薪ストーブ始生代98 ケヤキよ今夜もありがとう
日によっては薪ストーブを全く焚かない日も出てきた。
しかし、あっという間に寒の戻りで寒くなる夜もある。
シーズンはもう終わりが見えてきたが、まだまだ油断は禁物だ。
さて、そんな状況のなか、薪が残り少なくなってきている。
いや、前回の記事で今の薪の備蓄状況を振り返ったときに分かったのだが、今の我が家には10立米もの薪がある。10立米がもし全て上質な楢やくぬぎの薪なら、我が家ではおよそ2年分か。しかし、いかんせんまだ乾いていない。要するに焚ける薪がほとんどないのだ。
そんな中、ダークホース的にこいつら「薪ストーブ前史・総集編⑤「けやきは割りにくい?」 - 薪ストーブクロニクル」が活躍している。
そう、ちょうど1年前、まだ団地住まいだったころに近所で伐採されていた街路樹のけやきを貰って運び込んだものだ。
当時は置く場所がなくて、南北のベランダと玄関を埋め尽くしたけやきの原木。
それを今の家に運び込み、太めのものは半割りにして乾かしておいたのだ。
たいした量ではないので、活躍することは想像していなかったのだが、乾燥したあらゆる薪を焚き尽くし、追加でもらってきた端材たちもほぼ焚き尽くした今、このケヤキの薪だけが最後の頼みの綱となり、3月の寒い夜を暖めてくれている。
半割りにしたとは言え、さすがに1年ではカラカラに乾燥しているとまではいかず、焚き始めに使うと多少の水が吹き出すものもあるが、炉内の温度が充分上がれば、問題なく薪として使えるし、投入しても温度の低下はみられない。
それに、焚くものがなくなった今となっては、多少のことには目をつぶらないと、奥さんや猫たちに寒い思いをさせてしまうことになる。薪ストーブユーザーとして、それだけはいただけない。
家族や猫たち(猫たちも家族だな)に寒い思いをさせることは、薪ストーブとしてあってはならんことだし、最大の恥辱だといえるのだ。
まるで、ジョゼッペ・ヴェルディのオペラ「椿姫」の第2幕でアルフレード・ジェルモンが、生活に困窮していることに気付かず、実は病気の恋人ヴィオレッタが彼女の家財道具や服を売り払って贅沢な生活を維持していたことに後で気付かされて、「なんたる恥辱!」と憤慨して、舞踏会に乗り込んでヴィオレッタを公衆の面前で罵って札束を恋人の顔にぶちまける場面を思い起こしてしまうくらいの恥辱なのである。なんじゃそら。
それにしても「椿姫」っていうオペラは有名だけど、無茶苦茶な筋書ですね。まあ、オペラはだいたい筋は荒唐無稽だけど。
しかし、なんと言ってもオペラは音楽そのものがすばらしい。18、19世紀を通じてクラシック作曲家が取り組む最も重要な音楽ジャンルであり続けた(んじゃないかな、たぶん・・・いや知らんけど)。
えーっとなんの話だったかな。
そうそう、家族や猫たちに寒い思いをさせてはいけない、しかし薪がない、そんなときにあたかも救世主のごとくその活躍のときを待っていたのが、ケヤキの薪だったわけだ。
細いものに関しては、噂ほど割りにくくもなく、しかもそこそこ火持ちもよいので、部屋はポカポカだ。
近くで桜(といってもソメイヨシノではないが)が咲いている。
さあ春こい。こい。
今回の寒の戻りが、最後だと願いたい。
まじで薪がなくなったわ(涙)。
あ、ちなみに今日はかのサッカー選手、ロナウジーニョの誕生日です。彼ももう38歳だ。
おめでとうございます。