薪ストーブ前史・総集編⑧「薪棚の新設」編
1.整地編
仮置きのつもりで作り始めた仮設の薪棚のキャパシティーがいっぱいになってきたので、新しく、恒常的な薪棚を作ることにした。
草がぼうぼうと生い茂っているので、まずはきれいに抜いてしまうことに。
七月の暑い盛りに汗をダラダラ流しながら、草を刈ったら、こうなった。
ここにブロックで土台を敷いて、だいたい4立米ぐらいの薪をおける計算だ。
入念にサイズを測ってきちんと設計図も引いた。
これで完璧。
あとは完成させるだけだ(笑)。
2.基礎編
薪棚を新設することにして、庭の一画の草を抜いて整地した。
薪棚をつくるにあたって決めていたことは、①基本的にはもらった廃材などの木材やトタンをリサイクルする。購入は必要最小限に。
②にもかかわらず、それなりに見栄えのよい、愛着を持って長年の使用に耐えるものにする。
という、少々相矛盾する条件をもとに製作をはじめた。
まず手始めに基礎となるブロックやレンガ、そして丈夫そうな木材を探してきた。
寸法は横250cm、奥行き90cm、そしてこの段階ではまだ何もないが、高さは180cmになる予定だ。前後に2段を薪を積めるように奥行きは90㎝確保している。
上の画像は、とりあえず材料を集めてきて適当に置いただけなので、沿道でパレードを観るときの雛壇みたいな形状をしているが、もちろん、これは薪棚とは関係ない。
このブロックと木材の基礎を、全体的にそれなりに水平にしていく。
あとで気づいたのだが、ほんの少し歪むだけでも、柱を縦に打ち付けるときに大きなズレや歪みとなって表れてくる。この水平とりは非常に大事だ。しかし、地味な作業で、しかもブロックも木材もやたら重いから、辛い作業だった。
性格的に何事もキッチリ、ぴったり、という風に進めていくのが苦手なので(笑)、大いなる妥協点を見いだして、ざっくりと基礎が完成した。
そして、そのいい加減な性格を象徴するかのように、その完成した基礎だけのときの写真を撮り忘れた(汗)。
これから先が思いやられる。
3.棟上げ編
基礎が完成したので、そこに柱を立てていく。家作りにおける「棟上げ」とか「建前」とか呼ばれる大事な工程だ。
家に使われなくなったラティスが2枚あり、ちょうど180×90㎝という薪棚とぴったりのサイズだったので使ってみることにした。
片方をインパクトドライバーで止めて、さらに反対側を付けようとしたら、なんだか妙にねじれている(汗)。よく見たら、まっすぐ柱が立ち上がってないじゃないか。
やはり、適当に基礎を作るとこうなる。
まあ、気にせずにもう片方もラティスをつけた。
ついでに屋根をつけるときのために(そして強度確保のためにも)真ん中にも柱をたてた。ふむ、そんなに歪んでいるようにも見えないな。薪棚っぽくなってきたぞ。
4.屋根編
なんとなくダラダラ続けてきた薪棚作りも、
いよいよ屋根を取り付けて完成だ。
さすがにここまで来て、手持ちの長い木材が底をついたので、ついに今回の薪棚作り初の資材購入に踏み切った。
ホームセンターのKOMERIで1本260円くらいのツーバイの木材が6本。
本当は全て貰い物で完成させたかったのだが、長いものだけは、代用が効かず、断念。
早速寸法に合わせて切っていく。
そしてざっくりとインパクトドライバーで打ち付ける。
ちょっと斜めから見ると・・
おお、それっぽい。
そのまま屋根の波板も取り付けることに。
農機具小屋の裏でどろどろに汚れていた波板を4枚、ホースの水とたわしできれいにして、薪棚の上に置いてみる。
おお、でけた。
なんかもう完成した気分だ。ごくろうさーん。
しかし台風シーズンも近くて、屋根が飛ぶことを心配したうちの奥さんの進言で、波板をきっちり釘で打ち付けることに。
いやはや完成だ。
横揺れに弱そうだったので、板を張ってもう少し強度を確保したい。
5.薪棚についての短い考察
世の中には実に様々な薪棚があるものだ。
色々薪ストーブ関連のサイトやブログをみたり、本を見たり、車を停めて実物をまじまじと眺めたり、いろんな薪棚を見てきたが、基本的には実用性が大事なものであり、美しさや、細部の造形なんかは無いものがほとんどだ。
そしてほとんどの人がDIYで、つまり日曜大工的に作っている。性格の差こそあれ、必要以上にお金をかけようとする人はそんなにいないと感じた。
そして自分で薪棚を作ってみて、それはそれで、あまりこだわりを持たずに、実用性一辺倒なものになった気がする。
薪棚はそんなものだろう。たぶん。
しかし、いざそこに自分で割った薪が入ると状況が一変する。はずだ。
薪ストーブは、炎の揺らめきを楽しみ、暖かさを楽しみ、その火を使った料理を楽しむものだ。
しかし、誤解を恐れずに言うなら、薪ストーブにおける最大の充実感は、自分で割った薪を薪棚にぎっしりと並べた光景を眺める瞬間なのではないだろうか。
木の断面が三角や四角にずらりと並んでこちらを向いている光景。
なぜだろうか、自分で割った薪棚を眺めていると、何とも言えない不思議な充足感に満たされた気持ちになっていく。
森本哲郎辺りなら、きっと「名状しがたい気持ち」とか書くんだろうなぁと想像する。なんとも言い難い、満たされた気持ち。
おそらく自分で自分の生活を組み立てている、エネルギーを生み出しているという事実が、形として現れているのが薪棚というものなのではなかろうか。
オフグリッドの具現化。自給自足の具象化。
IOTでユビキタスな世界の潮流とは完全に真逆のこの充足感。
ニーチェも書いている。
身体をフィジカルに使って得た疲労感、充足感から発せられた言葉。「これが生きるっていうことなのか、よし、もう一度」とツァラトストラに言わせている。
まさかニーチェが薪割りについて言及しているわけではなかろうが(笑)、実感として、一番近い気がする。
そんな生きるというシンプルな作業の充足感を端的に「見える化」してくれるのが薪棚ではないだろうか。
もちろん、形が整っていて美しい断面をずらっと並べた、端正な薪棚は見るものをうっとりとした気分に酔わせるだろう。それが全て楢やくぬぎなら、文字どおりその光景に酔いしれそうだ。
しかし、例え断面が黒ずんでいようとも、不揃いであろうとも、針葉樹の比率が多かろうとも、自分で割った以上は、そこに大いなる充足感を見いだせるはずだ。
そのぎっしりと薪棚につまった薪たちが、来るべき冬の暖かさを約束してくれるのだから。
こんなことを書いていると薪棚をいっぱいにしたくなってきた(笑)。
これが生きるっていうことなのか
よしもう一度!