薪ストーブオルドビス紀⑨ 薪棚を空ける。満たす。増設する。
薪棚が薪で満たされ、1年以上かけて乾燥し、やがて焚かれて一瞬のうちに灰となり、煙は煙突から出ていく。
すると薪棚は空になる。
そこに新しく集めてきた薪を割ってまた満たしていく。
薪作りとは言ってみれば、その繰り返し、永久運動だ。
我が家で一番多くの材積を収用できる薪棚1号機に満載していたコナラの薪を、玄関前のネクストバッターサークル的な場所に全て移し終えた。そいつらも2月中には全て灰になる予定だ。
薪棚に大きなスペースが空いたわけだ。
で、正月前くらいからコツコツ割っていた薪が薪場を埋め尽くしていたので、それを空になった薪棚1号機に積んでいった。
あっという間に、薪棚が満たされた。
両サイドの薪棚2号機3号機の薪の色と比べると、薪の若さが一目瞭然だ。
まあ2年ぐらい置いておけば、すぐにこいつらも両サイドのような灰色の渋い木口になるのだ。
ちなみにここに積んだ薪たちの樹種は下半分がアラカシで上半分がサクラ。他に諸々の雑木も混じっているがおおよそそんな感じだ。
下の方に軽いサクラを置いて、上に樫を置いたら、上重心になって薪棚が崩壊しやすくなる。
やはり、ここは比重の高いアラカシを下に置くのが定石だろう。
とはいえ、サクラも現状では結構重い。
これが2年ほどの乾燥を経て、水分が抜けてアラカシとは比べ物にならないくらい、軽い薪になる。
乾燥が進むと、薪棚の形が変わって崩壊しやすくなるので、余計に将来の重心バランスには気を使わねばならない。
今回も、薪棚への負担を減らすため、両端を井桁に積んだ。
果たして今回も2年の間、崩壊せずに堪えてくれるだろうか。
天井ギリギリまで、ご令嬢、じゃなくてこれ以上無理なくらい薪を突っ込んだ。どうせ縮むんだから、気にすることはない。
天井ギリギリまで詰め込んで大丈夫だ(たぶん)。
それでも積みきれなかった薪は、増設した薪棚に積んでいく。
家の回りのあちこちに薪棚(というか、薪を積み上げてトタンを乗せただけのもの)が増えていく。
今回はこんな感じ。
いちじくの木の奥に残った最後の空きスペースを利用した。
もうこれ以上増やすスペースがないが、どうすればいいことやら。
・・・
晴れた休みの日に椎茸の菌打ちもした。
愛犬が見守るなか、樫の細めの薪を削って作った木槌でポコポコとコマ菌を撃ち込んでいく。
今回はクヌギの原木に100コマ、コナラの原木に100コマ打った。
しかしうちの犬っこが、樫の木槌を噛むオモチャと勘違いして、カミカミし始めた。
おいおい、お前さんのオモチャじゃないよ。
菌打ちが終わったら遊ばせてあげるから、今は返しなさい。
いままでのところ、原木椎茸はまだ成功していない。色々と失敗の原因が判明してきているので、今回こそはうまくいくように頑張りたい。
※ちなみに今回が椎茸の四期目。
一期目と二期目は完全な失敗だった。
三期目はまだ成否は分からない。
ここ最近、やたら原木椎茸が美味しく感じるようになってきた。次の秋には、飽きるくらい食べまくりたい。
椎茸についてはうまく発生させられるようになってから偉そうなことを色々書きたいと思う。
薪ストーブオルドビス紀⑧ 薪ストーブのあれこれ。あったらよかった!なくてもよかった!
去年初めて収穫した新ものの小豆。
ぜんざいにして食べた。
小粒だけど、しっかり小豆らしい味がして、感無量だった。
また次のシーズンも作ろうという気持ちが湧いてくる、贅沢な瞬間。
普段食べるものではなく、ハレの日のご馳走だった。
さて、寒さが一旦落ち着いて、ここ最近は針葉樹を混ぜてぼちぼち焚く日が多い。
どうせまた寒くなるだろうから、嵐前の静けさといったところか。
薪の減りは抑えられているのでありがたい。
そんなわけで、たまには薪ストーブブログらしいことを書いてみよう。
今日のテーマは、題して、
「薪ストーブの、これはあったらよかった!これはなくてもよかった!」
薪ストーブを焚いて四年目。
だんだん分かってきたこともあるし、まだまだ分からないこともある。
しかし、薪ストーブ導入前に考えていた色んなこと、妄想していた色んなことについて、ある程度見解がまとまった分野もある。
導入前はあった方がいいと思っていた機能。実はいらなかった、とか、もっと大きい方がよかったもの、小さくてもよかったもの、などなど。
今日はそんなあれこれを書いてみよう。
まず、前提として、我が家の薪ストーブが中型のサイズのネスターマーティンS33という機種であること、そして、その薪ストーブに概ね満足していることを挙げておこう。
それでは、以下につらつらと書いてみる。
①炉の広さ。ストーブに入る薪の長さ
これは導入前から色んなブログなどで書かれていたことだけど、自分で薪作りをするなら、最低でも40センチの薪が入るストーブにした方がよいということ。
これは本当にその通り。
うちの薪ストーブはギリギリ40センチの薪が入る大きさで、太くて42~43センチの薪だともう入らない。
小割にしたら、斜め入れで45センチぐらいまで入るので、まあなんとかなっている。
しかし高温で燃え盛る薪ストーブの炉内にいざ太いやつを入れようとして、あれ、入らねえぞ、とやっているうちに樹皮に火が着いてしまって「うわっちっち」となることもたまにあるので、最近は38センチで玉切りするようにしている。
炉内の大きさは、全体の重量にも関わってくるので単純に大きければいいとは言えず、まず温める家の広さや環境によって、薪ストーブのサイズが決まってくるので一概には言えないが、それでも45センチくらいまで入った方がありがたいのは間違いない。もし部屋が広くて薪ストーブのサイズ的に許されるなら50センチくらいの薪が悠々と入る炉の広さは羨ましい。
また、炉内(特に奥行き)が広い方が焚き付けの時にも、燃えかすが飛び出してこないし、ピザやグラタンも大皿で入れられるので、何かと便利だ。
②憧れのウォーミングシェルフと天板の広さ
うちの機種にはついていない、ウォーミングシェルフ。
なので、あったらこんなことができた、ということは書けない。
しかし、保温のために鍋敷のようなもの(トリベットと言う)を天板に置いて、その上に味噌汁などを置いて温めたりすることは頻繁にある。ウォーミングシェルフがあったらそんなことをしなくても、ウォーミングシェルフの上に置いておいたら温まった味噌汁やスープを保温できるんだろうなぁ、と考えたりする。
また、天板の上はスペースが限られているので、ウォーミングシェルフで天板スペースが広くなるのはとても嬉しいだろうなぁと考えたりする。
天板は限られた空間だ。
使わないときは、ヤカンひとつがぽつんと乗っていてお湯を沸かすだけ、というときもあるけれど、ほぼ毎晩、天板のスペース不足に悩まされる瞬間がある。
あとひとつ、犬用の湯タンポをのせたい、とか、スープを温めるスペースがないぞーとか。
天板は広ければ広いほどいいし、高温部と中温、低温、と温度が使い分けられたら、とても良い。
可能であれば天板にはこだわった方がよいだろう。
そういうことをふまえると、我が家のネスターマーティンは、天板の調理温度を調整できる点は満点。天板の広さは、あと少し広くてもよいかなーと思った。まあ、贅沢な話だけど。
③サイドローディングとトップローディング
薪を正面ではなく、横から入れられるサイドローディング。
上から入れられるトップローディング。
どちらも、薪ストーブ導入前はやたらと魅力的に見えた。
しかし、結論から言うと、どちらもなくて大丈夫。
薪は正面から堂々とブチ込めばよろしい、というのが僕の答えだ。
もちろん、欲しい機種にサイドローディングやトップローディングがあれば、あるに越したことはないだろう。
でもサイドローディングなんかは、ガスケットの交換箇所が増えるし、わざわざサイドローディング欲しさに機種を選びをする必要はないんじゃないかな。
といつつ、実際に使ったら便利だったりして笑
上からも横からも薪を投入できない男のひがみかもしれない。
でも4シーズン薪を正面から入れていて、不便を感じたことはないから、大丈夫なはずだ。
とまあ、わりとニッチな情報で申し訳ないが、これから薪ストーブを導入しようと色々調べている人には少しでも参考になれば嬉しい。
寒くないかと思ってたら、気温がぐんぐん下がって、雪が降ってきた。
今夜は寒くなりそうだ。
とっておきのクヌギを入れて、家全体をガンガンに暖めよう。
薪ストーブオルドビス紀⑦ 平家物語と干したエノキダケ。コナラはコナラ。
年が明けてから、しばらくは怒濤の忙しさ。
更新もご無沙汰だった。
ぼんやりしている間にアメリカのボスの首もすげ変わって、その影響で、またトランプの頃とは違った思惑で世の中が回っていくんだろう。
変化に巻き込まれて命の危険に晒される人、利益誘導されて繁栄する人。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす…
まんま、平家物語ですな。
そう、平家物語の昔から本質が何も変わっていないのだとしたら、一体みんな何をドンチャン騒ぎしてるのか、ということになる。
本当に大切なものは、2つに分けられると思う。
一つはサンテグジュペリが書いたような、目に見えない、極めて人間的な大切にすべき何か。
もう一つは生きるために必要なもの。
すなわち薪と米だ。
もちろん、大地や水といったもっと大元になるものを含んでのことだけど。
もちろん、産業大国が排出しまくったCO2による地球環境の変化を真っ先に受けるのが、ほとんど環境に負荷をかけずに暮らしている辺境の人々、例えばイヌイットやネパールの山岳民族だという現実がある。
だから、薪や米を大切にするオフグリッドな暮らしをしていたら、世界のドンチャン騒ぎに巻き込まれないというわけじゃない。
そうだったらどんなに素晴らしいか、言葉に表せないほどだが、現実には、全てが繋がった一つの空の下で起こっている出来事なので、イヌイットたちほどではないにしろ、否が応でも世界に組み込まれている。
まあ、「人類」という大きな枠組みの中の平家物語なわけだ。
おごれるものも久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけきものも遂には滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ…
そのおごれるホモサピエンスを久しからぬ存在にしようと、現れたのがコロナウイルスなのかどうかはまだ分からない。
ワクチンが効きまくって季節性インフルエンザのちょいワル版みたいなものに落ち着くかも知れないし、変異を繰り返すなかで、数億人が死ぬような殺人ウイルスになってしまうかも知れない。
まあ、繰り返し書いてきた事ではあるけど、本当に怖いのはコロナウイルスじゃないから、コロナ騒動が収まった後の方が個人的には怖い。
世の中がさらに破滅的な方向に進むようなベクトルができあがってしまっとるように思う。
そして、その後を生き延びた人がこう思うわけだ。
「人類の繁栄?あっという間に終わってしまって、なんつうか、風の前の塵のようだったなぁ」
いやあ、新年早々暗い話をしてしまった。
でもそれが人間の本質だとしたら、仕方ないことでもある。
世界の流れはどうしようもない部分もあるけど、個人的にはまた楽しみでしかない一年が始まった。
冬のストーブシーズンは部屋でぬくぬく。
春になれば、また山菜が芽吹く。
夏は畑でひたすら汗を流す。
秋にはおまちかねのキノコ狩り。
そうしたら、また冬がやってきて、薪ストーブに火を入れるのだ。
心配しても仕方がない。毎日を楽しく素敵にサバイブするのだ。
さて、そんなこんなで、我が家のメインの薪棚、通称薪棚1号2号3号。
新年明けてすぐはこの通り、前後2列が全てみっちり充填されていた。
そのど真ん中の薪棚。見えている前列は全てコナラだ。
コナラに関しては色々書いてきた。
コナラにとりつかれた「コナラ病」について書いた↓や
このコナラの薪棚に薪を積んでいった↓
薪ストーブ原生代41 コナラの薪割り。コナラの薪棚。 - 薪ストーブクロニクル
といったバックナンバーでも色々書いてきた。
それがこのコナラの棚だ。
2019年の4月に屋根びっしりまで積んだ薪は、2年弱の乾燥期間を経て、1割ほど縮んだ印象だ。
日当たり良好。
乾燥は申し分ないはずだ。
その虎の子のコナラ薪をついに実戦投入する。
軽トラに積んで、玄関前まで運ぶ。
↑軽トラに満載したら、ここまで減った。
2年の乾燥で木口は灰色に変色したが、中は綺麗なコナラ色。
それを玄関前の薪棚に仮積みする。
今シーズン軽トラ3台目の薪だ。
果たして、軽トラ満載の薪を何台分運び込めば、シーズンを越せるのか。
それも今シーズンは調べてみよう。
さて、焚き付けや、あまり寒くない昼間用に使っている針葉樹も入荷した。
杉とヒノキ、どちらが良いかは諸説ある。
ヒノキは、杉より比重も高く、油を含んでいてよく燃えるので、薪の即戦力としては悪くない。
ただ、根っこに近い元玉の部分は、繊維が入り組んでいて、節がないのに斧で割れない、という悲惨な現象がたびたび起きてきた。
太いヒノキの玉より、節があっても杉の方が割りやすい。まして、節のない杉なら、太くてもバシバシ割れるので、しばらくは杉寄りで針葉樹を集めることにした。
今回も全て杉だ。
ちなみに、節がゴツゴツある杉の薪はずっしり重くて、意外と頼れる相棒だ。
節の部分だけ避ければ簡単に割れる。
さて、そんな節だらけの杉の薪で焚き上げた、今の薪ストーブの天板の様子を見てみよう。
巨大な平ザルに乗せているのは、特売のエノキダケだ。エノキダケというと、柄が黒っぽくて笠がナメコそっくりの天然ものが食べたいところだが、あまり見つからないので、白くてヒョロヒョロの栽培もので我慢しよう。
二日ほどしっかり乾燥させて干しエノキにする。
そうすると、旨味がめちゃ強くなって、味噌汁にボンボン放り込むと、具と出汁を兼用してくれる、頼れる存在になる。
薪ストーブシーズンのうちに作りためておこう。
2日ほどしっかり天板で乾燥させるとこんな風になる。
保存はビンなどで適当に。
干しエノキ、おすすめです。
薪ストーブオルドビス紀⑥ さよなら2020~極太アラカシで割り納め
アイヌの言葉で雪は「ウパシ」。
朝起きると、窓から見えるのは、右も左もウパシ、ウパシ、ウパシ。
しばらく、年末と思えないくらいの暖かさだったので、大晦日の土壇場に来て、ようやく年末感が出てきた。
今年も今日で終わり。
パンデミック狂想曲に翻弄された一年の締めくくりに、美しい雪が辺りを覆い尽くした。
薪棚に雪が積もる光景は、掛け値なしに素敵だ。
薪棚の縁から垂れ下がっているので、深い雪に見えるが、実際には我が家の周辺の積雪は30センチ。
これくらいの雪なら、雪かきもさほど大変ではないので、雪を愛でる余裕もある。
これが、50センチ、1メートル、と積もってくると、白くて綺麗だなぁではすまされなくなってくるので、大変だ。
さて、薪ストーブは年末も大活躍。
多少暖かいので、薪の減りは抑えられているが、さりとて焚かずに生活するわけにもいかず、焚いたら焚いたでこんな風に天板は常に「密」の状態だ。
ドライキウイを作ってみた。
皮ごとスライスして乾かしたので楽だったが、食感はいまいち。
しかも酸味が勝ってしまって、甘さ凝縮、というわけにはいかなかった。
それよりも、菌打ちして出てきた原木ナメコを乾燥させたものの方が、味が濃くなって美味しかった。
ちなみにナメコはこんな雪の中でも健気に顔を出している。
エノキタケと並んで、冬でも出てくる寒さに強いキノコなのだそうだ。
さてさて、雪で薪割りコーナーが埋まってしまったが、負けじと割り納めをした。
割るのは全部アラカシ。
一刀両断。
瞬く間に薪の山。
この薪の下の雪の中にも大量の割りたての薪が積まれているのだ。
さて、今年最後に退治するのは、この極悪非道?な極太アラカシだ。
長辺は40センチ。
ラグビーボールのような楕円形のアラカシ。
根株に近いので、節がないかと思いきや、繊維が入り組んでいてなかなか手強い。
まあ、割っていこう。
まず、真ん中を10回打ったが、びくともしないので、やはり端から攻めよう。
常套手段だ。
はい、割れた。
どんどん端から崩していく。
どんどん。
そして、ここまで小さくなった。
よく見ると、かなりヤバそうな節があった。
繊維も入り組んでいて、普通の斧では歯が立たなかっただろう。
元株に近いところはこうして根張り部分の繊維が外側に膨らんでくるものだ。
柱などに使う木材としては使いにくいらしいが、薪なので積み方を工夫すれば根張り部分でも問題ない。
そうこうして無事に全て薪にした。
一玉で↑この山。雪に沈んでいった笑
今年は春以降あまり薪を割らなかったけど、12月に入って急に原木がどんどん手に入ったので、まだまだ割りまくらないといけない。
新年も薪割りからスタートだ。
今年もこれが最後の更新。
薪ストーブを中心とした我が家の春夏秋冬は、目まぐるしくて、色々忙しい。
薪ストーブ関連では薪集めや薪割り、シーズンになれば薪の移動、焚き付け作り。
春になれば山菜や野草を集め、畑の準備を進める。
夏は畑で目一杯汗を流し、収穫を楽しむ。そして梅干し作り。
秋になれば来年はもっと本格的にキノコを探し求めよう。
そしてそんなことをしているうちにまた冬がやってくる。
何も変わらない。
でも、こうして雪が降って、冬を全身で感じていると、暑い夏や山菜の春が遠い夢のように感じる。
そして、春が来て暖かくなると、今度は冬の静寂と寒さが夢のように感じるはずだ。
だからこの季節の移ろいにマンネリズムを感じたりはしない。
来年になったら薔薇色の世界が待っているとは思わないけど(むしろ断絶と不信感でいっぱいの世界はおおよそ悪循環を繰り返すだろう)、それでも、また来年もリアルなものを、実感として確かなものだけをしっかり追い求めて過ごしたい。
そのリアルなものとは、例えば春の陽気に誘われて出てくる山菜の新芽の苦味だったり、太陽が育てる梅干しだったり、夏の暑さだったり、秋に山で育つ野生のキノコの想像以上の味わい深さだったり、薪ストーブの炎の辺りをだっり、そういうものだ。
そういうものを追い求めていくと、経済がさっぱり回らなくて、高度に発達した資本主義社会にとっては都合がよろしくないから、テレビでもネットでもSNSでも、僕たちは煽りに煽られているわけだけど、なんとか曇りのない目をもって、物事の本質を見極めながらまた日々をサバイブしていこう。
世の中はもう力学的に、この馬鹿げたチキンレースをやめられなさそうなので、来年の大晦日にどんなことを思っているかというと、同じように嘆き節なのかもしれないけど、まあそれでもとにかく、混迷を極めること必至の2021年を生き抜こう。
読者のみなさんには今年も一年間、ありがとうございました。
こんなスーパーニッチブログですが、読む価値があると思ってもらえたなら、また来年もよろしく。
よいお年を!
薪ストーブオルドビス紀⑤ オイルランタン物語・後編~薪集めが本格化してきた
前回からの続き。
農機具小屋で見つけた古ぼけたランプのようなもの。
実は亡き父が40年前に使っていたDIETZ社のオイルランタンだった。
ばらして芯を新しくつけ直し、きれいに磨いて、さて、果たして40年の時を越えて、無事に火は灯るのか?
というのが、前回までのあらすじ。
はっきり言って、後編まで引っ張るほどの事はなかった。
結論から言ってしまえば、ランタンは何事もなかったかのように、灯った。
画像ではやや白っぽい灯りの色だけど、実際にはやや暗めのオレンジ。
辺りを白日のもとに晒すような、圧倒的な明るさはもちろん望むべくもないわけで。
ほんのり周囲が明るくなる程度。
照明としての能力はひかえめだけど、雰囲気は抜群だ。
寒い冬にはあまり登場の機会がないかもしれないが、冬が終わって、また屋外で夕食を食べる季節が来れば、それなりに活躍してくれるのではないかと、期待している。
さて、これだけではブログとしてはあまりにお粗末だろう。
薪ストーブブログらしく、薪ストーブのネタをしっかりぶちこんでいきたい。
今年は去年よりは明らかに寒い。
薪の減るペースも、なかなかのものだ。
おそらくこのシーズン(オルドビス紀)が終わる頃には、そこそこ薪を消耗し、薪棚のスペースも空いてくるだろう。
長らく手を抜いていた薪集めと薪割りを始めよう。
今回のターゲットはこいつら。
元玉の直径50センチに迫ろうかという、かなりの巨木のアラカシ。
ほぼ節もない理想的な樫だ。
こいつは先日、隣のおっちゃんに頼まれて伐倒したものだ。
伐採の駄賃に薪をもらう。
ちなみに道路から至近距離、というか、この木の樹頂の部分は伐倒時、道路に達したくらいなので、運搬は簡単。
樹種はアラカシ。
大きさもご立派。
3拍子そろった、理想的な薪現場といえよう。
さて、当日は天気が怪しかったので、さっさと玉切り。
さすがにこれだけの材積のアラカシを切っていくと、テンションも上がる。
すばやく、軽トラに積む。
そして、家の薪割り場に運び込んだ。
うーむ、久しぶりの玉切りが積み上がるこの光景。
かなりご無沙汰な気がする。
また毎日薪割りをする日々が始まる。
一通り割り終わる頃には胸筋が育つだろう笑
まだまだ現場には桜を中心にたくさんの原木があるので、薪運び、玉切り、薪割り、薪棚に積む。という一連の薪活を始めよう。
薪ストーブオルドビス紀④ オイルランタン物語・前編
我が家の農機具小屋にひっそりと置かれていたランプのようなもの。
レトロな雰囲気がよかったので、とりあえずオブジェとしてそのまま居てもらっていた。
手に持ってもやたらと軽くて、自分のイメージにある本格的なランプやランタンの類いとは違う、オモチャのランプか何かかなぁと思いつつも、特に必要性も感じなかったので、忘れ去っていた。
そのまま時は流れ、実家でテレビを観ていた。芸人さんがソロキャンプをするという、最近流行りの番組だ。
そのなかで、オイルランタンというのがやたらと目立つ編集で紹介されていた。
あれ?なんかどっかで見たことあるような…
母親が言うには、亡き父が昔このオイルランタンと同じようなのを持っていたとのこと。
もうかれこれ40年以上前のもののようだ。
ということは、我が家の農機具小屋にあったあれか?
気になって小屋から取り出してきて調べてみた。
おそらくメーカー名と思われる「DIETZ」の文字。
どうやって発音するのだろう。
そしてNO.20という表記とJUNIORの文字。
MADE IN HONG KONG
調べてみる。
ふむふむ。
DIETZというのはアメリカの歴史あるランタンメーカーで「デイツ」と発音するようだ。
その歴史をざっくりと書いてみよう。
1840年 創業のDIETZ社
1956年 製造拠点を香港に移す
1980年代に製造拠点を中国に移す。
本国アメリカのDIETZ社は1992年に廃業。
現在の製品は全て中国で製造されているらしい。
40年以上前に父が購入したというDIETZのランタン。
MADE IN HONG KONGという表記も辻褄が合うじゃないか。
ちょうど、本国アメリカから香港に製造拠点が移されて、中国に再移転するまでの間のものだろう。
ランプのガラスの部分にあるDIETZというロゴが立体的な細工になっているものの方が古くて、1960年代は香港製で浮かしロゴのものがあるらしい。
我が家にあるのは、白くガラスにプリントされているので、1970年代の香港製造のもので間違いなさそうだ。
おやおや、なんでも鑑定団みたいになってきたぞ笑
しかし、どうも火をつける部分の芯がないように見える。
このままでは使えなさそうだ。
修理して、使えるようになったら、夏に外で晩飯を食べるときの灯りとして使えそうじゃないか。
というわけで、修理してみることにした。
といっても、構造は極めてシンプル。
灯油やレインボーオイルを入れるタンクが一番下にあって、そこにランタンの芯を浸して、上のガラスの部分でその燃料を燃やすだけ。
芯さえうまく付けられれば、普通に使えるんじゃないのかな。
とりあえず分解してみる。
おお、結構パカパカ外れていく!
と思ったら、芯がへんな形で挟まったまま外れずに固まっているようだ。
これを取らなければ。
あらよっと。
ちょっと強引に外したはいいけど、
今度は新しい芯を付けるのがえらく大変だった。
奥さんのアイデアでなんとか、無事に新しい芯をセットできた。
なかなか立ち姿もいい感じになった。
でも、肝心なガラスの部分が汚れているので、雑巾できれいに拭いた。
修理(というかそもそも壊れてなかったので、芯の付け替え)が終わり、あとは灯すだけ。
40年前に亡き父が使っていたらしい、ちょっとレトロなオイルランタン。
果たして無事に灯るのか?
話が長くなったので、後編に続く!
薪ストーブオルドビス紀③ 秋が過ぎ去り、冬到来~ネスターマーティンの焚き付け風景
紅葉の季節を過ぎれば、あとは枯れ野と雪景色。
少し前はこんな風に紅葉を楽しんでいたのに、
気がつけば冬が来ていた。
寂しい風景には違いないけど、薪ストーブユーザーにとっては待ちに待った季節の到来である。
雪が来る前に薪棚の補充をしよう。
数日前の話だ。
我が家の玄関前の薪棚が空になっとる。
このままでは家族揃って凍死するかもしれない。
なので、急いで山に薪を取りに行った。
軽トラで薪棚の真ん前までアクセスして、
あとはひたすら積んでいく。
補充完了。
これで年末ぐらいまでは安心か?
さて、さて、そんなことをしていたら雪が降ってきたのだ。
今朝は休みなので気持ちに余裕があった。
普段だったら絶対にしない、面倒くさいことを、思い立ってしてみる気になった。
これは炉内に薪と焚き付けを組んで、上から着火できるようにした写真。
あとはマッチで新聞に火を放つだけの状態だ。
この組まれた薪。
あくまでもネスターマーティンS33の場合だけど、一回の焚き付けでこれくらいの薪や小割り薪、焚き付け材が必要だという目安を公開しよう。
シーズンを前にどれくらいの焚き付け材を用意すればいいかの参考になるかもしれない。
このばっちり組まれた焚き付け用の薪組みを全て取り出してみる。
こんな感じだ。
下から、中割り3本、小割り3本、その上に短い焚き付け8本、長い焚き付け5本、新聞紙、短い焚き付け2本、割りばし沢山、松ぼっくり。こんな感じで組んでいた。
それをまた元通り炉内に戻してみよう。
まず中割り。底にみっちり敷き詰める。
そしてこの上に小割り。これはわりといい雑木の小割りだ。
その上に短い焚き付け。ネスターマーティンは奥行きがあまりないので、20センチぐらいの焚き付けを用意した方が組みやすい。
なくても大丈夫だけど、あった方がすっきり薪が組める。
あとは長い焚き付け。
短い焚き付け、新聞紙、さらに長い焚き付け。
割りばし。
こんな風に組んで、マッチで火をつける。
あとは、外から空気を入れるために、少しだけフロントドアに隙間を作っておく。
これで、一番下の中割りがきっちり燃えるまで放置して、あとは杉や桧の端材などを少し追加で放り込めば巡航運転まで達することができる。
所要時間はだいたい30~40分。
まあだいたいこんな感じだ。
出したりいれたり、かなり面倒くさいので、二度としないと思うけど、一度くらいはしておきたいと思っていた、焚き付け風景の公開。
参考になれば嬉しい。
年末まであと2週間。
今年がどんな年だったか、また年末に振り返れたら振り返ろう。
ともあれ、あと2週間、無事に過ごせるよう、1日1日を大切に暮らしていきたいものだ。