僕はきこりになった 第1話『きこりになる』
今回から、新しいネタを始める。
題して『僕はきこりになった』。
なんのこっちゃ?と思われる方も多いと思うが、タイトルそのままだ。
きこりになったのである。
正確に言うと、全くのド素人から林業の世界に飛び込んで、今日で丸五年が経過した。
小沢健二の歌に
♪物語の始まりにはちょうどいい季節になったろ~
という歌詞があったと思うが、まさに新しい物語を始めるのに素晴らしい季節だ。
僕が思いがけず足を踏み入れた「林業」という、知っているようで、全然知られていない超マイナーな業界を少しずつ読者の皆さんにお伝えしていきたい。
本当はもう少し早くこのネタを書いてもよかったのだ。
林業と薪ストーブは、想像するのも容易だが、密接に繋がっている。
というか、薪ストーブの薪欲しさに林業を始めた人だっている。
薪と林業は、一番最初に思い付く連想ゲームのワードのようなものだ。
そのへんのことをチョロチョロと書いていってもよかったのだが、色んな事が起こりすぎて、そのことを客観的に語れるようになるのに時間が必要だった。
五年も経てば、客観的に語ることもできるだろう。
さて、その第一回目は、なぜ林業の世界に飛び込むことになったか、その辺りを書いてみよう。
僕の場合、もちろん、きっかけは薪ストーブだ。
薪集めが高じて樹木の伐採を手伝った時に、「あれ?林業って面白いかもな」と思ったのだ。
実際のきっかけは、このブログでめちゃめちゃ詳しくレポートした、茶畑山でのクヌギの風倒木の処理だ。
未読の方は以下のリンクを読んでみてほしい。
薪ストーブ始生代・総集編④「茶畑山に入る」 - 薪ストーブクロニクル
薪ストーブ始生代・総集編⑤「茶畑山で薪仕事」 - 薪ストーブクロニクル
薪ストーブ始生代・総集編⑥「茶畑山に引きこもる」 - 薪ストーブクロニクル
薪ストーブ始生代・総集編⑦「茶畑山での作業が一通り終わった」 - 薪ストーブクロニクル
まあ、要するに、近所のおっさんが、自分の所の山でクヌギが台風でバタバタ倒れて困っているので、薪が欲しそうな僕を手伝わせて、その倒木処理をしたということなのだが…
かつて、林業なんていう職業は、自分の頭の片隅にすらなかった。
その後、薪作りをする必要からチェーンソーを購入して使うようになった。
チェーンソーで薪作りをしている自分を客観的に眺めて、あまりの違和感に笑ってしまったくらいだ。
まさか自分の人生でこれほどチェーンソーを使うことがあるなんて、有り得ない(笑)。
という笑いだ。
そして、そのチェーンソーを使って、くだんの茶畑山での風倒木処理を経験する。
あれ、意外といけるんじゃないのか。
木を伐るというのは、面白いじゃないか。
ちょうど、その頃、引っ越しで勤め先がかなり遠くなってしまったので、家の近くで働ける場所を探していた。
林業なら、家の近くの山でも働けそうだ(まあ、なんと安直な)。
そんなことを考えていたある日、通勤の電車の中吊り広告で、『林業ガイダンス開催』というものを目にする。
もちろん、ソッコーで参加しましたとも。
そうしたら、なんのことはない。家から車で20分のところに、林業の仕事をしている会社があるじゃないか。
全然しらなかった。
しかし、ハローワークで調べてもらうと、そこの会社は求人を出していない。
ダメ元で直接電話してみたところ、あっさり採用(笑)。
明日からでも来てほしいと言われたんだけど、今の仕事の引き継ぎもあるので、4月1日から働くことになった。
それがいまから五年前。
2018年のことだ。
本当に、予想もしていなかった急展開で、林業の世界に飛び込むことになってしまった。
風倒木は(ほんのすこしだけ)伐ったことがあるけど、実際のところ、林業ってどんなことをするのか。
実は入社直前の時点でも全く分からなかった。
面接のときに説明を受けても、さっぱり分からなかった。
一つだけわかっていたこと。
入社前に、自分が勤めることになった会社のことをインターネットで検索してみたのだ。
すると、
『林業事業体の○○造林の従業員Sさん(48歳)が、○△市の山中で伐採作業中に熊に襲われて重症を負うという事故が起きました。Sさんは頭から血を流していたところを同僚に発見されたものの命に別状はなく……』
という短いニュース記事がヒットした。
………
………
僕は四月から木こりになる……らしい。
大丈夫なのか、俺?
<つづく>
薪ストーブデボン紀⑨ 春の祭典、針葉樹薪の実力、そして次回予告
ふきのとうに始まる春の祭典が始まった。
そう、春に順々に芽吹いていく、山菜や野草たちのパレードだ。
2月後半のまだ雪の溶け残る棚田を歩くと、真っ先に春の訪れを告げるふきのとうが顔を出す。
その小さなつぼみをいただいて、天ぷらにする。ふきのとう特有のあの苦みを味わうと、もうすぐ薪ストーブの季節が終わるんだな、という気がしてくる。
3月になると、ふきのとうはもう少し大きくなる。
開いてきたふきのとうはフキ味噌にして、ご飯のお供になる。
その時期には食べられるくらいの大きさまで育ってくるので、ホタルイカと共にヌタにしていただく。
そして、同じく3月の終わり頃から近くの川でクレソンが育ってきているので、「クレソン鍋」や「クレソンとエビの水餃子」にして
いただく。実際には水餃子はまだ食べていないので、来週辺りの晩ごはんになる予定。
そして、いよいよ四月を迎える。
タラの芽、コシアブラ、タカノツメ、ウド、コゴミ、ゼンマイ、オニヒカゲわらび、ガンソク、タケノコ……
野山に自生する山菜や野草だけで、しばらく食べていける気がする。
もちろん、ユキノシタやノビル、その他、畑で雑草として一くくりにされている草たちも、普通に食べられる。
冬野菜がとうだちして、菜の花になっているこの季節は、俗にいう端境期なので、旬の野菜というものは少ない。
エンドウ豆の類いが育ってくるまでは、ブロッコリーと菜の花をひたすら摘んで食べる感じだけど、そこに山菜や野草が加わってくると、食卓は一気に華やかになるのだ。
まさしく野草、山菜たちの春の祭典。
ストラヴィンスキーが作曲したクラシック音楽の『春の祭典』は、とてもじゃないがこんなにヘルシーで平和な祭典ではない。
冒頭のファゴットのソロから始まって、バレエ音楽にしては踊りにくそうな、やたら細かい変拍子、生け贄の動物の骨を断つ音を模写したような打撃音と不協和音。
肉と血しぶきにまみれた春の祭典なのである。※注:個人の感想です。
さて、3月も終わろうとしているが、もちろん薪ストーブは焚いている。
デカイ杉の薪が燃えている。
今は大きめの針葉樹の薪が主力だ。
そこに、ボケた広葉樹薪や中途半端なサイズの薪、ドンコロなどを織り混ぜて、シーズン終了までなんとか持ちこたえる、というのがここ最近の春の焚き方になっている。
我が家のネスターマーティンは、針葉樹を混ぜて焚いた方が温度がしっかり上がる気がする。
ひょっとすると、真冬でも針葉樹とナラやクヌギなどを混ぜて焚いた方がうまく焚けるのだろうか。
また来シーズンやってみよう。
春に山菜や野草。
夏は畑のお世話。
秋にキノコを採って、
冬に薪ストーブを焚きまくる。
薪ストーブと大自然をメインにしたブログのネタは毎年変わらない。
変わらないことに価値があるし、その変わらない季節の巡りこそが、田舎暮らしの真の価値だと言える。
しかし、ブログ的にはちょっと物足りない。
また春になって山菜のネタだ。
一体このブログで何回ふきのとうの事を書いただろうか(笑)。
毎年同じことの繰り返しなので(暮らしとしてはそれが素晴らしいのだが)、ブログを更新しようというモチベーションは下がる一方だ。
というわけで…
この四月から、全く新しいネタをぶっこんでみようと思っている。
もちろん、薪ストーブや自給的な暮らしと全く無縁の事ではない。
しかし、ちょっと毛色が変わることになる。
乞うご期待。
薪ストーブデボン紀⑧ 大雪で樫の薪棚が崩壊。切り干し大根を作る。
崩壊したときが、焚き時だろう。
いきなり、なんの話かというと…。
大雪で樫の薪棚が崩れた。
もともと屋根として置いていたトタンが不安定だったので、不思議はないが。
雪の重みで屋根が落ちたとき、薪棚の上半分の薪も運命を共にして崩れてしまったようだ。
まあ、崩壊としてはかわいいものだ。
胸高程度の小さな薪棚だし、樹種が樫とはいえ、もう割ってからずいぶん経つ薪だ。
乾燥による重心の変化に雪の重さが加わって薪棚が崩れたのなら、もう焚き時だというサインなのだ、と解釈した。
調べてみるとこの樫の薪棚を作ってから、もう丸四年経っていた。
思わず遠い目になる。
この樫の薪はなかなか思い出深い。
以下のような経緯で入手した薪だ。
薪ストーブ原生代32 一本の樫の木からできる薪 - 薪ストーブクロニクル
まだまだチェーンソーの使い方も、ひよっこレベル。
ビクビクしながら根コケした梶を切断していたことを懐かしく思い出す。
こいつらを2月の半ばの、寒さのラストスパートにむけて焚いていこう。
と今朝、この崩壊を目の当たりにして、即興的に考えたわけだ(笑)。
さて、久しぶりの大雪だ。
薪棚の屋根に載った雪の量が半端じゃないぞ。
↑これなんかは、50センチは積もっているか。
こっちもそうだ。なんか変形してるぞ。
これらは、かなりの材積が確保できる主力の薪棚なのに、強度に不安のあるので、真っ先に雪を降ろした。
しかし前述の樫の薪棚はスルーしたのだが、計算違いだった。
薪の山はいずこへ
さて、1月の頭に大量に入荷したコナラの玉。
1月半ばに半分以上割り終えた。
ちなみにこの時が、電動薪割り機のデビューだった。
奥さんに電動薪割り機を使ってもらって、僕は斧で割るという、速度2倍な薪割りだ。
一時間ほどで、あっという間に薪の山ができたわけだ。
さて、そんな薪の山が雪でこうなった。
もはやなんのこっちゃ、さっぱり分からん(笑)。
ちょうど、次に割ろうと思っていた玉が薪割り台の上にあったので、雪の中から顔を出していた。
マッチ棒か何かかしら?
せっかくなので、雪中薪割りもしてみたが、
次の玉がどこにあるかわからなくなっているので、1玉だけ割って終了した。
なんとも消化不良だ。
切り干し大根を作る
我が家の周辺でも、ここ10年で一番雪が降ったが、まだまだ雪国と比べれば、生活に支障もなく、平和なものだ。
それでも、ここまで降られると、普段なら降雪時でもできていたことが、全然できない。
家の中で暇なので、切り干し大根をたくさん作ることにする。
ストーブの上に吊るして乾かす作戦だ。
角度を変えるとこんな感じ。
数日間、ストーブをガンガンに焚くと、パキッと折れるくらいに乾くので、それで完成だ。
↑左側が50%ぐらいの乾燥、右側がほぼ乾燥完了。
天日に干した方が栄養が引き出されるようだが、それでは量が作れない。
薪ストーブで超お手軽に美味しくできるので、まあこれでいいや。
できたら瓶のなかにどんどん入れていく。
大量の大根を使うが、乾燥すると本当に目減りするので、まだまだ作らなくては。
久しぶりの大雪で、すっかりのんびりさせてもらった。
犬や猫たちも楽園気分でくつろいでいる。
ぐうたらな僕でもそろそろ働きたくなってきた。やるべきことは山のようにあるのだ。
そろそろ活動再開できるくらいには雪が溶けてほしいものだ。
薪ストーブデボン紀⑦ 薪棚マネジメントも楽じゃない
薪の移動が好きだ。
乾燥した薪を、玄関前のスタンバイ用薪棚に移動させたり、新しく入荷する予定のフレッシュな薪たちのために、薪棚を空けて、薪棚をマネジメントするのは薪ストーブユーザーの日常業務だ。
今年の薪はこの薪棚の薪を使おう。
来年用の薪のために、薪棚のスペースを空けておこう。
などなど、色々考えながら薪を積んでいく。
この場所なら何年で焚けるようになるか、という薪棚ごとの乾燥条件もだんだん分かってきた。
今日は、そんな薪棚マネジメントの話だ。
玄関の前にある、仮設の薪棚。
薪ストーブシーズンだけ持ってきて、焚く直前の薪をプールしておく場所だ。
年末年始に焚きまくったおかげで(笑)、そこが空になったので、薪の移動をすることにした。
一輪車でえっちらおっちらと運ぶ。
無心になって、うずだかく一輪車に満載した薪を落とさないように、それだけに集中しながら、何往復もひたすら行き来をくりかえす。
この前近代的な作業が、なんとも言えず好きだ。
無心と書いたけど、運んでいる時に、ふと、あれこんな薪あったよなー、とか樹種のついてはよく思いを巡らす。
このボケたクヌギは懐かしいな。
お、久しぶりに椎じゃないか。
この赤茶色の芯材の薪はいつまでも赤茶色のままだな。
そんなことを考える。
少し前までは、薪を見たら、どこから採ってきた薪かかなり判別がついたんだけど、ここ最近は分からない事が多くなってきた。
たしかこんな薪あったよなぁ。
ぐらいのもの。
まあ、薪作りの極意は忘却と言われるくらいだから、少し薪作りに慣れてきたのかな、という心境だ。
ここ最近全然集めていない椎の薪に出会ったときは、なんとなく懐かしかった。
このまっすぐな割れ筋。
本当に簡単に割れて、薪割りが下手な頃でも全くストレスのない薪割りが楽しめたものだ。
その点は栗と同じだ。
割れやすいということは、小割りにして焚き付け材として使うのも良いということだ。
椎は火着きが良くて、焚き始めにその特徴を活かせる薪なので、意外と重宝するんじゃないか。
やれ、コナラだ、やれアラカシだ、とAクラスの薪だけに目が向いた時期もあったが、コナラもアラカシも火持ちは最高だけど、灰がやたらたくさん出る。
そして、アラカシは乾くまでものすごく時間がかかる。
椎や杉のような、Cクラス(と勝手にランク付けしただけ)の薪も、その割りやすさは格別で、キンドリングクラッカーでコンコン焚き付けを作るとき、無節の杉なんかは特に最高に楽だ。
椎も、キンクラで割ってみたが、時々繊維がもつれて割りにくいものもあって、斧で割るときほどには割りやすさを実感できなかった。
いま運び出しているのは、便宜的に薪棚1号機と名付けた薪棚の薪だ。
この薪棚は前後2列置ける構造なのだか、その後列の薪だ。
後列の薪は、日光、風、乾燥に必要な多くの要素が前列の薪で遮られるので、乾燥が非常に遅いというのが定説だ。
我が家の後列薪も、紫外線を浴びていないからか、木口がやたら綺麗で、本当に乾燥しているのか心配になった。
初めて薪棚を作って、薪を置き始めてから、実はこの後列の薪は一度も焚かれたことがないのだ。
おそらく、4年以上、後列の薪として文字通り前列の目立つ薪たちの後塵に拝していた薪たちなのだ。
いかに乾燥条件の悪い薪たちでも、4年以上乾燥させたらさすがに焚けるでしょ。というのが、今回の調査だ。
とにかく、この後列薪で極寒の1月2月を乗り切るのだ。
薪が減っていて、久しぶりに薪棚の後ろのブロック塀が見えた。
シダ植物が光の乏しい所でもすくすく育っていた。
そして、勢い余って薪棚とブロック塀の間に落ちた薪は、元の色が分からないくらい、真っ黒になって腐敗もええ感じに進んでいた。
まあ、ともあれ、ここ↓の薪のほとんどが、
こっち↓に移動完了なわけだ。
ちょっと一安心。
そして続いて、待ち構えているのは、空にした薪棚1号機に積むべく控えている玉切りにしたコナラたちだ。
というか、こいつらが入荷してきたので、薪棚を空けるのが待ったなしだったのだ。
いやはや、薪棚マネジメントも楽じゃないね。
薪ストーブデボン紀⑥ 今年が終わる前に、短い焚き付けを作ろう
冬が始まる。
今年は秋が来るのも少し遅かった感じで、そのまま晩秋が続いていた気がする。
近くの山もなかなか冠雪せず、かといって暖かいわけでもなく、雪のない枯れ野の風景がいつまでも続いていた印象。
それが、一転。一気に冬が始まったように感じる。
冬のワールドカップも終わり、あとは無事に年を越すだけ、という気分だ。
さて、今年が終わる前に、やり残した薪仕事がひとつある。
短い焚き付け作りだ。
これは、大型の薪ストーブを使っているユーザーにはあまり関係のない話かもしれないが、奥行きの狭い薪ストーブで炉内で焚き付けを井桁に組んで着火する場合、横方向は40センチ前後の焚き付けでいいのだが、奥行き方向には20センチぐらいの長さの焚き付けしか入らない。
これが、意外と不便なのだ。
我が家で使っているのは、ネスターマーティンS33という中型薪ストーブ。
コンパクトでパワフルな申し分のない薪ストーブだが、いかんせん、奥行きの狭さは数少ない欠点と言える。
焚き付け時だけでなく、炉内をオーブンとして使うときでも、丸い耐熱皿を入れると扉が閉まらなかったり、もう少し奥行きがあればなぁと思うこともある。
で、毎日行う焚き付け作業のときは、なおさら奥行きのなさを嘆くわけだが、それを嘆いていても始まらないので、井桁組みの奥行き方向用に、20センチ前後の短い焚き付けを作るのが日課となるのだ。
今日用意したのは、ヒノキの元玉を20センチに切り揃えたものだ。
ヒノキの元玉は、節がなくて綺麗な柾目ができるので、木材市場でも高値で取引されているし、焚き付け作りで細かく割る時も、真っ直ぐ割れるので重宝するのだ。
1立米あたり三~四万円するものも珍しくない。
あれ?
乾燥したコナラの薪でもそんなに高くないですよね?
せいぜい二万円前後のはず。
たかだか短い焚き付けを作るのに、そんな高級なヒノキの元玉を使うなんて。
とお思いの向きもあろうことだろうが、もちろん、そんなわけがない。
ヒノキの元玉の中で、腐りが入って売れない部分を落としたものを貰ってきただけだ。
これなら、木材としての価値はないけど、焚き付けとしては一級品。
割りやすく乾きやすくよく燃える。
さて、いつも通り前置きが長くなったけど、早速割っていこう。
20センチの短い玉だけど、直径が40センチぐらいあるものも混じっていて、普通のフィスカースでは歯が立たなかったりする。
ハンマー斧である程度小さくして、
そこから普通のフィスカースで粉々に砕く。
ある程度割れば、乾燥は充分するのだが、でかいままだと、キンドリングクラッカーに入らない(笑)
いざシーズンインして使うとき、このキンクラでさらに細かくしてから焚き付けとして使用するので、このキンクラに入るサイズまで斧で割っておくのが、我が家のハウスルールなのだ。
割っては、一輪車で運ぶ。
それを繰り返して、短い焚き付け専用の棚に積み上げる。
去年のものを前に出して、奥に先ほど作ったものを並べていく。
はっきり言って、腰に来る。
まあ、こんな感じで作っておけば、来年分には充分足りるだろう。
今回のお話の教訓としては、
①家が大きいなら、奥行きの広い薪ストーブを選ぼう。
②キンクラは、そこまで値段も変わらないので、大きい方の『キンドリングクラッカーキング』を無条件におすすめする。
以上。
薪ストーブデボン紀⑤ 薪は沈む。風が冷たくなり、キノコは現れる。
今回はナメコの話だ。
しかしその前に、薪ストーブブログらしい話を…。
薪は沈む。
とてもシンプルな事実だ。
それを証明する画像があるので載せておこう。
↓この薪棚の左上を定点観測してみた。
拡大してみる。
↓これが現在の姿。
↓撮影した角度が少し違うので分かりにくいが、これが1年半前の同じ箇所。
確かに、1年半前に、薪棚の天井一杯まで積んだはずの薪。
積まれ方はそのままに、握りこぶし一個分ほどの隙間ができている。
水分たっぷりの伐採したての木も、ふた夏越せばここまで沈むということだ。
そして、この薪(主に桜)はこの11月から暖房の主役として、次々に炉内にぶちこまれている。
火持ちが最高、というわけでもなく、温度がガンガンに上がる、というわけでもないが、この季節に過不足なく部屋を暖めてくれるという意味では、素晴らしい薪だ。
いまの季節にクヌギだ樫だとAクラスの薪をメインに使ってしまったら、ちょっと暑くなりすぎるかもしれない。
人間と同じで樹種それぞれ、最適な活躍の場があるものだ。
しかし、まだ秋だとは言っても確実に寒さが増してきている。
11月だ。
畑で頑張っていた名残の夏野菜たちもほぼ片付け終わった。
今シーズン最後の収穫となったナスやピーマンと、これからピークを迎える水菜やこかぶなどの冬野菜が一瞬だけ交錯する、貴重な季節。
10月とは確実にと違う空気感。風は冷たくなり、昼は短くなり、猫が膝に乗る(笑)。
11月といえば、我が家の地域ではキノコシーズンを意味する。
今年は確かなキノコポイントを2つ見つけてあるので、少し早めから定期的にチェックに行っていた。
そして、先週の初めごろに、ナメコの幼菌の姿を確認してから、3日毎にチェックに行って、最適な時期に採取することができた。
まず、幼菌出始めの様子。
隣には大きめのナメコも育っている。
その4日後。
拡大してみると、
かなり現れ出ている。
さらに2日後。
きたー!
ズバリ、大きめのつぶつぶナメコが今年の狙いだ。
少し傘が開いた、パンのような形状の成菌も、食べ甲斐があって、出汁もよく出るが、つぶつぶナメコの食感も捨てがたい。
つぶつぶナメコが倒木にところ狭しと現れる様子は、まさに絶景。
山の神様に感謝を捧げつつ、ありがたく採らせていただく。
もちろん、来年のためにある程度株を残すことも忘れてはいけない。
たとえ人類が滅びそうになっていても、キノコを採り尽くして根絶やしにすることは許されない。
よくわからないけど、きっとそうだ。
それくらい、天然のキノコが生える様は神秘的なのだ。
つぶつぶナメコの奇跡的な美味しさを楽しみつつ、今日も薪ストーブが部屋を暖める。
薪ストーブデボン紀④ 原木栽培の椎茸、ついに成功せり
原木栽培椎茸なんて、木に菌を打てば簡単にできると思っていた。
それでも、一応育て方を調べて、手順を守って栽培してみた。
①菌打ちから
原木椎茸となめこを育てる~きのこの菌打ちをする - 薪ストーブクロニクル
②仮伏せ
原木椎茸の仮伏せ~冷やさないように、乾かさないように - 薪ストーブクロニクル
③本伏せ
と、まあこんな感じで菌を確実にほだ木に繁殖させて、これで「しめしめ、秋には食べきれないくらいの椎茸が出てきて嬉しい悲鳴をあげることになるぞ」などとほくそえんでいたのだが。
蓋を開けてみれば、何年たっても椎茸は出ず。
一年目は完膚なきまでの失敗だった。
これが2018年のことだ。
次の年、2019年も菌を打った。
まだ失敗しているとは思いもよらず、同じように菌を打って、同じように立て掛けておいた。もちろん、二年目も同じように失敗することになる。
三年目の2020年。
どうやら最初の年に打った椎茸は失敗したらしいと分かりはじめていたので、やり方を少し変える。
変なキノコや菌がやたら繁殖しているようなので、保管場所を家の北側のもう少し風通しのいい場所に変えてみた。
結果から言うと、この年のキノコも完全に失敗だった。
三年失敗して、さすがに目が覚めた。
これまでも、どうすれば成功するか、実はうすうす分かっていた。
要するに、山の中にほだ木を置いてくれば、日が当たらず、風通しが良くて雨がかかる、という椎茸に理想的な環境に必然的になるので、おそらく失敗はないだろうと思っていた。
ただ、発生したときに逐一山の中に見回りをしていないと、ちょっと採り遅れて巨大化、採り頃を逃す、なんていうことになりかねない。
やはり椎茸は、いつでも見回りができる家の回りで育てたい、という強い願望(ものぐさとも言う)があったので、なんとか家の回りで山に近い環境を整えようとしていたのが敗因だ。
椎茸は50℃程度の高温で菌が死滅するらしい。
つまり、真夏の直射日光を浴びれば、ほぼ全滅するということになる。
一番暑い真夏でも気温は40℃手前で止まるが、照り返しや直射日光をもろに受ければ、表面の温度は気温よりはるかに高くなる。
そんなこともじわじわと分かってきた。
で、だ。
2021年、四年目にようやく重い腰をあげる。
薪の作業場を借りていた隣人の持っている山に置かせてもらうことにしたのだ。
山までほだ木を運び、くぬぎ林の中に杭を打って、そこに並べた。
これでもう大丈夫。
の、はずだった。
なんとよりによってその2021年の夏に隣人トラブルが発生。
薪の作業場に置いていた軽トラ8台ほどの薪と、山の中のほだ木をすべて撤去しなくてはならなくなった。
薪はともかく、ほだ木を家に持ち帰れば、また真夏の暑さで菌が全滅してしまうに違いない。
波瀾万丈の椎茸栽培。
もはやここまでか?!
しかし。
その2021年の春に菌を打った椎茸、結果から言うとこの10月にもりもり発生し始めた。
初めはポコポコとチビ椎茸が顔を出す。
小さな小さな椎茸。
ぬおおおおーー。
中山康樹風に言えば、興奮に次ぐ興奮である。
この椎茸たちが出てきたのは、2022年の秋。
つまり2021年の春から一年半が経過しての発生だ。
つまり菌を打ち始めてからすでに5年という歳月が経過している。
苦節とはよく言ったものだが、たいした苦節ではなかったけど、諦めなくてよかったとは素直に感じる。
次の日に見に行くと、もうこんなに大きくお育ちになられて。
まるで、子供の成長を見守るがごとし、だ(笑)
初めての収穫。
とりあえずバター焼きにして食べた。
さらに2日後、椎茸は更に成長を続ける。
今度は頃合いの大きさのものがたくさん採れた。
ちなみにこの2020年の椎茸、くぬぎとコナラの原木それぞれ3本ずつ菌を打った。
不思議なことに、3本のくぬぎから申し合わせたように椎茸がまず発生。
そのくぬぎから出た全ての椎茸の収穫を終えた10日に今度はコナラのほだ木から一斉に発生してきた。
今年はほだ木は六本だけ。
しかし2021年にまた更に10数本の菌うちをしたので、来年は間違いなく採れ過ぎて嬉しい悲鳴をあげる予定だ(笑)。
ちなみに、隣人トラブルで追い出されたほだ木たち、その後、どういう変遷をたどって無事椎茸の発生までこぎ着けたかというと…
捨てる神あれば拾う神あり、というやつで、ちょうど、椎茸のほだ木を置くのにぴったりな場所がある畑を同じタイミングで、別の方からお借りできることになったのだ。
その畑には、南向きに大きな枝を繁らせた栗の木が立っていて、夏場はそこが完全に日陰になる上に風通しもよいので、ほだ木を置くのに理想的な環境だったのだ。
同じ管理場所から、ヒラタケも生えた。
しかし、このヒラタケは、雨が降らずに萎れてしまった。
キノコ繋がりでは、この巨大な天然舞茸か大きなニュースだ。
人間の顔よりはるかに大きな天然舞茸。
自分で採ってたらビッグニュースなんだけど、残念ながら自分では見つけられてない。
山の近くのお店で購入。
あらゆる料理で味わい尽くした。
特に天ぷらの美味しさは、言い表し難い。
しかし、山のキノコの季節は11月が本番。
これからまた忙しくなる。