薪ストーブ始生代⑤ファイヤーサイドのショールームへ行ってきた
遠出をした帰り。
中央道で長野県を通過することになり、ふと、ファイヤーサイドのショールームへ行ってみようと思い立った。
インターから車ですぐの場所にあるというのも、アクセスが楽で助かった。
下道に降りて、ぐんぐん山側の斜面を登っていく。途中にある家々には不思議なくらいの高確率で煙突が出ていた。
きっとこの辺りでは、「暖房を薪で」というのが、ごく自然な選択肢なのだろう。
見晴らしのよい高原にファイヤーサイドのショールームを発見。
看板も見ていないうちから、すぐにそれとわかったのは、ありえないくらいの数の煙突がひとつの建物からニョキニョキ出ていたからだ。
その数、およそ6本、いや7本ぐらい、見えるか‥‥
入り口に置かれた赤のアンコール。
Hitaの野外ストーブTipiも置いてある。いい具合に錆が浮いて、雰囲気充分だ。
おおー、ここだここだ。色んなブログで見覚えあるぞ。
早速、中へ急ぐ。
ほほー、庭には感じよく庭木が配されている。梅の木なんかも植えてあるぞ。
中には、薪ストーブのショールームとは思えないくらい、おしゃれで素敵な雑貨やアウトドアーグッズがズラズラと並んでいた。
それを見ているだけでも、結構時間が潰せるし、薪ストーブに興味がない人でも楽しめる品揃えだ。
しかし、僕は薪ストーブに興味がない人ではないので、奥の薪ストーブの展示部屋へと急ぐ。
ヒタ・インスパイアの白が置かれている。
あーこれこれ。
薪焚亭さんのブログでいつも登場する薪ストーブ。ある時期、ずーっとそのブログに登場していたので、まるで自分の家で焚いているような錯覚に陥った。
炎の美しいストーブだ。
薪ストーブを選んでいるの時の4択のうちのひとつに入っていた。引っ越す場所がもう少し街中だったら、このストーブを入れていたような気がする。
実物のデザインは写真より素敵だ。
やはりホーローの光沢具合とか、見え方は実物を見ないと分からない。白い薪ストーブってなんか独特の魅力があると思う。
ヨツールにも白のホーローのF400だかF500だかがあったと思うが、あれもちょっと白の雰囲気が違うが、すごくかっこいいと思う。
このインスパイアの白は最高にかっこいいと思う。
火は入っていなかったが、ストーブの前に置かれていたソファーに座ってぼんやりと眺めた。
さて、他にもアンコールやらディファイアントやら、もっと昔の骨董的ストーブも置かれていて、気がついたらメチャクチャ時間が経っていた。
外のウッドデッキに出てみる。
薪棚に取り囲まれていて、そこにいるだけで幸せな気分だ。
高原独特の心地よい空気感に心がなごむ。
ウッドデッキのベンチで猫を発見。
まるでうちのごっすんを大きくしてふさふさにしたような、もふもふした黒猫だ。
昼寝の邪魔してごめんよ。
さて、ファイヤーサイド来訪記念に、薪ストーブグッズとは関係ないが、こんなものを買った。
この角度では何か分からないかも。
木の棚のサイドに打ち付けた、鋳物製(?)のハンガーフックだ。
超強力な猫ちゃんのしっぽで、どんなものでもぶら下げることが可能だ。
良さげなハースラグがバーゲン価格で売られていた。そのハースラグをうちの奥さんがとても気に入ったので、ぜひとももう一度再訪したい。なんて考えている、今日この頃。
庭に木を植える
引っ越しをして、はや3ヶ月。
食卓を買ったり、カーテンを取り付けたり、ソファーを買ったり、家の中はだんだん生活スタイルが定まってきた。
問題は家の外である。
畑の開墾は遅々として進まず、夏野菜は場当たり的に耕した場所に無計画に蒔いたり植えたりしたので、なかなかに混沌とした様相を呈していた。
まあ、それは今後何年かかけて解決していくしかない。
問題は植樹である。
家の立て替えに際して、母屋の回りの木々をほとんど伐採した。
栗や金木犀、梅など。
その多くはこの一年足らずの間にせっせと割られて薪となった。
なので、家の回りに木がない。これはかなり寂しい光景だ。
とりあえずなんか植えてみよう。
と、こんな気軽な感じで奥さんとホームセンターにいって、買ってきた。
早速植えよう。
まずは深めに穴を掘る。
最初に植えるのは小梅だ。
我が家では梅シロップを大量に作るので、梅は欠かせない。いずれ、大粒で梅酒や梅シロップに向いた白加賀、もしくは梅干しにも最適の南高梅を植えたいが、これらの品種は、単独では受粉しないので、小梅などの別品種を植える必要がある。
ちなみに小梅は自家受粉するので、一本だけで育っても身をつけてくれる。
掘った穴に堆肥を入れてみよう。
そこに水をたっぷりあげて、小梅の苗木を置いてみる。
まあ、深さはこんなものでいいかな?土をかぶせて完成だ。
同じようにして、胡桃の苗木も植える。
手前が小梅で、奥が胡桃だ。
あとは、別の場所に無花果(いちじく)も植えた。
本当は10月から寒くなるまでの間ぐらいが、苗木を植えるのに最適なのだそうだ。
ただ、ホームセンターで売れ残っていたかわいそうな(そして格安の)苗木たちをみつけて、どうしても育てたくなったので、挑戦してみた。
胡桃といちじくは小さいながらもシャンとしていたが、小梅だけは葉っぱも元気がなくて、今後が心配だが、大切に育てたい。
植えた苗木以外にも、庭にはオリーブとふじりんごの木が、好きなように育っている。
庭木を美しく配して、素敵な庭を育てていけたら、と思う。
薪ストーブ始生代④薪ストーブに求めるもの③~薪、自分でエネルギーを作る手応え
薪ストーブは寒い冬に使うものだと思うけど、薪ストーブユーザーは春が来て暖かくなっても、また、暑い夏でも薪ストーブのことを考えていたりする。特に今の季節は、この冬の薪は足りるだろうか、なんて考えたりするのではないだろうか。
実際、僕の職場の先輩も、
「そろそろマジで今年の薪を割らないとヤバイわ」
なんて言っている。
いやいや、先輩、今から割ったらちょっと遅くないですか?
去年の冬も
「薪が乾いてないから全然燃えないんだよ」
みたいにぼやいてたぢゃないですか。
日々忙しいと、気が付いたらまだ割っていなかった、なんてことになるかもしれない。もちろん自戒を込めて書いている。
ただ、今はまだ薪ストーブ一年生。僕の薪ストーブライフは始生代(地球の歴史が始まった年代)に入ったばかりだ。
薪割りひとつとっても、楽しくて仕方がない。
色んな所から少しずつ木を貰ってくるのだが、あっという間に割ってしまっては、次の木が欲しいなぁ、割りやすい広葉樹ならなおのこといいなぁ、などと甘言妄言を繰り返す毎日だ、よく分からんけど・・。
さて、何の話だったかというと、薪ストーブに求めること、というテーマで、実際に本格的なシーズンが始まる前に自分なりに考えていること、求めていることをまとめている。
今回は薪について。
薪ストーブの導入に二の足を踏む人の話を聞くと、やはり薪の確保が大変そう、もしくはお金がかかりそう、というのが定番の理由だ。
確かに薪割りは重労働だし、理想的な2年乾燥薪をすべて購入していたら、ひと冬10万円や20万円という単位で薪代がかかってくるだろう(それが高いかどうかというのは、また別の議論だが)。
お金を払って薪を買うのが嫌なら、自分で調達しなければいけない。これは住んでいる場所の環境にもよるが、都会で薪調達は確かに至難の技かもしれないが、田舎に暮らしていれば、なんとかなるはずだ。
そして、僕にとって薪ストーブが魅力的なのは、この「薪は自分で調達しなければいけない」という原則が、「薪を、つまりエネルギーを自分で作り出せる」という言葉に置き換えられるからなのだ。
エネルギーを自分で作り出せる。
なんという魅力的な響きだろう。
もちろん、薪を作ることに関わる工程の全てを、自分の力だけで行えるわけではない。立ち木を伐るチェーンソーは自分で作れるわけがないし、オイルの類いも購入する。
薪割り斧だって、今は素晴らしい斧を簡単に購入することができるが、自作することは困難だろう。
もっと言えば、そもそも薪になる木を育てる太陽エネルギーがなければ、薪作りはスタートラインにすら立てない。
なんとも他力本願なエネルギーの自給自足で恐縮だ。しかし、少なくとも、ある程度の準備が整えば、中東からエッチラオッチラ運ばれてくる石油や、原発に無理矢理依存した電力会社からの電力に頼らずとも、部屋をばっちり温められる、というは、やはり魅力的だというしかない。
梅干しや味噌を自分で作っていてつくづく思うのだが、昔から伝わる作り方、昔からの智恵というのは伊達じゃない。
科学技術がそれを凌駕したかのように、昔のやり方が消えつつあるが、実は科学技術による代用はハリボテというか張り子の虎というか、全然代用できていないし、凌駕するなんてとんでもない。ご先祖様たちが本当に長い時間をかけて温めてきた智恵の足元にも及んでいないと思う。
味噌にしても梅干しにしても、手作りは面倒くさいけど、本物がもつ美味しさは、全く別物だと感じている。
薪エネルギーも、しかりだ。
石油ヒーターやエアコンなどのポッと出の新参者に乗っ取られて、薪暖房はほぼ消えかけている。しかし、薪で作り出される熱は、石油や電気で作るものとは根本的に別次元だと思う。
これは、少し前にも書いたけれど、薪で焚いた風呂に入った原体験を根拠にしている。
薪ストーブ(でもペチカでも暖炉でもメイスンリーヒーターでもいいけど)でひと冬を越すのは始めてなので、こんなに自信満々に書いてもいいものかどうか分からない。
ただ、もうすぐその答えは出る。楽しみだ。
話が脱線したが、はるか昔から日本人が当たり前のように利用してきた薪エネルギーを自分で作り出せるということ、そこに薪ストーブの真髄があると思う。
遺伝子的に組み込まれた、薪を割り、利用することに対する、根源的な欲求(なんと大袈裟な(笑))。
そうでなければ、薪割りがあんなに楽しいはずはないし、薪棚をみてあんなに気持ちが昂ることの説明がつかない。
とかなんとか書いているが、やがて身体が衰えれば、薪は割りだって困難になるだろう。
まあ、そのときはそのとき。
そうなったときにあらためて考えるとこにしよう(笑)。
キュウリの種取り③種を洗って乾燥させる
収穫して一週間ほど熟成させたキュウリの種を掻き出して、数日間発酵させていた。
キュウリの種取り①固定種のキュウリの種を自家採取しよう - 薪ストーブクロニクル
キュウリの種取り②種を掻き出して発酵させる - 薪ストーブクロニクル
種を発酵させるのは種と種の回りのワタを分離させやすくするためだ。
さて、数日間ポリ袋に入れて日陰に置いておいたキュウリの中身。
これをザルにあけて、水洗いしていく。
おおまかにワタが取れたらボウルにあけて水をはる。水に浮くのは、「しいな」と呼ばれる未成熟の種なので、捨てる。
かき混ぜるとどんどん浮いてくる。
どんどん取り除く。
すると、水に浮く種がなくなった。
このきちんと沈む種たちは、ちゃんと発芽してくれるはずだが。本当だろうか。
まあやってみよう。
ワタのとれた種をネットに入れて(本当は玉ねぎネットなどが、目が細かくて良いのだが、なかったので石鹸のネットで代用。あまりおすすめしません)、ぶんぶん振り回して脱水する。洗濯機に入れて脱水機能で脱水しても良いようだ。
さてあとはカラカラになるまで天日干しするだけ。
半分に割ってパキッという音がするくらいまで乾燥していればオッケーだ。
また来年の夏に、キュウリのサラダやぬか漬けを楽しませてくれるのだろうか。
薪ストーブ始生代③薪ストーブに求めるもの②~火とともに暮らす
初めての薪ストーブシーズンを前に、薪ストーブに求めるものを考えている。
前回は薪ストーブの、他の暖房機具にはない暖かさについて、希望的観測も踏まえて書いた。
今回は火の効能やストーブの熱源利用について。
薪ストーブの魅力のひとつに、実際に薪が燃えている火を見ることができるという点が挙げられる。
実際、暖炉などは、暖房効率は低いけれど、火を眺める楽しみという点では最高の設備だと思う。ある意味、薪ストーブよりも贅沢なものだと言えるかもしれない。
ぼんやりと火を眺める楽しみ。特に夜の炎は美しくて心癒される。そんな炎がちゃんと見える、シンプルなガラス面の薪ストーブが欲しいと思っていた。
色々悩んだ末にネスターマーティンに落ち着いたのも、他の様々な要素と併せて、火が綺麗に見られるからというのも大きかったのだと思う。
↑これは5月~6月の試し焚きの時の様子
火を楽しむ、という意味では、やはりその熱源を利用しない手はない。
というか、天板、炉内などの熱を暖房だけに使うのはもったいないと感じてしまう性分でして。
天板にどのくらいの実力があるか、というのは、薪ストーブを選ぶ上でとても大事なポイントだった。
いずれオフグリット生活をするつもりなので、電子レンジやできればガスも、なるべく外部からのエネルギーの使用を控えて生活したいのだ。
そのためにも、薪ストーブの天板で煮炊きや保温、暖め直し(これは蒸し器を使えば簡単だ)、はたまた炒め物なども、補助的なものになるかもしれないが、うまく利用したい。
もちろん、お湯はつねにたっぷり沸かしておきたい。
それならどんな薪ストーブを選べばよいか。
いやいや、分かってるんですよ、それならバーモントキャスティングのアンコールとかディファイアントにしておけば、万事解決だってことは。
グリドルでお湯はシューシュー、炒め物などの高温調理も可能。保温したければウォーミングシェルフが大活躍。天板利用に関しては、非の打ち所がない。まさに完璧。
まあ、でも僕が選んだネスターマーティンのB-TOPタイプも、クッキングプレートは300℃を軽く超える高温で、一瞬でお湯が沸いたし、それ以外の鋳物の天板は、高温になりにくいので保温やことこと煮る料理に最適だ。
この点は薪ストーブ選びに大きく影響したと思う。
さらに、炉内はダッチオーブンが入ったりピザが焼けるくらいの大きさは欲しかった。おそらくこれらの炉内料理は毎日するような類いのものではないと思う。
しかしなるべく気持ちと時間に余裕のある暮らしを心がけて、この炉内という熱源スペースを有効活用していきたい、と密かに燃えている。
天板と炉内、そして室内に広がる熱。
これらをうまく利用して、楽しくてオフグリットな生活をしてみたい。
まさに薪ストーブに求める、大きな魅力に挙げられるだろう。
問題は、本当にうまく利用できるか、という不安だ。
まあ、頑張ってみよう。
ホーム画像を変更する(スマホ版のみ)
9月になり、新しい薪ストーブのシーズンが始まったことでもあるので、遅ればせながらホーム画面の画像を変更することにした。
ただし、この変更はスマホ版だけになる。PCで閲覧して貰っている方には申し訳ない。どんな画像にしたかというと、以下のようなものだ。
これは今年の6月の試し焚きの時の写真だ。
ストーブの前で白猫のミケリアと黒猫のごっすんが寝そべっていて、写真を撮られているのに気付いたミケリアがこっちに向かってこようとしている。
ごっすんもいるのだが、いかんせん黒くて分かりにくい柄の猫なので、黒い影のようにしか見えない(-_-;)
ごっすんは画面の右下にいる。
なんやかんやと毎日更新してきて、ようやく記事も200件を超えた。
まあ、これからも気軽に更新していくので、気長にお付き合いくださいませ。
パプリカの都市伝説
パプリカには都市伝説がある。
有機栽培にチャレンジした農家が、収穫があったにも関わらず、そしてそれなりに収入もあったにも関わらず、一年で栽培をやめてしまうらしい、という噂である。
そもそもパプリカとは何者なのか。
ピーマンとはどう違うのか。
パプリカとピーマンはともに、ナス科トウガラシ目の栽培品種で辛味をもたず、ベル型の果実をつける。パプリカの方がやや大ぶりで、綺麗なベルの形になり、赤や黄色、紫など様々な色に熟す、という違いがあるくらいだろう。
日本中に有機でピーマン栽培をする農家は数えきれないくらいいるし、ピーマンは栽培が比較的簡単なので、失敗したから、とやめる人もほとんど聞いたことがない。
パプリカはハンガリーで品種改良されて作り出された品種である。
ハンガリーの風土に適した野菜なのだろう。日本で(あくまでも無農薬にこだわって作ると)こんな状態になる。
分かりにくいけど、すべての枝にびっしりとカメムシが張りついているのだ。
その数、一株で数十から百匹くらいか、いやもっといるかもしれない。
すべての株に分け隔てなく、カメムシがびっしりだ。
確かに夏野菜にはカメムシが付く野菜が少なくない。しかし、このパプリカのカメムシの数は尋常ではない。
ただ、不思議なことに、このカメムシの大群に寄生されたパプリカ、普通に実をつけるのである。葉っぱの食害もない。ある意味、共存しているのだ。
ただ、全然元気がなくて、取り除いても取り除いてもだんだん弱っていっている気はする。
そして、葉っぱにこのような美しい刺繍のような卵を産み付けて、さらに増えていくのだ。
困るのは、このカメムシが周りの他の夏野菜に広がっていくことだ。
トマトはずるけてしまい、ナスにはかじられた痕が残り、空芯菜は萎れていった。
奴等(カメムシ)はパプリカをベースキャンプとして、周りの野菜を食糧として、一気に繁栄するのではないか。
つまり、無農薬で育つことは育つが、周りの野菜が大変なことになる。それが、パプリカ栽培が一年で終わる原因なのだと推測する。
そして御多分に漏れず、僕もおそらくはパプリカの栽培は今年だけだろう。
いかに畑にいるカメムシは臭くないとは言え、あんな大群のカメムシを自分の畑で見たいとは思わないから。そして、日本の食卓に絶対に欠かせないものでもないから。
パプリカはハンガリーの人たちが大切に育てればいいと思う。
今日本に輸入されているパプリカはオランダ産のものか、もしくはそのオランダ式の種子と栽培法を導入した韓国産のものがほとんどだそうだが・・。
ハンガリーで思い出した。
その昔、ハンガリーのブダペストという街で年末を迎え、年越しをしたことがあったのだが、大晦日にハンガリーの若者が飲んだくれて、飲みおわった瓶ビールを街中で割りまくって暴れていたので、元旦の朝、ブダペストの街はガラスの破片で溢れかえっていて、街歩きが非常に恐ろしかった。
溢れかえっていた、と言っても、パプリカにつくカメムシほどは溢れかえっていなかったと思うけど(笑)。