、薪ストーブの前で思い思い寛いでいる。
とにかく家族の協力もあって毎日暖かく過ごしている。
昨日はうちの奥さんが薪ストーブの周辺環境を整えてくれた。
大割り、中割り、長めの小割り、短めの小割り、樹皮、割り箸、木っ端、といった具合だ。
3年目に突入したこのブログ。
更新頻度も堕落しっぱなしだが、
「まあ、まだまだ続くやろ」
と、うちの子も言っておられます。
ぼちぼちよろしく。
薪ストーブ原生代36 味噌作り
もうブログを廃業したかと思われた方もおられただろうか(笑)。
久しぶりの更新だ。
夜の薪棚を撮影したり、コナラをガツガツ拾ってきたり、色々薪ストーブネタを集めていたのだが、どうも一つの記事にまとめるほどのものでもない気がして、だらだらしているうちに更新できず、時間だけが過ぎてしもた。
さて、気を取り直して・・・。
2月は味噌作りの季節だ。
薪ストーブがあれば、味噌作りもずいぶん助かる。
きちんと予定をしておけば、前日からしっかり吸水させた大豆を、天板でコトコト煮て柔らかくして、重石や道具の煮沸もストーブでお湯を沸かしておけるので経済的。
何かと役に立つ。
しかし・・・
何ということか、季節外れの暖かい1日だった昨日は、朝からなんとなくポカポカしていて、2月だというのに薪ストーブがいらないような陽気だった。
そのうえ、急に決まった休みだったので、大豆を水に浸けることもしていない。
まあ、とりあえず味噌でも作るかー、と急に決まった味噌作りだったので仕方ない。
結果的に、薪ストーブが着いていないことで、逆説的に味噌作りにおける薪ストーブの重要性を思い知った1日となったのでした(笑)。
今年は2単位(大豆2キロ)の味噌を作る。
でも、一気に作ると疲れるので、今回はとりあえず1単位だけ作ることにした。
豆を煮るのは圧力鍋を2挺使いで一気に。だから薪ストーブの天板がなくてもすぐに煮ることができた。
しかし、大量の重石用の石などの煮沸に使うお湯をどんどん沸かさないといけないのに、そのためにガス火を使うのがかなり癪だった(笑)。ああ、薪ストーブさえあれば・・・。
結局、さほど寒くないのに薪ストーブを焚くことになった。これは本当に経済的なのか(笑)。
重石用の石を煮沸。
煮沸。
で、煮た豆と麹と塩を合わせてカメに仕込んでいく。
塩分は基本的に10%だ。それより多いと塩辛い。
それより少ない減塩味噌にすると、酢酸発酵して、味噌がすっぱくなりやすい。
塩分は10%が理想なのだ。
さて、カメに仕込む作業は几帳面なうちの奥さんに任せた。僕は専ら撮影係り。
味噌を仕込む。
そこにうわぶたとして庭に生えているバランを敷いていく。
どんどん。
どんどん。
柿の葉寿司みたいやな。
そこに重石を乗せていく。
ストーンヘンジか?
さらに重石を乗せる。
どんどん。
多ければ多いほどよいのだ。
ほとんど、石しか見えなくなったところで、虫(ゴキブリも)などが入らないように布と紙で蓋をする。
今年は樹木希林が蓋になった。
紐でしっかり口をとじる。
これで完成。
ついでに、去年仕込んだ味噌を開けた。
ちょっと甘みが強いが、若くていい味の味噌になった。
味噌汁にして味わった。
また来年の味噌かめのご開帳が楽しみだ。
おいしくなーれ!
薪ストーブ原生代35 直径20㎝の半割り?そんなのが入るか?
これは我が家の室内薪置き場。
乾燥に次ぐ乾燥の末、ようやくたどり着いた、薪の最終的な身の置場所だ。
ここから先は、もう燃えさかる炉内しか行き場がない。
薪たちの最後の晴れ舞台を前にした、楽屋のようなものだ。
さて、先程の画像をよく見ると、ひとりだけ縮尺がおかしいんでないの?というような半割りの薪がある。
これだ。
おいおい、いくら乾燥してるかしらないけど、こいつはちと、でかすぎるんでないかい。
しかし今夜は、このブツを薪ストーブにぶちこもうっていう趣向だ。
直径は20㎝。
完全に手のひら大のそのブツだが、実は見かけ倒しだったりする。
でかいのは頭だけなのだ。
まあそれでもなかなかでかい。
一歳半の猫と比べても遜色ないそのでかさ。
充分に温まった炉内を準備して、
ぶちこむ!
いやー黒々とした龍が炎の中を駆け巡っているかのようですな。
圧倒的な迫力じゃ。
全体に火が回り、薪ストーブは何事もなかったかのように、部屋を温めるのでした。
そしてたった一本薪を取っただけで、薪棚の嵩が一気に減ってしまったのでした。
びふぉー
あふた
薪ストーブ原生代34 天板は大忙し
冬は天板の上が大忙しだ。
お湯を湧かしたり、調理をしたり…
先日は晩ごはんの熱調理を全て薪ストーブに任せた。
天板の上はこんなことになる。
なんと、土鍋が2つも乗っとるじゃないか(笑)。
中身が気になるね。開けてみよう。
はい、オープン!
今日の晩ごはんは、雑穀入りご飯と味噌汁、そしてメインは白菜と豚バラのミルフィーユ鍋だ。
ご飯は、天板で炊飯したではなく、冷やご飯を土鍋で蒸して温めているのだ。まあつまり電子レンジの代わりだ。
そして味噌汁は煮立ってしまうので、保温ぐらいの温めかたで。
鍋は後で強火にする予定。
あとはサラダと漬け物。
今日の晩ごはん、ガスも電気も全く使わずに完成だ。
天板だけでなく、ストーブの前では猫たちがくつろぐ。
しかし、サビネコのごっすんは、薪が大好きなので時々薪棚の上で薪になっている(笑)。
眺めがよろしいようで。
そんなわけで、今日も我が家の薪ストーブは大忙しなのでした。
薪ストーブ原生代33 柿を焚く
最近、少し柿の木を焚きはじめた。
柿の木は、うちの奥さんの実家に生えていて、邪魔になったので伐って欲しいという依頼があったため、伐採して薪にしたものだ。
以下にその時の記事のリンクを貼っておく。
薪ストーブ始生代⑧柿の木を伐採する - 薪ストーブクロニクル
薪ストーブ始生代⑨柿の木を割ってみる - 薪ストーブクロニクル
薪ストーブ始生代30 柿の木の薪がカビた - 薪ストーブクロニクル
2017年のことになるようだ。
月日がたつのは恐ろしく早いな。
まさに
Light fries like an arrow.
光の蝿は矢を好む、だ。
冗談はさておき、カビたはずの柿の薪だったが、意外と状態の良いものもあった。
のか、放置しておいたら、カビが気にならなくなったのか。
いかに柿の薪。
柿独特の鮫肌がクールだ。
さあ早速焚いてみよう。
きちんと巡航運転になった炉内に。
柿の薪をぶちこむ。
水分大量の生木状態で伐った柿の木だったが、1年4ヵ月でしっかり乾燥したようだ。
すぐに火が回り、燃え始める。
含水率が高くて、炉内の温度を下げることもなく、しっかり燃えた。
まあ、この柿の薪は、せいぜい3日分ぐらいしかないはずだが、ぼちぼち他の薪に混ぜて焚いていこう。
特に今メインで焚いているくぬぎのボケ薪は、あちこちにボロボロこぼれて、汚いったらない。きれい好きの奥さんに怒られる(涙)。
たまにはキレイな薪が焚きたくなるのだ(笑)。