厳冬期のミケリアとごっすんと、思春期と焚き付け用の割り箸
薪ストーブの温かさを全身で受けながら椅子でくつろぐミケリアとごっすん。
ミケリアは木の椅子にユニ○ロのフリースを引いた上がお気に入り。
ごっすんは藤の椅子にモコモコブランケットを敷いた場所がお気に入りだ。
まあ、彼女らは気まぐれなので、お気に入りの場所はコロコロ変わるのだが。
最近、ちょっとした変化が起きた。
そう、大人への階段を上り始めたのである。
つまり発情期に入ったのだ。
朝に夜に、まさしく昼夜を問わず、盛んに鳴きまくっている。
一週間もすると修まるのだが、またしばらくすると鳴き出す。
ごっすんの方が早熟(おませさん)で、先に発情期に入った。
ごっすんの3回目の発情期の時に、ねんねのミケリアも発情期に。
それまで鳴き声もほとんど聞こえないような寡黙な猫だったミケリアが、まさに一皮向けたように叫びまくっている。
先日ホームセンターに猫たちの餌を買いにいったとき、初老のおじさんがペットコーナーで困った顔をしていた。
なんとなく話をすることになって事情を聞いてみると、子猫を初めて飼うことになって、何をあげたらいいか分からなくて、とお困りの様子。
自分の知っていることをいくつか伝えて、「で猫ちゃんたちはどれくらいの大きさになっているんですか?」と聞いてみると、その初老のおじさんの家の猫は、
「ちょうど思春期に入ったんです」
とのこと。
思春期?
ああ、つまりうちと同じで発情期のことか、と納得。聞いてみるとやっぱりその通りだそうだ。
思春期・・・なるほどそうですね、うん。
発情期なんて野暮な表現ではなく、彼女らにとっても初めての事だから、思春期ってなかなか素敵な表現だ。
最近モフモフ度合いが増してきたミケリア。
今がちょうど「思春期」。
そして焚き付け用の割り箸の上に乗る、ごっすん。
発情期も3回目となると、自分の感情を余裕でコントロールしているように見える。
そうそう、この大量の割り箸、友人のカフェでランチに使っているものをもらった。
使用後に洗って置いておいてくれたようだ。
もちろん割り箸だけでは焚き付けはできないが、着火時に割り箸をポキポキ折って使うと本当によく燃えてくれる。少し大きめの端材に火を移すとき、着火材などなくても簡単に炎を育てることができるので助かるのだ。
ありがたいことだ。
そんなこんなで冬もあと少し。
思春期に入ったミケリアとごっすんは、真冬の寒さもほとんど知らず、ぬくぬくと元気に過ごしている。
幸せな寝顔じゃ。
薪場の変遷(2016-2018)めぐるめぐるよ時代はMEGる
初めて薪割りをしたのは2016年の11月。アメリカ大頭領選挙が盛り上がっていた頃だ。
その頃は薪棚も薪を置くスペースもなく、割った薪をどうするかも考えていなかった。
いつかは恒常的な薪棚を作るにしても、まだ家も建て替えをしているときで、薪棚も作れず、仕方がないので畑の一画を薪場として使うことにした。
薪を割って積んでおくための薪場。
その薪場がひとつのサイクルを終えた。
残っている限りの画像と共に、その歴史と変遷を振り返りたい。
以前にも、どんどん薪が増える様を載せた記事(薪ストーブ前史・総集編 ⑨「薪場の変遷2016-2017」 - 薪ストーブクロニクル)を書いたが、今回はその総括的な記事になる。
内容は被るが、もう一度始めから振り返りたい。
まず、生まれて初めての薪集めが始まった時から。
2016年11月
まだ薪を積める場所もなく、とりあえず運んできた原木を置く渡し木のようなものを並べただけ。全てはここから始まった。
2016年12月
知り合いの方からたくさんの針葉樹の玉をいただいたので、それを並べてみた。
自宅にあった栗の木を薪にしたものも、すでに並び始めている。栗の薪は乾くのが早いのか、すでに含水率も低く、2018年2月現在でも頻繁に焚いていた。
2017年1月
知り合いの喫茶店から長さ80㎝の乾燥しまくった広葉樹の半割りを大量にいただいた。それをまずは半分に切ってからさらに薪割りをしているところ。通称「喫茶店薪」
去年の12月に1ヶ月間かけて全て焚いた。
2017年2月
ちょうど1年前。去年の2月からは同じ場所で定点観測気味に写真を撮り続けた。
ここからは同じ視点で。
写真、奥の左から、桜、栗、雨ざらしの謎の広葉樹。
手前は、喫茶店薪だ。
2017年3月
目的があって栗の薪を全部別の場所へ移動させた。雨ざらしの謎の広葉樹の上には長さ20㎝の短めの広葉樹薪を積んだ。
手前の場所ではひたすら薪割りが続いている。
2017年4月
置き場に困ってあちこちに薪が置かれている。薪が春の雨に濡れいる。栗の薪が置かれていた真ん中のスペースにはとりあえず一輪車が納まっている。
2017年5月
この辺りで一念発起したのか、空いていた真ん中のスペースに縦長の仮設薪棚を作った。今ではこの薪棚は「薪棚ゼロ号機」と呼ばれて、別の場所で活躍している。薪ストーブ始生代89 薪棚0号機の移築 - 薪ストーブクロニクル
そこに左側にあった桜の薪を全て移動させた。
2017年6月前半
別の場所に置かれていた喫茶店薪を、空いた左側のスペースに置いた。これで、この時点で割れる薪はほぼ全て割ってしまった形だ。
2017年6月後半
梅雨の雨と温かい気温で薪場の雰囲気が一変した。雨に濡れそぼって色が変わった薪。
そしてその雨と陽気で右側のミントが大群生している。
2017年7月
七月。夏の日差しを浴びて、薪がどんどん乾燥している、気がする。
薪が乾いている様子は見ているだけで気持ちがいい。
2017年8月
真夏。この頃は正直なところ、薪よりも除草のことばかり考えていた気がする。
どんどん延びる雑草が薪を覆っていく。
2017年10月
9月は写真が残っていなかった。
十月。そろそろ薪ストーブシーズンが始まっている。左側、喫茶店薪の上に積んだ松やドンコロ薪を持っていっては焚いている。
2017年11月
だいぶん、草が生えなくなってきた。
寒さも日、一日と厳しくなってくる。いよいよ毎晩焚いているかな。
2017年12月前半
本格的なシーズンになって、左側の喫茶店を使い始めた。あらら、ごっそり減っていくね。しかし暖かさには変えられない。どんどん焚いていった。
2017年12月後半
今シーズン初めての積雪だ。薪場の雰囲気もガラッと変わる。
そして、毎晩焚くので、当然のように薪は減り続けている。結局このまま大晦日に左側の喫茶店薪は全滅する。
2018年1月前半
1月になって真ん中の桜薪に手をつけ始めた。桜薪はあっという間に燃え尽きるので、減るのも早かった。
2018年1月中盤
もはや風前の灯火の桜薪。
このころには、シーズンはじめ(10月ごろ)に寒くもないのに遊びで焚いていたことを後悔し始める。
2018年1月後半
桜薪は全滅。薪棚も別の場所に移動させた。
短めの広葉樹を焚いたり、裏にしまっていた針葉樹を焚いたり。
そしてここには写っていないが、栗の薪を焚いていた。
2018年2月前半
どんどんなくなってついに右下の雨ざらしの謎の広葉樹の薪にまで手をつけた。さすがに比重が高くてずっしり重く、火持ちがいいから減りは遅い。しかし、いかんせん量が大したことないので、もはやあとわずか・・・。
2018年2月中盤
まるで夢を見ていたかのようだ。嘘のように何もない。
同じ場所とはにわかには信じられないほど、きれいさっぱりなくなった。
実際には玄関横の薪置き場に全て移動させただけで、薪が無くなったわけではないが、薪集めを始めてから1年3ヶ月に渡って薪割りをし、薪を積み続けた薪場がもとの姿に戻っている。
もちろん、この時点で我が家には、母屋周辺に3棟の薪棚がすでにあり、そこに来シーズン以降に焚く薪がある。薪ストーブライフはまだ始まったばかりだ。
しかしこの薪場は今後はもう薪を積むことはないだろう。この場所はギリギリまで開墾して畑のスペースを拡張する予定だ。
木を燃やした灰や炭は、畑に蒔くと土壌改良になってよいのだが、チェーンソーや斧で出る生の木屑は、土に混ざると分解にとても時間がかかり、あまりよくないらしい。
畑と薪場は、少し離した方がよかろう。
まあともあれ、薪を積むよろこび、薪の消費量の恐ろしさなど、薪ストーブの醍醐味と恐ろしさを両方とも教えてもらった場所だった。
薪ストーブ始生代92 薪を割り始めたら、止まらない
ちっとばかしご無沙汰です。
ブログが止まっていた間、薪活に勤しんでいたかとおもえば、流行り病のインフルエンザにやられてダウン。いやはや浮き沈みの激しい2018年の冬だ。
さて、それでは久しぶりの更新記事は、薪割りについて、だ。
とにかく薪棚を一杯にしよう
仮設の薪棚として利用していたものを薪棚ゼロ号機と名付け、側面や屋根を付け足して改良を加えてさらに移設した。
そのあたりの経緯はこちら「薪ストーブ始生代89 薪棚0号機の移築 - 薪ストーブクロニクル」に書いた。
それがこの薪棚だ。
ほぼ1立米の薪を積むことができる計算だ。
この場所は、比較的人通りの多い通りから見える目立つ場所にある薪棚なので、はじめは見映えも良い最高級のくぬぎの薪をズラッと並べようかと思っていた(なんて見栄っぱりな)。
しかし、冷静に考えてみると、来年すぐ使える薪を作る必要があり、伐採したての広葉樹を1年できっちり乾燥させられるかどうか、イマイチ不安に思っているということもあり、しっかり乾燥させれば一夏できっちり使える針葉樹の薪をここに並べてみることにした。
何事も実験だ。
で、割り始める。
針葉樹の玉をひたすら割る。
ある程度割れたら、一輪車に積んでこの薪棚まで運んで積んでみる。
あれ、こんなもんしか埋まらないのか。
さあ、まだ割ろう。
と、割っては運び、運んでは積む、を繰り返す。
気がつくと辺りは日暮れて薄闇が広がり始めていた。
しかし薪棚はまだ埋まらず、割る針葉樹も残っている。
結局暗くなるまで割り切って、翌朝、その成果を撮影した。
やれやれ、よく割ったな。
一夜にしてご覧の通りだ。
それに飽きたらず、さらに薪棚を横に拡張した。
つくづく思うが、薪割りというのは、一種の「永久運動」だ。身体が動く限り続けてしまう。
薪棚が一杯になってはじめて、立ち止まることが許される(笑)。
今度はここを一杯にしよう。
今の薪は針葉樹とドンコロ
2月も半ば、薪ストーブシーズンもラストスパート。
残りの薪が本当にやばくなってきて、ネクストシーズンへの備えもまだまだ追い付かないので、またぞろ奥の方からドンコロ薪を引っ張り出してきて焚いている。
よく乾燥しているので、よく燃える。
よく温まった炉内にドンコロをぶちこむ。
燃えろ燃えろーー!
ブログを書いて1年が経った
薪ストーブのブログを書き始めて、今日で丸1年だ。
365日で365個の記事を書いた。
この1年は、自分史上最も劇的な1年とも言えるのだが、その1年間、ちょっと大袈裟だが、何が起ころうとも、毎日更新してきた。
それはブログを始めるにあたって自分に課した事を実行するためだ。
「せっかく始めるのだから中途半端になっては面白くない。とりあえず最初の1年間は何があっても毎日更新しよう」
というものだ。
有名ブログの中には、かなり長期間に渡って律儀に毎日更新をしておられるものも多い。
これは物凄いことだと、この一年で改めて実感した。ちょっと真似できない。
実は今のところまだ薪ストーブを使い始めた1年目なので、まだまだ書きたいネタはある。
しかし、書いている時間がない。
通勤電車内での文章作成はいまや日常のことになったが、できればスマートフォンではなく、本を読みたい。そのジレンマもあった。
しかし、1年間書き切ってみて、なかなかの達成感がある。
実はブログを書くにあたってもうひとつ決めていたことがあって、それは知り合いにはこのブログの存在を伝えない、というものだ。
友達などに教えてしまうと、明確な読者がいるということもあってその友達に向けた文章にどうしてもなってしまう。
せっかくブログという匿名性のあるツールを使うのだから、徹底的に匿名性を利用して、思ったことを好きなだけ書いてやろう、と思ったのだ。
誰に遠慮することも、誰を意識することもなく(もちろん、こんなブログは薪ストーブユーザーか薪ストーブに興味がある人しか見ないだろうが)、やりたい放題してやろう、と思っていた。
で、去年の2月に始まったこのブログ。
知り合いに伝えていないので、始めてすぐの頃は案の定誰も見なかった。
1ヶ月のアクセス数も100に満たない、という・・。たしか最初の月は98pvだったはずだ。
しかし、それでもゼロじゃないのだ、すごいな、一体だれが見てるんだ、とか思って書き続けたら、やがて1000を超え、10000を超え、もうすぐ月間20000アクセスに手が届きそうなところまで、増えた。
まあ、少し数が増えただけなので、それがどうした、と言えば、どうもしない。
こんなアクセス数は、インターネット社会という大海原の中では、海面に漂う藻のようなものだろう。
しかし、
掠めた星の数を競うのかい?
という歌もある。数は本質的なことではないのだ。ベストセラーにはそれなりの理由があるが、さりとてベストセラーの本や音楽が全て最高の本や音楽であるわけではない。
アクセスが多いかどうかよりも、大切なのはその質だ。
自分の言いたいことを自分の言葉できちんと書く、という当たり前の事をできているかどうか?日々反省だった。
最初の頃は、まだいまいち方針が定まらず、某有名ブログの文体をモロパクりしていたものだ(汗)。
ただ、少しでも興味を持って読んでくれた誰とも知らない読者の皆さんには、本当に感謝しているのだ。
薪ストーブに関しては素人まるだしのブログなので、これからも素人らしいブログを書いていこう。プロの見解が知りたければ、プロの書くブログがいくらでもあるのだから、こいつの言ってることほんとかよ、と思ったら、いくらでも調べようがあるのだし。
さて1年間毎日更新してきたこのブログ、人生の大切な時間を、もっと有意義で大事なことに使いたいので、これからは不定期の更新になる。
毎日見に来ていただいている、とても危篤な方には申し訳ないです。
自分で毎日書いてみてつくづく思ったのは、「毎日更新する」というノルマが最初にあると、ややもすると内容が薄くなる日がある。
内容よりも、とりあえず更新することの方が大事になってしまったからだ。
これからは更新の頻度は下がるが、内容の濃い記事を目指すので、適当にお付き合いくださいませ。
日経平均も大暴落しているようなので、ますます世の中は荒れるだろう。
経済の不況なんて、勝手に荒れさせておけばいい。資本主義が行きすぎているんだから、落ちるときは落ちるのだ。そもそも今の世界を覆う不穏な空気は、まだまだいくつもの悲劇の連鎖を起こすだろうし、それはかくも愚かな行動を止められない人間のふるまいから鑑みて、むしろ当たり前のことであり、今までしてきた狼藉にたいして当然支払うべき対価のような気がしてならない。
すでに100年も前から夏目漱石先生が予言していた通りのことが起きているし、もっと言えば1848年のフランス2月革命の頃ぐらいから、すでに人類は引き返せない道を辿り始めたようにも思える。
まあ、そんなことを言っても仕方がない。スティーブ・ジョブズさんもおっしゃっている。「人生で迷ったときは、人間はどうせいつか死ぬ、ということを念頭に物事を決定すればいいのだ」と。
なーんだ、簡単なことですね。
もっとシンプルに、世界大戦も食料危機もスーパー台風もテロも独裁国家も宗教弾圧も、頭の片隅におきつつ、それらを恐れることなく日々を大切に生きればいいんじゃないか。
その点からすると、この1年間の記事を見てつくづく思ったのは(また、つくづく思ったのかよ)、薪ストーブそのものより、薪集めや薪割り、薪棚についての記事の方が圧倒的に多いということだ(笑)。
薪を割ったり集めたり、移動させたり積んだり。
そんなことが完全に日常になった。
毎日何かしら薪いじりをしている。
それが楽しい。
奥さんと二人で山に入って、陽が暮れるまで薪仕事をする。太陽が沈む頃、「寒い寒い」と言いながら家に帰って薪ストーブに火を入れる。薪ストーブの炎は素晴らしい。薪ストーブのある暮らしは素晴らしい。世界は滅びるかもしれないけど、滅びるその日まで、薪を割って積んで、焚いて、野菜を育てていきたい。猫と一緒に眠りたい。
そんなこんなの魅力をこれからも少しばかり伝えていけたらと思う。
それではまた。
今日でブログが終わりそうな勢いですが、まだまだ今後もよろしく。
薪ストーブコラム②:薪の消費量と薪の乾燥
薪は足りるんだろうか。
薪ストーブ一年目を迎えるにあたって感じていた不安は、まずそのことだった。
そして2月。薪ストーブシーズンも最終コーナーに入りつつある。
薪ストーブの薪の消費量と乾燥具合について、この一年目のシーズンで感じたことを書いてみる。
もちろん、まだ初心者なので、あくまでも初心者としての感想だ。
数年後に振り返れば、また違うことを思うかもしれない。
しかしまあ、今感じたことを書くことにも何らかの意味はあろうと思う。
さて、薪の消費量だが、一年目を迎えるにあたって集めてきた薪は、その多くが長く放置された玉や、朽ちかけた薪などだった。
つまり含水率などは始めから低い状態で、これ以上乾燥させる必要もない、すぐ焚ける薪だった。
中には木の繊維がカスカスになった、ボケ薪も混じっており、手に持った時に広葉樹とは思えないほど軽いものも散見された。
で、そのような薪を1立米、1ヶ月で焚いてしまった。
これは完全に予想外だった。
最初に想定していた倍のスピードで薪がなくなっていくのだ。
寒さが厳しくなった1月からは、さらにどんどん焚いてどんどん減っていった。
ここで疑問なのは、乾燥が進みすぎた薪は燃え尽きるのも早いのかどうか、ということだ。貰い物の薪なので贅沢は言えないが、これが2年ほどしっかり乾燥させた、密度の濃い楢やくぬぎの薪だったら、どうなのだろう?
やはり1立米は1ヶ月ほどで焚いてしまうのだろうか。
それとも、ベストな状態の薪なら、薪棚からなくなっていく消費量も少なめなのだろうか。
このことは再来年に検証してみる。
というのも、去年の11月ごろに伐り出したくぬぎが大量にあり、それをしっかり2年間乾燥させて良質の薪に育てる長期的なプランがあるからだ。
なぜ、2年乾燥なのだろうか。
ここからが、今日のコラムの二つ目のテーマ「薪の乾燥について」だ。
実は我が家にも、まだ含水率の高い、切って間もない原木の広葉樹が何本かあった。
始めに薪割りをした「栗」や、工務店でもらってきた「桜」、そして団地の街路樹を切っているところをもらってきた「欅(けやき)」も多くはないが、未乾燥のものだった。
栗や桜は薪割りをしてから約1年が経っている。
1年乾燥させれば充分焚けると思っていたのだが・・。
割ってから半年ほどしっかり太陽と風にあてた栗の薪は、全く問題なく燃えた。
二月はこの栗を主に焚いて暖をとっている。
栗ははぜるが、それほど危ないと思ったこともなく、むしろ杉や端材などの方が、パチパチ火の粉が飛んできて恐かったりする。
栗は導管が長くて乾燥しやすいのだろうか。
火持ちは大したことないけれど、よく燃えて重宝している。
しかし、桜を燃やしているときは「あれっ?」と思うことがたびたびあった。
まだストーブの温度が低い状態で燃やすと、桜の薪の断面からプシュプシュと水が出たりしたのだ。
かなり細かく割った小割りでさえもプシュプシュと水が吹いた。
かと思えば、太いものでも全く問題なく焚けるものもあり、いずれにしてもストーブが巡航運転に達する頃には、プシュプシュ言うことはなくなった。
しかし、桜の薪をくべてもストーブの温度があまり上がらず、どちらかというと、燃えているのに温度が下がってしまったりしたこともあった。
1年はしっかり乾燥させたはずなのに、これは一体どうしたことだろうか。
ひとつ心当たりがあるのは、桜の薪は前後2列に置いて乾燥させていた。そして、太陽がよく当たる、そして風も全面に受ける前列の薪はどれもよく燃えていた気がするのだ。
そして前列の薪を焚き尽くして、陽も風もあたりにくい後列の下の方の薪を使い始めると、水が出たり温度が上がらない、という症状が出始めたのだ。
薪棚を2列並べると乾燥しにくい、という話をどこかで読んだことがあったけど、つまりはそういうことなのかもしれない。
同じ条件で割った薪でも薪棚の前列か後列か、という違いだけで含水率に大きな違いが出るのだ。
そしてもうひとつの未乾燥広葉樹であるけやきの薪だが、けやきの薪は細い枝の部分がメインだったので、割らずに丸いまま置いておいた。いわゆる「腕薪」というやつだ。
これは乾燥に時間がかかる、とは聞いていた。
果たして、実際に焚いてみると、細くて短くいものであっても、丸のままだとプシュプシュと水が出た。
けやきは玉切りしてから1年未満なので、当然かもしれないが、そもそも比重が高くて乾燥しにくい樹種であり、さらに丸のまま割らずに置いておいたのだから、まあこの結果は予想通りではあるのだが、それでも一夏越しただけでは焚けない(もしくは焚くのがあまり好ましくない)薪があるのだ、ということを身を持って経験した。
やはり未乾燥の広葉樹の薪は、ふた夏越してばっちり乾燥させたものを焚きたいぞ、と思った。
やはり、薪は2年乾燥をベースに考えたい。
というか、まる2年後に期待だ。
2年乾燥させたくぬぎを前にしてもう一度、薪は2年乾燥がいいのかどうか、そのあたりを書いてみたい。
さて、そこで困るのが来年の薪をどうするか、という事だ。
2年乾燥を基本にするなら、今年集めた大量のくぬぎは来年用には使えない(使わない方がいい)ということになる。
つまり去年集めた薪の残りと、今年集めた針葉樹、今年集めた朽ちかけた薪やボケ薪あたりは乾燥が早そうなので、そのあたりを駆使しながら来年を乗りきるしかないかもしれない。
ファーストシーズンが終わらないうちから、早くも来シーズンの苦戦が予想されている。
どうする?
まあ、なんとかなるでしょう。
薪ストーブコラム①:薪ストーブは暖かいのか?
ここのところすこぶる寒いので、毎日薪ストーブを焚いている。
朝晩は氷点下になるこの時期、焚くときは全力でガンガン焚く。
焚きすぎて部屋が暑くなりすぎる、という心配は、厳冬期のこの時期に関しては、全く無用だ。
ガンガン焚くと、しっかりポカポカ。
室温が20℃を超えてくると、本当に快適に過ごせる。
小さな平屋の家だが、冬の寒さは厳しい地域に住む管理人。雪も一晩で50㎝くらいほ積もる。
雪国の恐ろしいまでの雪と比べればかわいいものだが、寒い、寒い。
で、冬が来るまで、薪ストーブの実力は未知数だった。
本当に真冬の厳しい寒さをしのぐほどのパワーを有しているのか。
さらに、もうひとつ不安があったのは、暖房器具が薪ストーブオンリーだという点。
エアコンも、石油ストーブも、ホットカーペットも何もなし。
あえて言えば、湯タンポがあるだけ。
で、迎えた始めての冬だが、結論から言えば、他の暖房器具は必要なかった。
それどころか、それまでの冬は毎日のように腰に貼っていて減りが激しかったカイロを、今年はほとんど使っていない。
薪ストーブの輻射熱で身体がポカポカしているからか、腰の冷えをあまり感じなくなったのだ。
これはちょっとびっくりした。
ストーブを着火する時間のない仕事のある朝は、確かにすこし寒い。しかしそれでも、前の日にしっかり薪を詰め込んで寝れば、朝の室温が15℃くらいはある。
上に1枚羽織れば、普通に過ごせる寒さだ。
少なくとも、起きたら室温が3℃、とかいう凍える朝は経験しなくてすんでいる。
本当にありがたいことだ。
薪ストーブひとつで、冬はポカポカ、暖かく過ごせている。
薪ストーブ始生代91 薪ストーブでクッキーを焼く
薪ストーブの炉内は、優秀なオーブンでもある。
ピザ、グラタン、タルトや野菜のグリルなど、多岐にわたる料理をこなす。
今回はクッキーを焼いてみた。
まず、生地を冷蔵庫で冷やして、取り出して均等な厚さに切る。
なんかこの状態ではたくあんみたいだ。
そしてそれを鉄板に並べる。
綺麗に並べられた、のだが・・
この時点で実はちょっとミスっている。
クッキーは焼くと体積が増える。
そのことを計算せずに並べてしまったのだ。後でちょっと大変なことになる。
まあ、それはともかく、鉄板に並べたら、熾火になったストーブの炉内に入れる。
前述の通り、クッキーが膨らんで、隣同士がくっついてしまった。
奥さんがかなり頑張って復旧作業にあたった結果、なんとかクッキーとしてのアイデンティティーを保ったまま、炉内から出てきた。
左側はかなりダメージを受けてしまった。
いい勉強になった。
ただし、バターたっぷりで焼き上げたこのクッキー、味はめっちゃ美味しかった。
しかも数日後までサクサク軽い食感を保ったままだった。
次はうまくできるはず。
ふむ。
薪ストーブ料理はいつも楽しい。